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36歳。不妊治療中に心身ボロボロになり卵巣年齢40歳と診断された私が「こんまり流片づけ」をしたら2週間後に妊娠した話

Image by Olia Gozha


<結婚とセックスレス>

2014年。

当時わたしは34歳。
夫とは知り合って約7年。

4月に結婚4周年を迎えた。

夫とは結婚と同時に一緒に住み始めた。

一緒に住むまでは大抵、1週間に一度会いそのたびにセックスをしていた。

それが当たり前だったのに一緒に住み始めたとたん、わたしたちはセックスレスになってしまった。


結婚後はどちらかというと、わたしからセックスに誘っていた。

これまでのいつもの流れ(大抵、夕ご飯を食べた後に行う)のとおりスキンシップをしてみるのだが、どうも相手が乗り気でない。


ある日、乗り気でない理由を聞いてみた。

「所帯じみた雰囲気で、何のムードもなく、やるのがイヤだ」と返ってきた。

分からなくはないが、「一緒に生活をすること自体、所帯じみてしまうのだからしょうがないよ」と思った。


そのままなんとなく、家でやることはなくなった。

かといって旅行先のホテル等、非日常空間に行ってみても一向にその空気はない。

たまーにあったけど、その頃にはわたしのほうがやる気が失せていた。

別にセックスレスだって仲はいいし、セックス以外のスキンシップはしてるし、まあいいかという感じだった。


<妊娠・出産ラッシュ>

結婚してレスになって数年後、周囲に妊娠・出産ラッシュが起きた。

おおー いつの間に!と思ったが、気がつけば自分は34歳だった。

もうそんな年齢かあ。

35歳以上が高齢出産と言われているように、周囲が子どもについて意識するのも当たり前だよなあ、と思った。

わたしたち夫婦は、子作りについては微々たる会話しかしてなかった。

だけどそろそろ、妊活でもしようということになった。


子どもを作るためのセックスは、はっきり言ってつまらない。

「所帯じみた雰囲気でセックスしたくない」と夫が言うのを思い出した。

わたしはそのタイミングになると、寝室を暗くしてキャンドルを置いたりして工夫してみた。

だけど夫は乗り気じゃなかった。

ムードはそこまでなく、仕方なくやってる感じ。

夫がリードしてくれないのでそのほとんどをわたしがリードし、「なんでわたしがリードしなきゃいけないんだろう」と思いながらやっていた。

普段レスなわたしたちは毎月の排卵日に合わせ、セックスするだけ。

排卵日に合わせる、といっても特に病院などに通っているわけではない。

基礎体温を自分で測り、だいたいこのあたり?というタイミングで2日か3日程度セックスをする。

カレンダーのタイミングを取る日に〇をつけて、夫に「カレンダー見といて」と伝えていた。

味気ないことは分かってる。

でもこれ以上どうしようもない。

味気なくてもなんでもいい。子どもができればそれでいい。

数カ月が過ぎたあたりからそんな風に思っていた。

しかし毎月トライしてみるものの、一向に子どもができない。

生理が来るたびにガッカリした。


35歳になる少し前から始めたこの活動はあっという間に一年が過ぎ、わたしは36歳になってしまった。

その間にも周囲は妊娠・出産ラッシュ。

どうしてわたしたちは子どもができないのかと、悲しくなった。

周囲の妊娠・出産・・・ おめでたい出来事なのに、心から祝福できない。

周囲に「子どもは?」と聞かれる回数も多くなった。

両家の両親、特に実の母親が露骨に「早く孫が欲しい」と催促してきた。

挙句の果てには友人や芸能人だけでなく、街を歩いている妊婦さんや小さい子を連れた女性にまで嫉妬するようになってしまった。

生まれて初めてのこの感情は、なかなか複雑でつらいものだった。


<不妊治療???>

妊活をスタートして半年が過ぎた頃、「1年間取り組んでもダメだったら病院へ行こう」と心に決めた。

結局かすりもせず、あっという間に1年は過ぎた。

そしてついに不妊治療のドアを叩いた。

それが、2014年の9月だった。


「不妊治療のドアを叩いた」といっても、病院に行くのは簡単なことではなかった。

病院に行って検査をして、「不妊症」の烙印を押されるのが怖かったのだ。

病院を調べる気にもなれず、これは夫にお願いした。

すぐに自宅近くのクリニックを2つほど挙げてくれたので、そのうちの1つに行ってみることにした。

自宅から徒歩5分のそこはどうやら、不妊治療メインの婦人科であるらしかった。


といっても、ここからも長かった。

初診は電話で予約を取らなければならないのだが、どうしても電話ができない。

受話器を持ってはみるものの、ダイヤルが押せない。

そのことを夫に言うと、「電話するとき、隣にいてあげる」と言ってくれた。

嬉しかったけど、つい「いや、大丈夫。自分で電話できる」と言ってしまった。

「電話一本かけられなくて、この先どうするんだ?」と、自分を叱咤した。


それから約1週間後の8月下旬、ついにクリニックに電話をかけた。

「あの、初めてなんですけど・・・ えーと、その、不妊の検査をしたいんですけど・・・」

電話口でそう伝えて、「よし!言った!!」と思った次の瞬間、

「8月の初診予約はもういっぱいなんです。すみませんが、来月の予約は来月に入ってからじゃないとお取り出来ないんです。なので、来月また電話していただけますか?」と、受付の女性の声が聞こえた。

「え?なになに?だめってこと?」と、相手の言ってることがよく理解できなかった。

やっと理解したときには少し怒りがこみ上げてきた。

おいおい、こんなに苦労して電話したのに、そりゃないよー!と思い、

「あー、そうなんですか。じゃあもういいです」と言って、ガチャっと受話器を置いた。


なんだか自分が軽く扱われたような気がして、無性に悲しくなった。

夜、帰宅した夫にそのことを伝えた。

怒りが少し和らいだ。


9月に入り、またクリニックに電話をかけた。

2回目の電話はスムーズだった。

幸い、9月の早い時期に予約が取れた。

予約が取れて安心したものの、未知の世界に足を踏み入れるのはやはり恐怖でしかなかった。

 

<価値観が崩れる>

いよいよ不妊治療クリニック初診の日。

ドキドキしながらクリニックのドアを開けると、そこは不妊が当たり前の世界だった。

見るからに不妊外来の女性たちでいっぱい。

幸せそうな妊婦さんなんて一人も見当たらなかった。

今まで不妊は特別なものだと思ってたけど、ここでは当たり前。

自分の中で、何かが崩れた気がした。

世の中の晩婚化に伴い、不妊症の人が増えているのは知っていた。

でも目の前で見ると、リアリティーが全然違った。


この日から、子どもがいる友人や街ゆく妊婦さん、子連れの女性など今まで嫉妬の対象だった人たちへの考え方が変わった。

「この人たちも、もしかしたら不妊だったのかもしれない。口にはしないけど、なかなか妊娠できずに苦労したかもしれない」

そう感じるようになった。

「みんなは子どもいるけど、わたしは無理なんだ」

そんな風に思い込んでいたけど、それは偏った見方だと気がついた。


医師は穏やかな雰囲気だった。

「不妊検査をお願いします」と伝えると、「不妊治療を希望しますか?」と聞かれた。

まずは検査。その後不妊治療に進むなら、夫婦で相談してからと思ってた。

だけど今の状況や自分の年齢を考えると不妊治療に進んだほうがいいと判断し、「不妊治療を希望します」と伝えた。

すぐにプリントを数枚渡された。

不妊治療についての説明や、検査項目と費用などが細かく書かれていた。


最初は検査からだった。

検査をしながら医師が排卵日を予測して、タイミングを取る日(セックスをする日)を指定される。

具体的に言うと、生理3日目前後と10日目前後に来院し、血液検査と超音波検査(エコー)を受ける。

血液検査でホルモン値を調べ、エコーで子宮と卵巣を診て、子宮内膜の厚みと卵胞(卵子が入っている袋)の大きさをチェックする。

初診時は生理が終わってすぐ来院したので、早くもタイミングを取る日を指定された。

といっても、その日は夫が出張で不在だった。

そう医師に伝えると、「じゃあちょっと遅いかもしれないけど、旦那さんが帰ってきた日に一度タイミング取ってみて」と言われた。

「タイミング法」と呼ばれる不妊治療の最初のステップに進んだわけである。


展開が早いことと、不妊患者がたくさんいたこと。

そして医師が思ったよりドライで、すべてがオートマチックに流れていくことに唖然とした。


<不妊症???>

クリニックの初診が終わって帰宅したとき、安心と不安がじわじわと押し寄せてきた。

もらったプリントを眺めて、「あー、ついにわたしも不妊治療かあ」と、半ば他人事のような気持ちになった。

検査項目は何やらたくさんあって、これを全部受けるのかと思うと気が遠くなった。

そして検査項目の中には、夫の精液検査もあった。


色々検査してもらって分かったこと。

それは男性不妊だった。

夫の精子に軽度ではあるが、問題があった。

精子の数がWHO(世界保健機構)が定めた基準値よりも、ちょっと少ないのである。


ある妊活雑誌によると、「不妊症の定義は2年間夫婦生活を持っても妊娠しない場合」とある。

確立で言うと、夫婦10組に1組の割合。つまり、10%。

女性の年齢が上がれば上がるほど妊娠率は下がるので、不妊症の割合も増える。

夫婦生活を持って1年で80%の夫婦が妊娠し、2年間で90%の夫婦が妊娠すると言われている。

そして不妊症の夫婦のうち、50%は男性不妊。男性側に原因があるという。


世の中に絶対はないと思った。

まず、「自分たちは絶対に不妊ではない」と思っていた。

根拠なんてない。避妊しなければせいぜい半年もあれば妊娠すると思っていた。

そして、不妊の原因は絶対にわたしにあると思っていた。

これも根拠はない。年齢が35歳以上だし、なんとなくそう思っていた。


夫には漢方が処方された。

毎日飲んではいるものの、正直漢方なんて気休めにすぎないと思っていた。


<コーリングⅠ>


それから間もなく、わたしに問題が起きた。

10月、11月と2回連続で、生理の量がいつもより少なかったのである。


クリニックで調べてもらうと、全部きちんと排卵してないとのことだった。

排卵誘発剤の注射を打ちピルを飲み、強制的に生理を促した。

次の生理はちゃんときた。

原因は、「ホルモンバランスの乱れによる、卵巣機能の低下」ということだった。

医師は「たまたまです」と言っていた。よくあることだと。


だけど、わたしはたまたまじゃないと思った。

そのときのわたしは、仕事・家庭・プライベートとフル回転の日々。

不摂生・睡眠不足・ストレス・乱れた生活と、決して良好とは言えない状態だった。


怖い。一体わたしの体はどうなってしまうんだろう?

でも今、その状況を変える勇気がなかった。

それは執着だった。


ちょうどその頃、あるコミュニティで出会った友人のCちゃんが主催している「アロマ会」という集まりに参加した。

そこで出会ったYさんというアロマに精通している方に、「なんか最近余裕がなくて、疲れているんです」と伝えた。

すると、「あなた、自分に嘘ついてるのよ。自分のキャパシティ以上のものを抱え込んでるのよ」と指摘を受けた。

まさにそのとおりだった。


アロマ会のあと、Cちゃんのバースデーディナーに参加した。

そこでCちゃんの結婚・妊娠発表があった。

いわゆるできちゃった婚である。

それを聞いて不思議と嫉妬の感情は出てこなかった。

それまでのいきさつを少し知っていたし、純粋に嬉しかった。

そして確信したことがあった。


それは、「わたし、妊娠したいんだ」ということ。

1年間の妊活をして、こうして不妊治療にも通ってみて、それでも「自分は本当に妊娠したいと思っているのか?」ということにイマイチ確信が持てなかった。

周囲が妊娠・出産ラッシュだから。周囲の目があるから。親が催促するから。年齢が年齢だから。

どこかでそういう意識でいた。だからいつも他人事のように感じてた。

だけどやっぱり、「妊娠したい。子どもが欲しい」って思ってることに気がついた。

夜、夫にそのことを伝えた。

「もう病院行きたくない。コンスタントにタイミング取ろうよ。そしたら病院行く必要もなくなるじゃん」とも伝えてみた。

夫の反応は薄かった。


こうして現実を変えるきっかけはあったものの、頭では分かっていてもどうにも決断ができない。

結局そのまま、余裕のない日々を過ごしていた。


<コーリングⅡ>

その1ヵ月後、さらに大きな事件が起こった。

12月に入り、いつものように生理3日目にクリニックへ来院したときのこと。

FSH(卵巣を刺激して卵胞を大きくするホルモン値)が急激に悪化しているという検査結果が出た。

それに付随して、AMH値(卵巣年齢)を調べる検査を勧められた。

そしてなんと、AMH値1.5。卵巣年齢40歳という結果が出てしまったのだ。


医師に、「妊娠できる期間が限られてるから、治療のステップアップを検討してください」と言われた。

人工授精と体外受精の説明が書いてある紙を渡された。


人工授精とは、医療用チューブを使用して排卵日に精子を直接子宮に注入する処置のこと。

痛みもなく金額的な負担も少ない。病院にもよるが、費用は一回2万円前後。

妊娠の摂理は、自然妊娠と同じ。ただ、妊娠率は10%程度とそこまで高くない。

当時妊活休業をした、森三中の大島さんが妊娠した方法である。


体外受精とはその名のとおり、精子と卵子を体の外で人工的に受精させ、受精卵を子宮に戻す方法。

人工授精に比べて精神的、肉体的、経済的な負担が大きい。

保険は効かない。費用は助成金を利用しても1回50万~80万円程度。

妊娠率は一般的に30%前後と、他の治療法よりも高い。

当時妊活で話題になった、東尾理子さんが取り組んでいた方法である。


医師は体外受精を勧めてきた。


展開が早すぎて、ショックを通り越して呆然としてしまった。

医師いわく、卵巣年齢は二度と若返ることはないのだそうだ。

AMH値というのは、卵巣内にある卵子の濃度から、卵子がどれくらい残っているのか調べるものである。


年齢別のAMH平均値に検査結果を照合して、卵巣年齢を算出する。

卵子は生まれたときから数が決まっていて、加齢とともに減る一方。決して増えることはない。

幸いなことに、卵巣年齢は卵子の質や妊娠率とは無関係。

卵子の質は取り出して調べてみないと分からないらしい。

そして妊娠率は実年齢であるらしい。

実年齢といってもわたしは特別若いわけではなく、36歳なのだけども。


なんてこった。

この数ヶ月の間に、卵巣が4歳も年をとってしまった。

(数値が悪化する前の卵巣年齢が何歳かは不明だけども、ホルモン値に異常がなかったことを考えると実年齢くらいだろう)


なんて日だ!!!

笑えない。

最早、涙も出なかった。


<自己否定の日々>

自分は女として失格だと思った。

生殖能力がない私に、生きてて一体何の価値があるんだろう?

夫に心から申し訳なく思った。

そして自分たちは自力で受精すらできないのかと思うと、惨めで悲しくなった。

なんでわたしがこんな目に遭わなきゃならないんだろう?

一体どこで歯車が狂ってしまったんだろう?

こんなはずじゃなかったのに。

こんなことになるなんて、結婚当初は考えもしなかった。


この時期は自分より明らかに若い、20代くらいの女性を見るのがとても辛かった。

街ゆく若い女性たち、駅で見かけるフリーペーパー、書店に並ぶファッション雑誌や美容雑誌、グラビアアイドルの表紙に写る若い女性たち・・・


避妊せずにセックスすれば、すぐに妊娠しそうな女性たち。


彼女たちを正面から見ることができなかった。

若さが心から羨ましかった。


わたしはわりと人生において後悔をしないタイプだ。

数え切れないくらいの失敗をしているにもかかわらず、「反省はしても後悔はしない」というスタンスだった。

だって後悔したってしょうがないから。


だけど、このときばかりはすごく後悔した。

なんでもっと早く妊活に取り組まなかったんだろう?

なんでもっと早く夫婦で話し合わなかったんだろう?

個人差はあるけど、男性の生殖能力は60歳くらいまでイケるらしい。

だけど女性の妊娠率は20代をピークに30歳から降下し、35歳からはガクンと下がり、40歳になると格段に下がる。

そして妊娠率が下がる代わりに流産率は上がっていく。

残念だけど、女性の生殖能力にはタイムリミットがある。


いくら見た目や考えが実年齢より若いと言われたって、36歳は36歳。

加齢は待ってくれないし、戻すことはできない。確実に年齢を重ねていくんだ。


帰宅した夫に検査結果を報告した。

妊活で落ち込んでいるわたしを見ると、夫はいつも「大丈夫だよ」と言って、手を握ったりハグをしてくれる。

このときが一番温かく感じて、じわじわと涙が出てきた。

医師に体外受精を勧められたことを伝えると、「じゃあ検討しようか」という流れになった。

だけどこのときは心身ともに疲れきっていて、もう何も考えたくなくて、妊活の話もしたくなかった。

決断できないまま、そしてクリニックにも行く気力もないまま、なんとなく年末年始を迎えた。

 

<現実逃避>

この辺りの辛い時期に、昔から付き合いのある男友達から連絡が入り、飲み会の予定を入れた。


彼らは既婚者。

何でも話せて気が楽で、一緒にいると楽しい時間を過ごせる存在。

だけどお互い深くは踏み込まない。踏み込まないことは暗黙の了解だった。

だから関係性が変化することもない。

いわば、確定した未来。

会うのは楽しみだった。現実逃避して、何もかも忘れられると思った。

思いっきり彼らに頼って優しくしてもらって、満たしてもらおうと思った。


そんな風に意気揚々として飲みに行ったのだが、予想外に楽しくなかった。

彼らの本質が見えてしまったのだ。

そして、彼らに対する自分の本質も。

お互い、上っ面だけの薄っぺらい関係。

プラス面だけを見てマイナス面を見ない関係。


一緒にいて違和感を感じたが、わたしは思わず本音を漏らした。

自分の中の深い部分。今まで見せなかった弱い自分。

そうするまでに落ち込んでいた自分。その深い部分に触れて欲しかったのだ。

だけど彼らのうちの1人に、「そんなのはあなたじゃない。昔のあなたに戻ってよ」と言われてしまった。

彼らはいつもどおりだった。わたしが変わったのだ。

「もう彼らとは会わなくてもいいな」と思った。


これはあとで気がついたことだが、わたしは彼らに逃げることで、夫に向き合うのを避けていた。

エネルギーを分散させていたのである。

本来、夫に向けるべきエネルギーを彼らに向けることで、結局は誰とも、そして自分とも向き合っていなかった。

目の前の一人の人と向き合うことは、自分と向き合うことでもある。

とことん向き合って自分をさらけ出していけば、何が起きるか分からない。

いわば、不確定な未来。

わたしは、幸せになる勇気がなかった。

目の前の一番大切な一人の人と、とことん向き合う勇気がなかったのだ。

 

<こんまり流片づけ>

そんなこんなで怒涛の12月と年末年始が終わり、わたしはまずまとまった休みを取った。

1週間の休暇を取り、「心身ともにボロボロになった自分を一度リセットして立て直そう」と決めたのだ。

わたしが取った手段は「片づけ」だった。

 

こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」を参考に、私物を徹底的に片づけることに決めた。

 

服からスタートし、本、書類、小物、思い出品と順番に片づけた。

片づけはわずか半日で終わった。

 

もともと、「人生がときめく片づけの魔法」が出版されたときに1度。

そしてその後、うつ病にかかったときにまた1度片づけをしていた。

 

今回は人生で3度目の片づけということになる。

 

一度目の片づけのときにゴミ袋16袋という膨大な量のモノを派手に手放した。

それもあり、その後の片づけはとてもスムーズだった。

 

だけど今回、向き合ったモノ、手放したモノの存在は今までの片づけとは比べ物にならないくらい大きかった。 

今回の片づけでわたしが最も向き合ったモノ、思い切って手放したモノは「書類」だった。


書類の片づけで仕事関連の書類を手に取り、残す書類/手放す書類と分別していった。

その結果、なんと3つの仕事の書類のうち、2つが手放す書類に分類されたのである。

 

じっくり考えるまでもない。

時間を取るほどのことでもない。

一目見ただけで、触れただけで手放すべきものだと分かった。

もうとっくに自分の中で答えは出ていた。


ときめきは嘘をつかない。

自分の感覚は嘘をつかない。

片づけは嘘をつかない。

もう自分の気持ちに嘘はつけない。

 

自分の中ですでに答えは出ていたのに。

なぜこんなに体にムチを打ってまでがんばって仕事をしていたんだろう。

その気持ちに向き合わざるを得なかった。


わたしはセルフイメージが低くて、自己肯定感が低くて、いつも無価値観を感じていた。

だから人の目や評価がすごく気になるし、誰かの役に立たなければ価値がないと思っていた。

何かをして誰かから褒められないと、認められないと自分は価値がないと思っていた。


だから一生懸命仕事をした。

ミスをしないように気を付けた。

ミスをしたら必死で挽回した。

言われたことは一生懸命やった。

言われたこと以上のことをやろうとがんばった。

疲れていて体が辛いときでもがんばった。

それがたとえやりたくないことでも。


そうしなければ認めてもらえない。

生きてる価値がない。

他人から「この人は価値がない」と思われるのが怖くて、一生懸命仕事をがんばった。


その結果がこれだ。


心身はボロボロになった。

心は苦しくなりしんどくなり、挙句の果てに体調を崩した。

生理は乱れホルモン値は悪化し、卵巣年齢は4カ月の間でなんと一気に4年も年を取ってしまった。


体の声を無視し、自分の心に嘘をつき続けた結果だった。


誰かのせいに、環境のせいになんてできない。

自分が選んで自らやったこと。


片づけをすると、それをまざまざと見せつけられる。

「今のこの現実は、自分が選択し続けた結果」と教えられる。

現実を直視せざるを得なくなる。


愕然とした。

なんでこんなになるまで無理をしてがんばり続けてしまったのだろう。


ごめん、ごめんね自分。

ごめんね自分の体。

ごめんね自分の心。

涙が止まらなかった。

 

わたしがわたしを裏切ったら、嘘をついたら絶対にいけなかったのに。

 

もう外に求めない。

わたしがわたし自身を受け入れて認めてあげたらいいんだ。

わたしがわたし自身を受け入れて愛してあげたらいいんだ。

 

わたしがわたし自身を価値があるって認めてあげたらいいんだ。

 

「今のこの現実は、自分が選択し続けた結果」


だとしたら、片づけをしてリセットしたこの瞬間からまた選択していけばいい。

今この瞬間から自分が望むように選択していったらいいんだ。

 

そう気づいた瞬間、自分の中で何かが大きく変わった気がした。

 

片づけが終わったあと、ふとパソコンでYouTubeを開き、椎名林檎さんの「NIPPON」という曲を流した。

 

いつもいっぱいいっぱいで余裕がなく、音楽なんてしばらく聴いてなかった。

なぜこのときこの曲を流そうと思ったのか分からない。

新曲らしく、聴いたこともない。

でもふと目に留まったのだった。

 

♪ほんのついさっき考えていたことがもう古くて

少しも抑えて居らんないの

 

このフレーズを聞いたとき、はっとした。

 

片づけ前の価値観と、片づけ後の価値観は大きく違っている。

片づけ前の価値観は、今はもう古い。

リセットした今、わたしはもう前に進むしかないことに気が付いた。

 

それはまぎれもなく「覚悟」だった。

 

自分の人生を生きる覚悟。

今この瞬間から現実を変える覚悟。

 

それは「幸せになる覚悟」だった。

 

今まで自分で自分を不幸にしていた。

そのほうが都合がよかったから。

 

他人の言うことに従っていれば、何かあったときに他人のせいにできる。

でも自分で決めればすべて自己責任。

誰のせいにもできなくなる。


でも他人の言うことに従う人生はもう嫌だ。

自分の人生は自分で決める。


確か同じようなことをユーコンリバークエスト(カナダのカヌーレース)に出場したときも言ってなかったっけか。

わたしはまた同じところでつまづいている。

 

いや、前回成長して今回また大きく成長できたのだ。

だからこれでいい。

かくして、わたしの片づけは無事に完了したのであった。


<リセット>

休暇でやったのは、以下のことだった。

★モノの片づけ・・・自宅。おもに自分の私物。

モノの片づけをしてみて、自分が今取り組むべきことが目の前にくっきりと現れた。

・妊活

・自分と、自分の大切な人を大切にすること

・サロンワーク(当時、自宅でマッサージサロンをやっていた)

★仕事の片づけ…3つやっていた仕事のうち、2つを手放した。

★人間関係の片づけ…前述の男友達を手放した。

といっても「もうあなたとは会いません」とわざわざ連絡をしたわけでもなく、心の中でサヨナラ。


モノの片づけを終わらせたら自分の価値観がはっきりし、仕事と人間関係の片づけは自然にスムーズにできた。

すべてに片をつけることができて、とにかくすっきりした。

 

★体作り・・・毎朝早起きし、夫と近所の公園を30分程度ウォーキング。

その後、二人で和朝食(ごはん、お味噌汁、焼き魚など)を作ってゆっくり会話をしながら食べた。


★妊活にいいと言われるサプリメント等(マカ、ヘム鉄、ルイボスティー)を飲んだ。


★温活・・・湯たんぽと一緒に寝る。日中は、湯たんぽをお腹に当てる。

★布ナプキンを使う。生理のときはもちろん、そうでないときもパンティライナーとして使う。子宮が温まる(これは2カ月前から取り組んでいた)。 

★腹巻をする(これも3年前くらいから取り組んでいる)。

いずれも、「やらなきゃ」ではなく、「やりたい」という気持ちで取り組んでいた。

実際、やっていて楽しかった。


その後すぐ、クリニックに体外受精説明会の予約をした。


体外受精を希望する夫婦は、説明を受けるのが必須なのである。

年末は踏ん切りがつかず、また勇気が出ず電話ができなかった。

今ならその覚悟ができたので、スムーズに電話できた。

また、通っているクリニックとは別に体外受精専門の病院が近所にあったので、その病院の体外受精の無料説明会も予約した。


自分たちでも情報を集めようと、妊活の雑誌を買った。

ちょうどそのとき発売していた妊活雑誌の特集が、体外受精についてだった。

自分たちのための本だと思った。


体外受精は自分にとって恐怖でしかなかった。

何が恐怖かというと、採卵(卵子を外に取り出すための処置。膣から注射針を入れ、卵巣より成熟した卵子を吸い出す)が半端なく痛いということだった。

全身麻酔または局所麻酔を使用するが、それでも痛いと雑誌やネットに書いてある。

また、排卵しないように卵子を成熟させるために、毎日点鼻薬や注射が必要で大変そうなのも怖気づく原因だった。

そしてこんなに大変な思いをしたところで、必ず妊娠できるとは限らない。

確かに体外受精は他の方法に比べて妊娠率は高い。

でも、絶対ではないのだ。

これから先どうなってしまうのだろうか?という先の見えない不安を感じた。


当時、映画「インターステラー」が大ヒットした。

インターステラーを見にいったとき、わたしが最もしびれたシーンはドッキングのシーンだった。

映画の後半、主人公が爆発によって回転がかかった宇宙船にドッキング(合体)するシーンがあった。

ものすごく難易度が高いのだが、もうこれしか方法がない。

それをなんとかやってのけるシーンである。


うまくいくかなんて分からない。

だけど他に方法がないのだ。

もう、やるしかない。

元旦に2度目のインターステラーを見に行ったときは、涙が出た。

きっと体外受精の治療中、特に採卵や受精卵を子宮に戻すときは、このドッキングのシーンを思い出して何度も勇気付けられるんだろうな、と思っていた。

本気でそう思っていた。

 

<当事者意識>

しかし冷静になって考えてみると、時間がないとはいえ、いきなり体外受精に進むのはどうも違和感があった。


医師の言うとおり、このまま体外受精を受けて本当にいいのか?

そもそも、誰が妊娠したいのか?妊娠するのは誰なのか?

それはまぎれもなく自分なのだ。

そして今回は自分ひとりではない。妊娠は夫婦の共同事業である。

「医師に妊娠させてもらうのではない。自分たちが妊娠するんだ」

という意識に切り替わった。

さらに情報収集をすることにした。

結局、いままではどこか他人事だった。

妊活に正面から取り組むのが怖かったから。その勇気がなかったから。


その背景には、数年前のうつ病の治療があった。

当時不眠・うつ病だったわたしは、心療内科を訪れた。


だが医師の対応は毎回適当なカウンセリングと、ただ薬を出すだけだった。

症状は一向に改善せず、わたしはその医師に腹を立てて転院した。

だけど転院先でも対応は同じようなものだった。

医師に、

「わたしはやりたいことがたくさんあるのに、この病気のせいで全てがストップしている。

なんで病院に行ってるのに、飲みたくもない薬を飲んでるのに、良くならないのか?

やりたいことのうち、これとこれは少しずつやってもいいか?」ということを言った。

要は、医師を責めたのだ。症状が良くならないのを医師のせいにしたのだ。

それに対し医師は、

「そんなことは自分で決めてくださいよ。わたしはあなたの親じゃないんだ。

わたしがOKを出してそれで症状が悪化したら、わたしのせいになるの?それはおかしいでしょう。

あなた、依存してるよ」と、きつい口調で言った。


電撃が走るほどのショックと、自分の甘さを思い知らされた瞬間だった。

医師に病気を治してもらうのではない。病気を治すのは自分自身なのだ。

周囲のサポートは受けても、最終的には自分自身がその責任を負う。

当時大ヒットした本、「嫌われる勇気」にもあった「課題の分離」である。

とにかく当事者意識が大切なのである。

その後とことん自分と向き合い、うつ病の根本の原因を自ら見つけることができた。

そして周囲の人たちのサポートを受けてうつ病は改善した。

当事者意識が大切。

そのことを思い出させてくれた、うつ病の自分に感謝した。


購入した妊活雑誌を読み込んでみて、新たな発見があった。

自宅近くの体外受精専門の病院の取材記事が載っていて、ビックリしたが心強い気持ちになった。

その病院の体外受精説明会の予約をしたし、いずれお世話になると思っていたからだった。

だけど注目すべきは、他の病院の取材内容だった。

 

「出来るだけ自然に近いかたちで妊娠してほしい。

体外受精は最終手段。タイミング法や人工授精ではどうにもならない人にトライしてほしい」

という感じの内容だった。


考えてみればわたしたちはタイミング法すら、満足に取り組めていない状態だった。

2014年9月は夫の出張でタイミングを逃し、

10月は排卵日が予想外に早すぎて間に合わず、

11月は夫婦でマラソンイベントに参加したためタイミングを逃し、

12月はわたしがやさぐれて通院をサボり、

結局一回もできていなかったことに気がついた。

 

<二人で同じ方向へ>

その後2つの病院で体外受精の説明を聞いたわたしたちは、

「不妊治療は戦略的に取り組むことが重要」というキーワードを深く理解したように思う。


体外受精専門のクリニックの説明会は、満席だった。

ざっと12組はいただろうか。

わたしたちより明らかに若いカップル、同じくらいの年のカップル、40歳くらいのカップル。

こんなに体外受精を検討しているカップルがいるなんて。

ここでも自分の価値観が崩れた。


不妊治療はギャンブルだ。

タイムリミットがあるなら、なおさらだ。


体外受精をすれば高い妊娠率で妊娠できる。

でも負担が大きい。それに必ず妊娠できるわけではない。


自然に近いかたちであれば、負担は軽いけど妊娠率は低い。

ここまでくると正直、「自分の子どもの顔が見たい」とか、「自分の子どもに会いたい」といった感情はなく、

ただただ、「このタイムリミットがある一大ミッションを、いかに攻略するか?」という意識になっていた。

「体外受精は確かに費用もかかるけど、80万円程度で子どもが授かるなら安いもんじゃん?」とまで思うようになっていた。


夫と真剣に話し合った。

「タイムリミット」という言葉に、夫は過剰に反応していたように思う。

短期決戦となると男性らしさを発揮するのだろうか。

夫婦で話し合った末、「体外受精に進む前に3ヶ月程度、人工授精を受けてみよう」という結論になった。


思えばこの頃から、夫が妊活に深く関与するようになったように感じる。

今まではわたしが全てを決めて報告して、大抵「それでいいよ」「任せる」という返事しかなかった。

妊活以外でもそうだった。

こっちはもっと関わって欲しいのに。

実際このとき、わたしはタイミング法を押した。

でも、「タイミング法より少しでも妊娠確率の高い人工授精にしよう」と人工授精を強くプッシュしたのは夫だった。


とにかく、「ダメもとでも後悔しないようにやれるだけのことをやろう。納得してから体外受精に進もう」ということになった。


年が明けて休暇を取り、片づけをして余計なモノ、仕事、人間関係を手放した。

同時にそれまでめちゃくちゃだった生活を整えた。

温活をした。

毎朝夫とウォーキングに出かけ、帰宅後に和朝食を食べた。

妊活にいいと言われるサプリメント等を飲んだ。


一度大きく乱れたホルモンバランスは、戻すのに時間がかかる。

体外受精をする前に整えておきたかった。

整えるのに最低でも3ヶ月程度はかかると思った。

だからこの期間は適度に積極的な妊活もしつつ、色々整える準備期間だと思った。

 

<最初の一歩>

一回目の人工授精の日が決まった。

それが2015年1月の後半。


生理3日目の診察では、FSH値は前回よりは改善していた。

だけど依然として良好ではなかった。

人工授精前日の診察では、子宮内膜は11ミリ程度とまあまあ厚くなっていた。

卵胞は18.5ミリまで大きくなっていた。

子宮内膜は厚ければ厚いほど妊娠率は高くなる。

卵胞は18ミリ~20ミリになると破裂し、排卵する。

体は「妊娠したい」と言っているように思えた。

あれだけムチを打ってボロボロになったというのに、ちゃんと応えてくれていることが嬉しかった。

約2週間という短期間とはいえ、体をケアした成果が出た気がした。

「わたしの体って結構強いなあ」と思った。


排卵した卵子の寿命は24~48時間なので、それまでに精子が到達する必要がある。

精子の寿命は3日程度。

妊娠可能な期間は排卵日3日前~排卵日翌日までの5日間。その期間にタイミングを取る必要がある。

「妊娠確立が最も高いのは排卵日2日前。次いで1日前、排卵日当日」というのを、以前何かで知った。

準備期間の妊活なのでまったく期待してなかった。

だけど少しでも妊娠率を上げるため、夫と「人工授精前後にも自分たちでタイミングを取ろう」という話はしていた。


人工授精の処置はあっという間に終わった。

朝イチでクリニックに行き、血液検査でホルモン値をチェック。

夫の精子が入った容器を看護師さんに渡し、洗浄処理をしてもらう。

その後処置室にて仰向けに寝てエコーで内診。

医療用チューブで精子を子宮内へ注入。

処置後はそのままの姿勢で15分程度安静にする。

最後に着床(受精卵が子宮内膜に潜り込むこと。子宮の正常な位置に受精卵が着床することにより妊娠成立となる)を助ける、黄体ホルモンの注射をお尻に打ってもらって終了。

痛みはなくリラックスして臨めた気がする。

※注射は筋肉注射だが、打つ箇所をつまんでもらえば痛くない。腕よりお尻がおすすめ)。


人工授精後に今回の精子のデータをもらった。

驚くことに数値が大幅に改善していた。

もう問題のある数値はない。

漢方の威力は偉大だった。


だが処置後にエコー写真を渡され、「もう排卵してますね」と医師に言われた。

え?もうすでに排卵しちゃってたの?人工授精のタイミング、ちょっと遅かったんじゃ?

でも今は準備期間中だし、医師も有効だと判断して処置したんだし、まあいいかと思った。


それにダメもととはいえ、わたしたちは人工授精の前後で自分たちでもタイミングを取ることにしていた。

人工授精の前日と、当日の夜。計2回タイミングを取った。

「排卵日に人工授精を受け、その前後でタイミングを取る」という、今までで一番義務的な営みだったが、焦りも不安もなくとても穏やかに感じた。


人工授精の妊娠確立は10%程度。

自分たちの年齢や今の状況を踏まえて、今回の妊娠確立は多く見積もっても15%程度だろうか。

まあ、期待はしてないけども。


<マクトゥーブ?>


医師曰く、「人工授精後5日間は激しい運動は控えるように」ということだった。

困った。激しくはないけど仕事であるマッサージサロンの予約が数件入っている。

医師にOKか電話で確認したところ、「大丈夫だと思いますが自己責任で」とのことだった。

心配だったけど断るわけにもいかず、普通に営業した。

断ったところでどうせ妊娠しないと思っていたからだった。



それから不思議なことが起きた。

その後のサロン予約が、ことごとくキャンセルになった。

また、サロンに興味を持ってくれた方たちから数件問い合わせがあったのだが、予約は保留になった。

サロンの予約以外にも、友人との約束が次々とキャンセルになった。

夫に話したら、「マクトゥーブだね」と言っていた。

「マクトゥーブ」とは、小説「アルケミスト」に出てくるアラビア語。

「それは書かれている」と訳される。

「起こりうる物事は既に大いなる手によって書かれている。それは最初からそうなるべき物事であった」という意味だと言う。

そういうことなんだろうか?



生理予定日になった。

生理は来ない。来る気配がない。

でも期待するのはやめた。今まで期待して、散々裏切られて悲しい思いをしてきたからだ。



2月上旬、夫婦で旅行に行った。

何もしない贅沢を味わった。

純粋に幸せを感じた。



旅行中、腹痛があったり胸の張りが弱くなったりした。

あー、やっぱり生理くるんじゃん。なんて思ってた。


だけど、来なかった。


<宝物>


生理予定日1週間が過ぎ、一応妊娠検査薬を買ってきた。

結果は分かってたけど使ってみた。



すぐに陽性反応が出た。

分かってたから特別驚かなかったけど、少し安心した。



喜びもつかの間、その直後にほんの少しだけ出血があった。

次の日にクリニックの予約をしていた。

時間指定の予約が取れなかったので、何時に来院してもOKの予約外外来になった。

待ち時間はあるが仕方ない。

翌朝、起きてからウォーキング中もずっと左下腹部痛があった。

帰宅後いてもたってもいられず、朝食は作らずに適当なものを口に入れて家を飛び出した。

子宮外妊娠かもしれないと思ったからだった。



妊娠検査薬で陽性反応が出たことを医師に伝えると、嬉しそうにしていた。

だけどわたしは不安でしょうがなかった。

内診したところ、子宮に小さな黒丸が見えた。

「胎のう」という赤ちゃんが入った袋だった。

子宮外妊娠ではなかった。安心した。


<あとがき>

最後まで読んでいただきありがとうございます。


今後子どもを望む方や、今子どもを望んでいる方にわたしが声を大にして伝えたいことがあります。

それは、「女性の生殖能力にはタイムリミットがある」ということです。

何も、「今すぐ妊活をしろ」だとか、「焦りなさい」とか言いたいわけではありません。

「意識」を持っていただきたいのです。

意識があるだけでも、考え方や行動が変わってきます。

 

そして今ご自身が取り組めることに、少しずつでいいので行動を起こしていただきたいと思っています。

 

例えば、

・体を大切にする。体の声に耳を傾ける。

・温活をする。

・パートナーと、セックスや子どもについて話し合う。

・不妊治療を受けるかは別として、とりあえず不妊検査をする。

・妊娠の正しい知識をつける。

などなど。

 

わたしはそれを怠ってきたせいで、大変な思いをしました。

 

今でこそ「妊娠はその人のタイミング」と言えるのですが、現実問題として「女性の生殖能力にはタイムリミットがある」ことは否めません。

 

不妊治療はきついです。今回たった1年間の自己タイミングでの妊活+約5ヶ月間の不妊治療をしたわたしでさえ、そう実感しています。

 

こんな思いは正直しなくていいと思います。

だからぜひ、「意識」を持っていただきたいです。

 

でも焦りは禁物です。どうか変に焦らないでいただきたいです。

焦ってしまうとうまくいくものもうまくいきません。また、焦ると大切なものを見失ってしまいます。

子どもの前に、まずは自分とパートナーありき。自分とパートナーを大切にする余裕も持っていただきたいです。


実際、今回の私の勝因は、

・人工授精時、焦りも不安もなく精神的に余裕があった。

※本番前(体外受精前)の準備期間の妊活と割り切り、ダメもとで臨んだ。


・片づけをした。ギチギチで隙間なく抱え込んでいた余計なモノを手放し、本当に必要なモノ・仕事・人間関係だけを残した。その隙間に赤ちゃんが降ってきた。

・片づけ後、温活、運動、食事、サプリメント等で身体を整えた。

※短期間で結果が出たのは、片づけによって体だけでなくメンタルも整えられたからだと思う。


・夫と向き合うことにより、夫婦が一つになり同じ方向に進むことができた。

※男友達を手放したことにより、エネルギーが夫に集中された。

 

といった感じです。

 

これだけ色々ありツライ思いをしましたが、片づけをして意識が変わり、心身が整い、片づけ完了後、約2週間後に妊娠できました。


片づけをしたからといって誰もが必ず妊娠できるわけではありません。

でも片づけをすることで価値観が明確になり、自分にとって大切なものが見えてきます。

意識が変わり、行動が変わり、現実が変わってきます。


片づけをする前より妊娠しやすい体質に近づくことは間違いないと確信しています。


★今、妊活をしている方や不妊治療を検討している方、不妊治療を受けている方へ。

 

絶対に諦めないでほしいです。

心が折れることは数多くあると思いますが、どうか諦めないでいただきたい。

自分とパートナーを信じて、ともに進んで欲しいです。

 

そしてデリケートなところにはなりますが、パートナーにもぜひ検査を受けてもらっていただきたいです。

 

今や、不妊症の約50%は男性不妊です。

 

妊娠は夫婦の共同事業です。

女性側がいくら検査をして健康に気を遣ってがんばって妊活していても、原因が男性側だったら結果は出ないんです。

 

男性はプライドが高くガラスのハートを持っていて傷つきやすいです。

検査を受けたがらない人も多いと聞きます。

 

だからこそ夫婦で勇気を出して一歩、踏み込んでいただきたい。

妊活は夫婦の溝が深くなるか、絆が深くなるかのどちらかです。

お互いが歩み寄り思いやりを持って接すれば、絆が深まると信じています。


★AMH値(卵巣年齢)について。

わたしはAMH値(卵巣年齢)の検査を受け、40歳という結果にかなり落ち込みました。

子どもは2人欲しいと考えてましたが、「第二子は難しいかもしれない」とも思いました。

 

でも周囲にそのことを伝えると、「卵巣年齢は関係ない。それよりも身体が元気であることが大事」と、妊活をサポートしている整体師の方からアドバイスをいただきました。

また、40歳以上の方、具体的には40、41、43歳の方から次々と妊娠報告があり、「卵巣年齢なんて関係ないよ!」という心強い言葉をいただきました。


そしてこのあとがきを編集している今、わたしは41歳。第二子を妊娠中です。


40歳になってすぐに不妊治療を再開し、クリニックの検査でAMH値を測りました。

結果はAMH値0.71。卵巣年齢に換算すると46歳以上です。

 

40歳という年齢と低AMH値に加え、子宮筋腫があって着床しにくいし、加齢により各ホルモン値は低いし、おまけに中性脂肪は高くて血液はドロドロだし・・・という状況でした。

一言で言ってしまうと「妊娠しづらい」という状況です。

 

でもおかげさまで約半年間の不妊治療を経て、5回目の人工授精にて無事に妊娠することができました。

 

今回、もともと片づけは完璧に終わっていました。


片づけのおかげで特に大きな苦労や努力はしていません。

大きな迷いや不安もありませんでした。

 

その様子を書いた「第二子妊活レポート」は後日UPする予定です。

こちらもお読みいただければ嬉しいです。

 

話を元に戻します。

卵巣年齢は妊活の目安の一つにはなりますが、むやみに焦ったり不安になる必要はない、というのがわたしの結論です。


世の中とは不思議なもので、自分がこう!と思い込んだそばから、その価値観を崩してくれることが起きるんですよね。

 

第一子妊活中だけではなく、第二子妊活中も幾度となく価値観が崩れることが起きました。


★片づけについて。

妊活中の方はぜひ、「こんまり流片づけ」をやってみていただきたいです。


わたしが片づけのおかげで妊娠できたのは2度にわたり証明済みです。

そしてわたしのブログやレポートを読まれた方、お茶会などに参加されて実際に片づけをされた妊活中の方から、続々と妊娠報告が届いています。


「こんまり流片づけ」のやり方はシンプルです。

「人生がときめく片づけの魔法」を読み、本に忠実に片づけるだけです。

なぜ本を読んでからやることを進めるかというと、

・片づけのモチベーションが上がる

・理論や哲学などが書いてあり、内容をしっかり落とし込んで片づけのマインドを身につけてから進められる。

・ 片づけ中に起こる疑問などがほぼ網羅されている。

という理由からです。

ぜひ!一気に短期に完璧に!「これが最後の片づけ!」という勢いで進めてみてくださいね。


繰り返しになりますが、片づけをしたからといって必ず妊娠できるわけではありません。

 

でも前述のとおり、片づけ前に比べ妊娠しやすい体(=妊娠体質)になることは間違いないのです。

 

わたしはもちろん、片づけをして妊娠報告をしてきてくれた方が証人です。

 

どうか、子どもを望むすべての方に赤ちゃんが訪れますように。

心から祈っております。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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また、感想やコメント、シェアも大歓迎です。


最後に。

今回の妊活を支えてくれたパートナー、友人、クリニックの先生とスタッフの方、そしてこんまりさん、本当にありがとうございました!


★川和田あき子ブログ→https://ameblo.jp/purple-purple-chaos

★Instagram→https://www.instagram.com/akikokawawawawa/



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