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根暗ネガティ部育っていく

Image by Olia Gozha

そして、超ネガティブガールに育っていきました。


何をやっても

『私はできない』

『ああやっぱりダメだ』

『どうせ私なんかー』

ずっと幼い頃からこの繰り返しです。


母を救えない罪悪感や自己否定持ったまま大人になりました。

(今なら何でそんなことに罪悪感や自己否定感じる事ないよーって思いますが)


小学校3年生以降勉強(特に算数)がついていけなくて、さらに自己否定に拍車がかかります。


母からは毎日長い髪を切りなさいって再三言われ続け、その度に絶対に切ってやらないよ!!と頑なになりました。 貴方は髪切ったほうがすっきりするし、可愛いよ。向かいのおばちゃんも言っていたよ。本当にうっとしいわー貴方の髪!!!"(-""-)"  毎日毎日言われ続けてました。


母は聞き下手だったので、母から求められても学校であった話を話す気になりませんでした。

『どうせ聞いてくれないし、分かってくれないだろう』こんな思いがあったからです。

それは、今でも持っています。人に自分の事を話すのが苦手だったのも『どうせ聞いてくれないし、わかってくれないだろう』と言うその想いを思い出していたのです。


小学校5年6年では、周りと自分を比べるようになり勉強も出来ないし、根暗だし、友達と何を話していいか分からないし、先生は頭の良い子ばかり育てていくし、また自己否定を育てていてどんどん孤立して超おとなしい子になっていました。

他の子がキラキラ輝いていて、とてもうらやましかったのです。

この頃からテストもカンニングする技を身につけて、どうやって自分の点数をあげようか考えました。


小学校の頃は数人の人がカンニングしていたので、私も多少の罪悪感ありながらも友達同士見せあっていましたが、ある時友達に裏切られました。

中学になれば、筆箱に答えを隠していて先生が見ていない隙にカンニングするという常習犯でした(/ω\)

カンニングしてまでも、点数を下げないように母の機嫌をとろうとしていたのです。


心の面でも大人になるのがとても不安で、生理や胸が大きくなるという体の変化を受け入れられず、高校入学まで常に不安に感じていました。 

友達も表面的にはいるし、部活も母に運動部を勧められやりたくないけど仕方なく他にないので卓球部に入部しました。 嫌いや入った部活なので、当然卓球部と言う根暗部活のイメージがとても嫌いでした。


何とか地元の公立高校に必死で勉強して入学出来たけれど、私の根暗ネガティブは更に育っていきます。

一目を気にするので、根暗ネガティブと思われないように頑張って頑張って明るくふるまっているけれど、

本当に疲れる毎日でした。常に自己否定との闘いです。

勉強できないながらに英語だけは中学から一斉スタートなので何とかリードしたい。との思いで、率先して勉強しました。そして、高校二年始まった頃将来を考えるようになり、このままではいけない。将来英語なら何とか道が開けるかもしれないと思い、外国語短大を目指して勉強し始めました。志望校は偏差値は高かったものの推薦入学なら英語のみの受験そして、普段の成績がぎりぎり到達していたのでこれなら何とかこんな私でもいけるかもしれないと人より早く受験勉強に取り掛かりました。


第一志望校に何とか合格した時の喜びは今でも思い出す位感激でした。母も泣いて喜んでくれました。

自分に少し自信が生まれた日でした。  人の何倍も頑張れば私は出来るんや!!そう実感しました。


そして、短大生 私はこの根暗ネガティ部を卒業したかったので、この機会に明るくふるまうようになりました。

もちろん根底には根暗ネガティブは残ってますが・・・。


バイトやスキー部、国際交流、アメリカホームステイ、YMCAスキーリーダー等忙しく活発に活動していました。少しもてはじめて彼氏も出来るようになり、ようやく私の人生開けてきた時期でした。



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