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私が自由を求めるわけ⑨

Image by Olia Gozha

千葉に引っ越してからしばらく、

下の子が小学校に入学してから、

ようやく仕事が出来る身になった私は、

喜び勇んで職探しを始めました。


OLを退職してから10年間は専業主婦だったので、

かなり久しぶりのお仕事再開です。


横浜にある我が家をいつかはリフォームしたかった私は、

少しでも勉強をしたくて、

小さな個人経営のリフォーム会社の

事務のパートを始めました。


そこで、その会社の人に聞きました。


「リフォームの仕事って、

私がするとしたらどうすれば出来るんですか?」


そこで教えてくれたのは、

一番良いのは大学か専門学校に行って建築士になる事。

インテリアコーディネーターの資格を取る事。

でした。


大学や専門学校は時間もお金もかかりそうだし、

現実的でないので諦めましたが、

インテリアコーディネーターの資格を取れば

私にもリフォームの仕事が出来るかも!


しかも、今よりも収入が増えそう!


その事を知ってから、

インテリアコーディネーターの資格を取る事を

夢見る様になりました。


そう、最初は夢だったのです。


それがある日の出来事が、

その夢への一歩を踏み出すきっかけとなったのです。


当時からずーっと生協の共同購入をしていた私は、

(今では個人宅配ですが)

生協のあるチラシに目が釘付けになりました。


○ーcanの通信講座 インテリアコーディネーター

今だけ割引中!


!!!!!


しばらく悩みましたが、

このタイミングでこのチラシが私の目に入って来たと言う事は・・・。

しかも今なら通常よりも安い価格で始められる・・・。


私は夢への第一歩を踏み出したのでした。


後にも先にも、生協でそんなチラシは見た記憶が無いので、

きっと私がそうする様に導かれたのでしょう。


そして私は、パートで働きながら、

資格取得のための勉強を始めました。


しかし、通常は専門学校で学んだ人が受ける事が多い資格だけに、

インテリアもデザインも建築も何も学んだ事も無く、

商業高校を卒業しただけの私が、

そうすんなり受かる物ではありませんでした。


1次は学科で2科目(現在は1科目だそうです)

両方受からないと2次試験に進めません。

2次は図面作成と論文。


それぞれ1年に1回しか行われないので、

何年もかけて資格を取る人が大勢います。

1次の合格率は3〜4割、2次は1〜2割程。


私は、

一年目に1次の1科目だけ合格、

二年目に1次合格、2次不合格、

三年目にやっと2次を合格できました。


合格通知が届いた日、

いつもの不合格通知のハガキではなく、

分厚い封書を開ける私の手は、感激で震えていました。


あれは、

子供達が無事に生まれた時に匹敵するほどの嬉しさでした。


行きたくも無い高校に行き、

大学受験すらも経験した事の無い私に取って、

子育てやパート・家事をしながら、

3年も独学をして、やっと取得したその資格だけが、

自分の頑張りを証明してくれるものだったのです。



その間に千葉の社宅から横浜の自宅に戻っていました。


でもすんなり戻れたワケではなく、

主人の転勤と同時に

貸していた家の退去をして頂けるはずもなく、

数ヶ月は自宅そばのアパートに住み、

退去をして頂いてから、

改めて自宅に戻る引っ越しをしました。


短期間に引っ越しを繰り返して大変だったにも関わらず、

家の事をほとんどしない主人にあきれ返り、

もう二度と主人の転勤には付いて行かない!

と固く心に誓いました。



横浜に戻って来て、資格に合格するまでの間は、

将来リフォームの仕事をする時の為に

リサイクルショップでパートをして、

接客に慣れる練習もしました。



晴れてインテリアコーディネーターの資格を取得した私は、

これで、やっとリフォームの仕事が出来る!

と希望に満ちていました。


しかし当時は、リフォーム詐欺とか、

突然の訪問による押し売りの様なリフォームが

横行していた時代です。


そんな仕事をしたいハズもありませんが、

安心そうに見える大手のリフォーム会社は

大卒か専門学校卒、又は経験者、

という条件がついていました。


職探しは難航しました。


またしても、ハローワーク通いに、

求人情報と格闘する日々が続きました。


そうしているうちに、

ある家具店のリフォーム部門の求人募集が目に留まりました。


私はインテリアコーディネーターをしたかったのですが、

その募集はリフォーム営業でした。


電車では時間がかかるその職場は、車通勤OKでした。

インテリアコーディネーター資格優遇、

しかも未経験者OKでした。


私の地元にも同じ家具店の店舗があり、

息子の勉強机などを購入した事もある

地元密着タイプの歴史のある家具店のリフォーム部門。


安心感はバッチリでした。

条件も揃っています。


でも、リフォーム営業なんて私に出来るの???


インテリアコーディネーターの資格は取ったけど、、

リフォームについて学んだワケじゃ無いし、

営業の経験なんて無いし・・・。


しばらく悩みましたが、

採用するしないは向こう側が判断する事だから、

ダメ元で面接だけ受けてみよう!と思い立ち、

面接してもらいました。


その時は5人程応募したらしく、

私以外全員経験者だったにも関わらず、

なぜか私が採用されたのでした。


採用の知らせの電話を受けた時の事は、

今でもハッキリと覚えています。


こんなど素人の私が、

あんなに条件の良い職場に採用された事にまずは驚き、

全身の血の気が引く程の緊張感に震えながらも、

営業をする事への不安よりも、

自分の可能性へかけてみたい気持ちが勝ってしまい、

お受けしたのでした。



しかし、仕事は思ったよりもはるかに過酷でした。


そこは、接客、現地調査、プラン作成、見積作成、

契約、発注業務、現場管理、引き渡し、仕入業務、

アフターフォローまで、

全てを一人でこなさなければならない職場でした。


全くのど素人の私が、

これをいきなりこなすのは至難の技でした。

最初は先輩方に手伝ってもらいながら、

見よう見まねでやっていましたが、

やり手営業マンだった先輩たちも決してヒマでは無かったので、

そのうちに頼る事も出来なくなってしまいました。


しかも、しばらくして

図面を描いてくれるハズの人が辞めてしまいました。


なかなか慣れない私は仕事が取れずに、

営業所でお留守番をする事が多くなっていました。


色んなカタログを見ては、

メーカー毎の特徴や売りを研究していました。

メーカーの営業マンの話は真剣に聞きました。


そして、自分なりのおオススメしたい商品や

お買い得品、特殊な現場に対応できる商品などを

頭に叩き込みました。


また、自分でも図面がかけるようにJW-CADの勉強もしました。


そうこうしているうちに、

商品知識も増え、図面で具体的な提案が出来る様になった私は、

徐々に売り上げが上がってきました。


そして、辞める年の年間売り上げは、

全営業所の中でトップを取る様になれたのでした。



なぜ、私がトップを取れたのかは次回で詳しくお話しします。











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