ココロを閉ざした私に、
一筋の光が見えました。
お姉さんが妊娠したのです!
その頃はお姉さん=お母さんとなっていたので、
私に弟か妹が出来る!と思ったのです。
兄が消えた事で淋しくなった我が家には、
とても嬉しい出来事でした。
産まれたのは妹でした。
とても小さくて弱々しくて、
可愛くてたまりませんでした。
私はお姉ちゃんとして、
子育てやお手伝いを積極的にやり、
すっかり「家族のお姉ちゃん」として
色々な役割を担う様になっていました。
母は私に妹を預けて出かけてしまい、
なかなか帰って来ない事も多く、
大変な思いもしましたが、
自分が子供を産んだ時には役に立つ経験でした。
ですが、
ある出来事で開かれつつあった私のココロは
また固く閉ざしてしまいました。
小さい子ってよく食べこぼしをしますよね?
口の周りにいっぱいご飯をつけたり。
妹が口から食べこぼしたご飯を、
母は何のためらいもなく自分の口に
運んでいる光景をよく目にしました。
そんなある日、
少食だった私は自分の食べ残しを
母に食べるか聞いたのです。
その答えは、
「そんな汚い物食べる訳ないじゃない!」
でした。
妹の口の周りのご飯は汚くないのに、
私の食べ残しは汚いんだ!
ショックでした。
一生忘れる事ができないほどの衝撃でした。
それからも母は事あるごとに、
「自分のお腹を痛めて産んだ子は可愛い」
と言う言葉をよく口にし、
妹の事がいかに可愛いかを強調しました。
それを聞く度に、
「あんたは私が産んだわけじゃないから可愛くない」
と言われている様で、
私の心は傷つき、ますます固く心を閉ざすのでした。
心を閉ざした私は、元々細かった食が更に細くなり、
給食のパンがいつも食べられなくて
家に持って帰って来ては妹にあげていました。
一方で父はと言うと、
いつもカリカリピリピリしていて、
厳しく恐ろしい存在でした。
彼はストレスが溜まると、
母の留守中に私を虐待していたのです。
母が留守にしないと、
何かしらの理由をつけては私を外に連れ出し、
虐待されました。
母もよく殴られていました。
すると、母はすぐ家出をし、
更に私は父に虐待されました。
母は病気ばかりで入院を繰り返していましたので、
その間も私はいつも父の餌食になっていました。
小学4年生の途中で、
同じ市内にまた引越しをして、転校をしました。
そこで母が、
「お好み焼き屋」
を始めました。
商売はうまくいかず、1年足らずで廃業。
同じ場所で、父は車の保険の代理店を始めました。
家と繋がった事務所で仕事をする様になった父の、
私に対する虐待や束縛は年々激しくなっていきました。
母はその頃は気付いていた様でしたが、
見て見ぬフリをしました。
そして、父が私にあまりにも執着する事が
嫉妬心を煽ったのか、
母も私に対して虐待をする様になって行きました。
私は、ますます本の世界に逃げ込み、
暇さえあれば本ばかり読んでいました。
勉強机の前に座り、勉強をするフリをして
本を読んでいました。
おかげで、前にも書いた様に、
視力がどんどん悪くなり、
メガネをかける様になりました。
この頃から、
自殺を考える事が多くなって来ました。
また、父を殺そうかと思ったりもしました。
でもあんなヤツのために犯罪者になるのは
まっぴらゴメンだったのと、
幼児期に読んだ物語のおかげで、
今はツラくても、いつかきっと幸せになれるハズ!
と言う思いから、ひたすら我慢をしました。
高学年の頃には、ストレスから胃を壊し、
しょっちゅう急性胃炎で病院に担ぎ込まれていました。
中学に入ると、
自転車通学や部活動は父の許しが出ませんでした。
女の子だからと、色々な事を制限されました。
また、女のクセに出しゃばるんじゃないともよく言われ、
自分の意見を言うと、親に口答えするな!と怒鳴られ、
親の言う通りにしていれば間違い無い!
と言う事も繰り返し聞かされて、
全て親の言いなりになっていました。
男に生まれれば良かった!!!
何度そう思った事でしょう!
それからは、男に憧れて、
男っぽい物ばかり好む様になりました。
定期テストになると、
なぜオール100点取れないんだ!
と毎回父に正座で夜中まで説教をされました。
頑張っても頑張っても、
全てにおいて完璧を求める父に、
一度も褒めてもらう事は出来ませんでした。
その頃の私は、
身長160センチで体重が40kgに満たない、
恐ろしくガリガリのやせ細った女の子でした。
ストレスで胃はボロボロでした。
中学2年生の時、
中学校は変わりませんでしたが、
また引越しをしました。
その頃から、
母が外で働く様になったので、
掃除や洗濯物の片付けや洗い物、
幼稚園から帰ってきた妹の面倒などは
私の担当になりました。
母の留守中、私は父から逃れる為に、
唯一鍵のかかるトイレに逃げ込むのが
常になっていました。
そうすると、父は夜中みんなが寝静まった頃
私の部屋へ忍び込んでくる様になりました。
鍵のかからない襖の出入り口だったので、
つっかえ棒をして部屋に入れない様にしました。
それでも入ってくるので、
おかしいと思い窓を調べてみると、
いつの間にか窓の鍵がかからない様に
クレセントを細工されていました。
ここまでするのか・・・。
家に帰るのが嫌で、
帰り道に友達と道草をして少し遅くなると、
どこへ行っていたんだ!と詰め寄られ、
歯医者に行っていた、と嘘をつくと、
嘘を言え!
オレはさっき歯医者に行って確認してきたんだ!
そしたら歯医者は休みだったぞ!
監視されている・・・。
ゾッとしました。
車の保険の代理店をしていた父は、
車での外回りが主な仕事だったので、
常に私の行動を見張っていました。
同じく中学2年の学年末テストの直前、
また引越しをする事になりました。
そんな折、母が原付バイクで転び、
脚を骨折してしまいました。
今までの担当分に加え母の分の家事と、
ほとんど一人で引越しの準備を
しなければならなくなり、
勉強がほとんどできませんでしたが、
そんな事お構いないの父に、
なぜ成績が悪いんだ!と責められた時には、
あまりの理不尽さにあきれ返りました。
そんなわけで、中学の1年・2年・3年と
違う場所から同じ中学に通いました。
中学3年の高校を選ぶ際、
我が家は商売を失敗して借金があるから、
大学には行かせられない。
高校を卒業したら働いて、
家計を助けてくれないと困るから、
高卒でも働きやすい商業科に行け、
と言われました。
定期テストは結果を父に責められるので
嫌だったのですが、
先生や友達には恵まれており、
学校も勉強も結構好きだったので、
進学出来ないとわかった時はがっかりしましたが、
仕方がありませんでした。
でも、
行きたくもない高校受験のための
勉強には身が入らなく、
また、あんなレベルの低いところなんか
勉強しなくても余裕で入れる!
と強がって、ほとんど受験勉強を
しませんでしたが、
合格通知にホッとしたのも事実です。
そんな中学3年の時、
男子同士で回し読みをしていた
週刊少年サンデーをたまたま読む事があり、
すっかりハマってしまいました。
特に「うる星やつら」というマンガにハマり、
お小遣いでは、
ほとんどそのマンガを買っていました。
何が魅力的だったのかと言うと、
とにかく登場人物がそれぞれに個性的で、
奇想天外で、自由で、そして人と違っているのに
それを全然恥じていない事、
自信たっぷりに堂々と生きている事、
などがとても魅力的だったのです。
本に加えて、マンガからも私の生きる希望の
力をもらいました。
高校合格通知が届いた後、
久しぶりにお兄ちゃんと
本当のお母さんに会わせてもらいました。
小さい頃は可愛かったお兄ちゃんは、
剣道をやっているらしく、
精悍な少年に変わっていました。
顔も覚えていなかったお母さんは、
こんな人だったんだ、と思うだけで、
特に感動もありませんでした。
二人にはそれ以来、会っていません。
行きたくもなかった高校ですが、
有難い事に友達や先生には恵まれ、
楽しい高校生活を送れました。
高校では部活動に入る事を許され、
卓球部に入りました。
放課後や休日に家に居なくていい
理由ができたのが
私にとっては救いでした。
やすらぎの無い家、学校は天国。
そんな高校生活を楽しんでいた
二年生の12月のはじめに、
晴天の霹靂の出来事が起こったのです!
その内容は、また次回で。


