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100年前に台湾に尽力した別の近藤氏

Image by Olia Gozha

近藤兵太郎氏を御存知でしょうか。

彼は1888年に生まれ30歳の時に台湾に来ました。

そして嘉義の嘉義農林学校で教鞭を取り、後に野球部の監督として指揮を執り弱小嘉義農林学校をまたたく間に闘えるチームへと育て上げ、初出場の甲子園では初出場ながら準優勝を修め、弱小チームを強豪チームにしたのです。

嘉義農林学校は氏の元、その後も強豪として名を馳せ多くのプロ野球選手を排出しています。

当時は日本統治時代、彼は当時度々「日本人は守備がうまく、台湾人は打撃に強く、原住民は走ることに長けている。こんな理想的なチームはない」と周りに語っていたようです。

私(近藤威)は1988年に生まれ、26歳の時に台湾に来て今30歳です。

氏は私のちょうど100年前に生まれ、歳の同じ頃に台湾に渡り尽力されたということで同じ姓ということもあり大きな驚きとともに不思議な縁を感じずにはいられません。

私は台湾発展と人々の幸福のために仲間と日々尽力しています。

私の周りには日本人がいて、台湾人と原住民がいて、氏の言葉を借りるならば「こんなに理想的な環境はない」と言えます。

これを励みにして明日から更に頑張りたいと思います。


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