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【第11話】恋する惑星:シンガポール1996年、ベンクーレン通りの安宿にて

Image by Olia Gozha

シンガポール6日目、朝食ゴリラは相変わらずヌテラと食パン、バイク便はお茶を入れ、僕はカップラーメンを人数分買ってきた(もちろん数日前にゴリラに嫌味を言われた腹いせ)。カミラ1&2はクラッカーと果物。ベランダの机に並べればそれなりに豪華に見える。朝食のネタはもちろん昨日のバイク便とICUのデートの報告。バイク便は、いや、デートってわけじゃなくて、大学の授業の話をして、それから明日の午後、ICUがボルネオのコタ・キナバルに飛ぶことになったこと、そのためのチケットの手配や、ボルネオ島の旅行情報の収集などに時間を費やしたことなどを報告した。「おめでとうケツの穴。で、お前はインドに逃亡しておさらばってわけだ。」ゴリラが食パンを食いながら淡々と言った。ICUは無言でバイク便が淹れたキャメロンハイランドのお茶に口をつけいてる。僕は昨晩、バイク便からインドには行かないことを聞いてたので、これをどう切り出すのかと耳を澄ませていた。ICUが静かに口を開く。「ボルネオには東南アジア最高峰のキナバル山って山があるらしいです。私、その山に登ってみようかなと思って。」カミラ1&2がその話に異様に食いつく。それは、どんな山なのか、特別な装備がなくても登れるのかなど次々にICUに質問を浴びせる。その質問に丁寧に答えるICU。「特に必要なものはいらないみたいで、グループごとにガイドさえ雇えば誰でも登れるみたいですよ。あ、よかったらカミラさんたちも行きますか?」カミラ1&2は大盛り上がりでICUにさらに話しかける。「とっても面白そう。朝食のあとでもっと詳しいお話を聞かせてもらっていい?予算次第では本気で考えるわ。」一人でのボルネオ行きを不安がっていたらしいICUは心強い道連れができそうな予感に目を輝かせている。バイク便、君はインドに行かないんだろ?で、ここでまだ沈没してるつもり?それとも?でも、話の流れ的にはICUとカミラ1&2の3人旅は固まりそうな気配だ。そのときバイク便がおもむろに口を開いた。「実は、僕もキナバル山に行くことにしたんだ。」ぼそっとつぶやくバイク便。「えっ?」まんまるくなったICUの目がバイク便を見つめる。「いや、僕もICUとキナバル山に登ろうかなと思って。」「え、でもバイク便さん、インドのビザを取ったんでしょ。いいですよ、私は何とかなりますから、インド行ってくださいよ。行きたかったんでしょ。」「インドはとりあえず延期。」みんなの視線はバイク便に釘付けになる。「本当ですか?」ICUは探るようにバイク便を見つめる。バイク便は続ける。「うん、ビザはマルチの6か月だから、キナバル山に行ってからでも行けるから。」「キャー、ワー、オーマイゴッー、ミラクル、ミラクルよ~。」カミラ1&2が立ち上がって叫びまくる。ICUは喜びを押し殺しつつも、顔には笑みが漏れ出している。「3週間ほどボルネオに行って、またここに戻ってくる。それからICUは帰国、僕はインドに行く。」立ち上がって小躍りしているカミラ1&2が座ったままのICUを両脇から抱きしめる。ICUの顔が左右からLLサイズの巨乳に沈み、顔面を歪ませながらも満面の笑顔。ちょっとうらやましい。あとからカミラ1&2から聞いたのだが、彼女らは昨晩ゴリラからこの二人のことを洗いざらい聞かされ、人の良い二人は彼女のことが気になっていたのだという。ゴリラはしましまの半ズボンからくしゃくしゃになったマルボロを取り出して火をつける。ふーっと鼻から煙を出す横顔が妙に渋い。たぶん、こいつはこんなふうに喜びを表す男なのだろう。それから、ゴリラはマルボロを放り投げてきたので、僕も微妙に湿ったマルボロを一本取りだして火をつけた。バイク便にも勧めたが、彼はたばこを吸わない。「じゃ、今夜はこいつらの送別会をすることにしよう。オレ様がシンガポールで一番ハッピーな店にお前たちを招待してやる。集合時間は19時、遅れるやつにはメモを残しておくので、必ず参加するように。」これで朝食は解散。ゴリラは仕事に、ICUとバイク便は追加の航空券の予約に出かけて行った。うまくいけば二人は明日の早朝ここを発つ。僕も午後のフェリーでバタム島に向かうことにしよう。僕は洗濯と荷物の整理を始めた。カミラ1&2はICUへの同情以上にキナバル山に惹かれたらしく、本気でボルネオに飛ぶかどうかについて話し合っている。しばらくすると、ICUとバイク便が戻ってきた。無事に同じ便の航空券が取れたらしい。これで決まりだ。それからバイク便も洗濯を始めた。昨日借りたポロシャツは洗って返すと彼は言ったけど、他人の汗がぐっしょりと染みついたポロシャツは洗ってもなんだか気持ち悪いし、それにまたICUと同じような機会があるかもと思い、ペアルックの片割れはあげることにした。彼はそれは申し訳ないと言ったけど、僕が記念だからというと礼を言い、かわりにお土産用に買ったというタイガービールのTシャツをくれた。それからカミラ1&2は、キナバル山についての情報をICUとバイク便から聞いてはいたけど、さすがに一緒に行くとは言わなかった。あと数日ここに滞在し、他に魅力的なところがなければボルネオに行ってみると彼女たちは言った。キナバル山で私たちとばったり会っても無視しないでねとカミラ1が言うと、カミラ2は、そうそう、そのころにはきっと私たちが前を横切ってもハネムーン中のあなたたちは目に入らないでしょうね、と冗談を言った。それからは思い思いに19時までの時間を過ごした。その頃、旅は1day 1swingと言われていて、つまり1日にやれることは一つだけ。二つはできない。僕は洗濯をして移動の準備をすれば一日の仕事は終わり。バイク便は航空券を取って、その上移動の準備までしたので、それ以上何もする気はなさそうだった。シンガポール最後の夜。ゴリラがみんなを引き連れていったのはクラークキーにあるフーターズ。知っている人には説明の必要がないお色気ウェイターが歩き回るナイスなレストランバーだ。超ご機嫌のゴリラはパーティーの開始早々吠えた。「今日は金曜日で幸いなことに明日仕事がない。徹底的に飲もう!ウホー!」まあ、その後はいつも通りに飲んだ。僕以外は。酔いが回ったゴリラがカミラ1&2にウェイターのコスチュームをプレゼントするので宿で着用してくれと下品なリクエストをして二人から即座に却下された。それから女子3人と男3人は何となく隣同士の小さな丸テーブルで分離しつつ宴は続いた。ゴリラは意に介さずに飲み続けた。昨日の夜の話の続きが気になった僕はバイク便に聞いてみた。「で、ICUには自分の気持ちを伝えたの?」バイク便はやや動揺して、そのことは言ってないという。「いや、でもさ、それは向こうも気がついてると思うよ。それに、ボルネオに飛んで一緒に行動するんだから。その辺はもうお互いに、言わなくてもさ、ほら。」それを聞いたゴリラがキレる。バイク便が弁解する。「いや、だからもう僕の気持ちは伝わってると思うし、何もわざわざそれを言う必要はないじゃないか。」ゴリラが吠える。「言え、今、言え。クソ野郎。」「おい、ICU!バイク便がお前に言うことがあるらしいぞ。」ゴリラがバイク便に肘鉄を食らわせてICUの方に押しやる。これはおもしろい展開だ。「あの、ICU、ずっと前から好きでした。」バイク便はここだけは日本語で少々どもりながら言った。「あ、何だって?俺のわかることばで言えよ!」「いや、もう言ったよ。君はさっき英語で言えとは言ってなかっただろう?」「おい、サドリーボーイ、こいつ本当に言ったのか?言ったのか?」僕はちょっと考えて、言ってないとゴリラに言おうとしたけど、言うべきことは言ったよ、とゴリラに伝えた。まあ、ICUもまんざらでもない様子だったので。よかった。とにかく遅くまで飲んで、帰りは歩いた。ゴリラとバイク便、カミラ1&2は肩を組んで喚きながら歩く。その後をICUと僕がついて歩いた。僕は、よかったね、とだけ言った。「明日、コタキナバルに着いたらキャサリン妃さんに電話しなくちゃ。彼女にはどうなったか連絡してってホテルの電話番号をもらったの。私も、キャサリン妃さんほどじゃないけど、これからはもっとパワフルにいかなくちゃ。」つい数日前のキャサリン妃とのトラウマが脳裏をよぎる。少し酔ったICUが独り言のように続ける。「いろいろ考えても仕方ないもんね。私は若くてまだ学生なわけだし、すぐに結婚するわけじゃないんだから、もっと自由に自分の思い通りに行動しても良いんだと思う。」ICUは何気なく言ったけど、僕はちょっと引っかかった。それは気にしすぎなのかもしれないけど「結婚するわけじゃないんだから」ってことは「結婚するわけ」だったら、君はまた別の選択をしていたの?「結婚するわけじゃないんだから」自分の気持ちに素直に行動する。じゃあ、「結婚するわけ」だったら?その時に僕は思った。こういう何気ないことばのひとつひとつにバイク便は苦しみ、悩んできたのではないかと。最終的に彼は決断したわけなのだけど、今後もこんな何気ないことばのひとつひとつに彼は苦しんでいくのではないかと思うと、複雑な気持ちになった。二人の間にはやっぱり埋めがたい溝のようなものがあって、今後、その溝はことあるごとに二人を苦しめるのかなあと思うと、何とも言えない気持ちになった。でも、きっと考えすぎだろう。今はそういうことにしておこう。「うん、まあ、とにかく楽しんでね。バイク便が一緒だったら安心だよ。」僕はあたりさわりのないことを言ってその場を無難にやり過ごした。その夜もカミラ1&2のいびきはすさまじかった。珍しくゴリラも目が覚めてしまったらしく、僕たちはベランダでタバコを吸って時間をつぶすことにした。ゴリラが言った。「お前も明日の午後には出るんだろ?」僕が答える。「うん。いろいろありがとう。楽しかった」ゴリラは無言でタバコに火をつけながら言った。「あ、フーターズのコスチューム買うの忘れた。」ゴリラと僕は、はははと笑った。つづく

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Image by Jukka Aalho

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