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こせがれの夢①

Image by Olia Gozha

幼少時代

わら屋根のペンペン草と苔が生えてるボロ家。5反百姓の長男として生まれた。


家族10人の大家族で、父、母、祖父母、祖祖父母、祖祖祖母(100歳)、妹、叔母と自分で、おばさん、おばあさん、100おばあさんと呼び分けていた。


食卓は長いテーブルに模様のあるビニールが敷いてある。雨が降ると、雨漏りでテーブルには皿が並ぶ。

玄関は土間を改造してコンクリートで家の中に、なんと車が入ってたように記憶している。

キッチンは土間で、横には薪を入れる五右衛門風呂、風呂は周りにさわると、火傷するぐらい熱い。


父は、厳しい生活を解消するため花屋を開業を試みたが、祖父に農家のプライドで他の仕事を許してもらえなかった。

葬儀店や庭師を手伝っていて、時には長芋やシクラメンを仕入れ行商に歩いていたことも思い出します。

理由は今だにわからないが、母が泣きながら自分の手を取って実家に歩いて飛び出したことも思い出す。


あの頃、母は地元スーパーに勤めていて、ミートボールを弁当に入れてもらってたのが楽しみだった。

刺身と天ぷらは何か特別な時に食べるメニューだった。


保育所での思い出は、大っきな部屋でのお昼寝。基本運動は苦手だった。


小学校に入学すると学級委員長になった何故そうなったかは覚えていない。

ただ、5歳から習字を習っていた。

それ以来、5年間ずっと学級委員長を務めることになった。

母は、農家を継がせないように必死になって、1週間で1日しか塾の無かった日はなかった。

となり町の塾にも通って、夜中まで英才教育。イヤイヤな日々。

口ぐせは、クーラーの効く部屋で仕事しなさい。立派な会社に勤めなさいと言ってた。

そんなことから、その頃の夢は、大手ゼネコンに勤めることだった。


6年生になると児童会長の選挙をすることになって、友人にあおられて立候補することになる。

ひとクラスしかないが、4人立候補し自分が当選する。

その夜、我が家で皆で夕食会で、生まれて初めてお腹をこわして浣腸した。アホだ。

小学校の時、振り返れば優等生だったと振り返る。


あ!ラジコンでバッテリー充電の為、野積みされたバッテリーを拝借して怒られ、親が支払って和解したこともあったかな。


中学校へと続く。

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