はじめに
僕は高校でアメリカへ、大学でシンガポールへ、2回交換留学をしています!
よく「なぜもう一度留学に行こうと思ったのか?」と質問されることがあるのですが、 アメリカへの高校留学で「人とは違う経験」をしたことが大きく関係しています。
「人とは違う経験」とは何かと言うと、異国の地へ単身留学をした結果「うつ」と診断され、さらに「アメリカの裁判所」へ連れて行かれた経験です。
今でも思い返すと「ゾッとする」経験ですが、順を追ってお話しします。
高校でアメリカへ単身留学

留学と聞くと、大学での留学を想像されるかと思います。
「高校生で1年間の交換留学」をすることは、まだまだ少数派だと思います。
どういう経緯で留学することになったのかはここでは割愛しますが、「自分の知らない世界を見てみたい!」「生きた英語を身につけたい!」と人並みに情熱を持って、単身渡米しました!
辛い現実が待っていた!
留学中にしてみたいことはたくさんありました!
アメリカ人とアメフトの試合観戦をしたい!
現地校のパーティーに参加してみたい!
アメリカ人の友達をたくさん作りたい!
しかし、あの時まだ僕は「重大な勘違い」をしていることに気がついていませんでした。
それは、「留学生は歓迎される存在である」ということ。
日本に来る留学生と言えば、転入早々に「興味の的」としてクラスメイトに囲まれ、慣れないながらも英語を使って「話しかけてみる存在」です。
僕の留学先であるテキサス州は、メキシコと国境を接するアメリカの南部にあたります。
「白人」の割合は高くなく、メキシコ系のヒスパニックや、ベトナム戦争の名残で多くのベトナム人が暮らしています。
人間関係
日本に留学してくる留学生は目立ちます!それは、日本人は単一民族なので、多くの場合留学生の外見が異なるからです。
しかし僕の滞在先は、アメリカで最も移民が多い州。ベトナム人も多いので「アジア人であること」は珍しいことではありません。
また、民族によってすでに「コミュニティ」が形成されていました。
「約3000人」と言うマンモス校に通っていたので、瞬く間に孤立しました。
何度も練習した「自己紹介」は、そもそもクラスが存在しないため、役に立つことはありません。
何より辛かったのが、差別が色濃く残っていたことです。
肌の色に敏感な「ヒスパニック」や「黒人」に、外見をけなされたり、国家の対立から「韓国人」や「中国人」から陰湿な嫌がらせを受けたりもしました。
語学力
もちろん英語でのコミュニケーションも苦労したのですが、何とか人間関係を築こうと入部したサッカー部には「ヒスパニック」しかいませんでした。
彼らは日常的にスペイン語を話すので、練習中に何を言ってるのか理解することはできません。
無理に作った笑顔でその場に溶け込もうとする自分の努力を虚しく思ったことを覚えています。
またここでも「差別」はあり、「アジア人のくせに〇〇」という言葉を何度聞いたか分かりません。
孤独
もちろん学校に日本人は1人もいません。
友達もできず、日本語を話す機会もなく、うまく自分を表現できないもどかしさを毎日抱えていました。
常に「コミュニティーの外」にいる、孤独を感じました。
病院で鬱と診断される

なんとか自分を奮い立たせたり、音楽を精神安定剤に生活していたのですが、ある日「原因不明の頭痛」に悩まされるようになりました。
それは文字通り「頭が割れるような頭痛」で、あまりの痛さから普通に歩いたり眠ることができなくなりました。この時1日の睡眠時間は3時間を切っていたと思います。
気休めの頭痛薬を飲み、痛みに波はできるようになりましたが、いざ学校に行こうとすると痛みが強くなり、どうしても部屋の外に出ることができません。
今思えば、学校に行くことがストレスになり身体が拒否していたのだと思います。
家族に相談すると、最初はアレルギーだろうくらいに思っていたのが、どこの内科に行っても原因が分からないので、 ついに街で1番大きな病院に行くことに。
脳に異常がないことを確かめるため、 MRIを撮ったりしました。
そしてたどり着いた先は「精神科」でした。
担当のドクター簡単な検査やカウンセリングを行った結果、「うつですね」と笑顔で言われました笑
どうやら僕は、「思い描いた理想」と「現実」の差に耐えられなかったようです。
裁判所へ連れて行かれる!?
ここで、さらに追い打ちをかける出来事が起こります。
アメリカ50州のうち、テキサス州とワイオミング州では「登校すること」が州法によって定められているのです。
つまり、「学校を休むことが違法」なのです!笑
(正確には、1年間で◯回以上欠席してはいけない)
何ともおかしな法律ですが、学校が登校人数によって州からお金を受け取ることになっているので、学校は全力で「欠席」を阻止してくるのです。
この時の僕はどう考えても学校に行ける状態ではありません。
そんなことはお構いなしに学校休めば1日に7回電話がかかってきます。
「保護者は認識しているのか?」
「病院には行ったのか?」
「診断書はあるのか?」
「明日は学校に来れるのか?」
「嘘はついていないか?」
もはや機械のように単調な口調で問い詰めてきます。
そしてある日、僕の元に「1枚の紙」が届きました。
送り主は「テキサス州」僕は自分の目を疑いました。
よくよく読んでみると「召喚状」と言うそうです、要は「あなたは裁判所に来なさい」と言うことです笑
立ち直るまで

裁判所にたどり着くと、裁判長である「ハゲたおっちゃん」に名前を呼ばれました。
罪状「学校を休んだこと...」
よくもまぁ笑わずにいられるなあぁとは思いましたが、仕方がありません。
「I am guilty」(罪を認めます)
映画のワンシーンのようなセリフを言わされました。
幸運にも「留学生であること」と「うつ病の診断があること」を考慮されて、反省文とボランティア活動を課され帰ることができました。
その当時、僕は「死にたいとは思いませんでしたが、生きてる意味は分からない」
そんなことばかり考えて、毎晩泣いていました。
完全に引きこもりの生活を送っていましたが、時間をかけて「自分と向き合う時間」を作ったり、カウンセリングを受けることで徐々に立ち直ることができました。
今でも僕に手を差し伸べてくれた人には、感謝してもしきれません!
得た学び
では、留学しなかった方が良かったのか?とか留学は失敗だったのか?という話をしたいと思います。
僕はこの経験から、月並みですが2つのことを学びました。
他人の「成功の型」に囚われないこと
一般的な留学とかけ離れた僕の1年間は「成功」とはかけ離れているでしょう。
たくさん友人を作るとか充実した楽しい毎日送ることはできませんでしたが、「僕は留学してよかった!」と自信を持って言うことができます。
それは、数少ない親身な人と深い関係を築いたり、英語の学習に没頭することで次の目標を見つけることもできました。
また、多感な時期に世の中の不条理について考えることもできました。 自分としっかり向き合って導き出した「成功の形」に僕は満足しています!
他人を「個人」として見ること
日本人であること、アジア人であること、それは単なる僕の特徴の1つに過ぎません。
にもかかわらず、僕はこの特徴に縛られ悩まされ辛い思いをしました。
それ以来、肌の色が何色であるとか、生まれた国がどこである、そのような情報だけで人を判断することは絶対にしないようにしています。
まとめ
この話は、僕が書いている「わびさび はっく」というブログに書いた話です。
今回は高校留学について書きましたが、大学でシンガポール国立大学に「理転留学」している話など書いているので、良ければ他の記事も見に来てください。
わびさび はっく - http://wabisabihack.com/

