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【第5話】恋する惑星:シンガポール1996年、ベンクーレン通りの安宿にて

Image by Olia Gozha

ゴリラとパブに向かう途中でバイク便とばったり出くわした。正直なところ人間である僕はゴリラ語は半分くらいしかわからなかったので、バイク便の出現はゴリラと僕をほっとさせた。ますます気をよくしたゴリラは僕とバイク便に1パイントのギネスを奢ってくれた。それを顔色ひとつ変えず淡々と飲むバイク便。顔をしかめながら飲む僕。

「お前みたいにうまそうにギネスを飲むヤツは初めてだ。」

ゴリラが皮肉を飛ばす。やかましい。あ、そうそう、朝会ったインド人たちはお前の仕事仲間かと僕がゴリラに聞くと彼はこう答えた。

「やつらはパキスタン人だ。急きょ潜水士が足らないってことで、俺がやつらに仕事を仕込むことになった。これってほんとは違法なんだぜ。まあ、でも追加手当ても出るし、俺にとっては面倒ではあるけど悪くない。それに今度の現場はたった7メートルだから、何かあればケツを蹴り飛ばせばすぐに浮かび上がるさ。で、今の会社はイギリス系。俺たちもあいつらもいまだに大英帝国の奴隷って訳さ。」

ゴリラもなかなか大変な思いをしているようだ。それからはバイク便とゴリラが現在のアイルランドとイギリスの関係について質問すると、ゴリラはなぜか自分の身の上話を始めた。

名前は忘れたが、彼はなんとかって言う田舎町の出身で、彼の父親もその兄弟もみんな潜水士なのだと言う。父親はイギリス本土やら北海やらにずっと出稼ぎ生活で兄と自分は母親に育てられたとのこと。高校を出てからは兄と同じように父親と同じ会社に入り潜水士の修行をした。

とにかく長い、そして半分くらいはわからない。でも、ゴリラは真っ赤な顔でお構いなしに話しまくる。

「高校を出てからはあっちの現場、こっちの現場をぐるぐる。そのうちイギリスでは稼げなくなって兄貴はブルネイ、俺はここ。」

やっとゴリラの独演が終わり、話が一区切りついたところで、バイク便は親父さんはどうしてるのかと問う。

すると、ゴリラの親父さんはある現場で怪我をしてからは地上勤務になり、主に潜水士の取りまとめと管理をしているのだと言う。今回の仕事の話も親父さんの紹介なのだと言う。シンガポールでの仕事の契約はあと5週間ほどで、それが終わったら兄がいるブルネイに移るのだそうだ。

「高校の同級生は25人くらいだったが、その中で地元に残ってるのは2、3人だけ。パブの倅と役所に入ったヤツくらいかな。故郷にはまともな仕事がほとんどなくて、みんなアメリカやカナダで仕事したりしてるんだ。」

ゴリラがこう話すとバイク便が質問し、ゴリラが答える。

「確かにアメリカにはアイルランド系の移民が多いんだけど、いまだにそんな感じなの?」

「まあ、昔ほどひどくはないだろうけど、国に仕事がないってのは相変わらずだな。仕事に来てる俺と、遊びに来てるお前らじゃえらい違いだ。まあ、しかし、自分の境遇を呪ったところで、どうにかなるもんじゃない。」

僕は何も言えずにゴリラの話を聞くしかない。ゴリラは続ける。

「お前らはたまたま日本に生まれて親に大学まで入れてもらって、休みには海外旅行。けっこうなご身分だ。まあ、せいぜいそのチャンスを生かして見聞を広めると良いよ。せっかくのチャンスを生かさないヤツはクソ野郎だ。」

バイク便がゴリラをじっと見つめている。僕は旅行の資金はバイトして稼いだものだとか言ってせめてもの抵抗を試みるが、そんなものは屁の突っ張りにもならない。

ゴリラにパキスタン人たち。そう言えば僕らが泊まっている安宿にいる人の半分くらいはどう見ても観光客ではない。改めてそれらの人たちと自分との境遇の違いを考えるとなんとも言えない気持ちになった。意気消沈するバイク便と僕。

その様子を察してかゴリラが軽口を飛ばす。

「まあ、でもお前らみたいなお気楽な学生と飲むのも悪くないよ。いろんな話が聞けるし、自分も学生になって世界を旅してるような気になれるからな。おまえらはおまえらの生活を楽しんだらそれでいいじゃないか。」

ますます複雑な気持ちになる僕たち。それからゴリラとバイク便はシンガポールのことについていろいろと話し、僕はトイレでギネス風味のゲロを吐いた。

「エイ、メイツ。俺はまだしばらくここにいるから、悪いが適当にお開きにしてくれ。今日は楽しかったぜ。ありがとう。また飲もう。」

ゴリラは同郷のゴリラの群れに合流してウホウホ騒ぎ出したので、僕とバイク便は帰ることにした。帰り道でバイク便がつぶやいた。

「やっぱり僕はまだまだ甘いのかなあ。」

僕は聞こえないふりをして、黙って歩いた。

つづく

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