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エスパニョール選手寮生活記6/夢に届かずとも挑戦は無駄にならない-未来のサッカー選手候補と暮らして感じた、真剣に生きるからこそ得られること

Image by Olia Gozha

◆ひとつ言えること

子どもたちとの生活もしばらく楽しい日々が続き、突然に別れの時はやってきた。知り合いのマンションの部屋に空きが出て、そこに僕が変わって住むことになったのだ。選手寮での生活も、3か月が過ぎようとしていたころだった。

 

スペインのサッカークラブは、クリスマス前後から休暇に入る。子どもたちも里帰りのため、年末は人がいなくなる。僕の引っ越しは、そんな年末にちょうど重なった。ほぼ誰もいない寮から、いそいそと荷物をまとめて引っ越していく。


スペイン人は義理がたいというか、以前寮を出て行った仲間に対して、「あいつは挨拶もせずに出て行った。バカだ」と言っていたことが頭の片隅によぎる。だからじゃないが、その時はみんなにお別れを言えなかったので、後日寮を訪れて出ていくことを説明した。少なからず、寂しがってくれる子もいたと思う。

 

その後もバルセロナ在住だった数年間は、時間の許す限り、子どもたちの試合を見に、下部組織のグランドまで足を運んだ。ピッチの横で話したり、そういう選手との近さや地元の人々で見守る感覚が、日本サッカー界との大きな違いのように感じた。

選手とファンの距離、ピッチと観客の距離、スタジアムと自宅の距離、すべてが“近い”からスペインにはサッカーが根付いているのだと思った。

 

始めは僕もみんなとMSNのチャットなどしていたが、Gmailの躍進も一助となり、実質的に距離も離れ、リアルでもデジタルでも会う機会が減少していった。

いつか、トップチームの取材のときにスタジアムで会えたらいいな、なんて希望も胸に抱きながら。

 

そして自分が日本に帰国して以来、その後の選手たちの情報は、ほぼ入手できなくなった。結果的に、彼らの中でトップレベルで活躍したのは、把握している限り、以下の3人である。

 

■フリアン…MFとしてエスパニョールトップチームでプレー。数年前、チームに戻って下部組織のコーチに就任したことを友人の記事で知る http://espanyolnews.pokebras.jp/e197986.html

■アンヘル…MFとしてエスパニョールトップチームでプレー。コンスタントに活躍して、イングランドでもプレー。

■ミゲル・パランカ…FW。その後レアル・マドリーの下部に移籍して、なんとバルサとのクラシコ出場も果たす。それでも、レアル・マドリートップチームでの出場は数回。リーガ内の中堅・小規模クラブを渡り歩き、プレーを続けた。

 

他にもリーガ内で頑張っていた選手はいるのかもしれないが、やはりみんなの消息をたどるのは難しい。

トップで通用した選手が3人。この数字を多いとみるか、少ないとみるかは人それぞれだ。

 

ただ、ひとつ言えることがある。

あの頃寮にいた子どもたちは、みんなサッカー選手になるという夢に、本気度の違いこそあれ挑み、そして結果を受け入れていた。

 

GUITIのように、目の前の壁をしっかり認識して、選手とは違う自分らしい生き方を探す。実際に、Bチームの19歳ぐらいの選手でも早いうちから指導のライセンスを取得して、現場でチームを見ながらプレーを続ける選手もいた。

 

そういった結果は全て、夢に挑んだからこそ、得られた実感なんだと思う。

今の日本は夢を見にくい世の中だけど、真剣に生きれば、何かしら得られるものはある。

ひとつめの夢に破れても、そこで得た経験は、必ず次なる夢のヒントになる。

そんなことを、エスパニョール選手寮の子どもたちは、僕に教えてくれた。

 

サッカーに関わっていてもいなくても、それぞれが違う夢の形を見つけて、幸せに暮らしていて欲しい。

そんなことを、遠い日本から願い続けている。

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