第6章:ブレストと教育 編(58〜68話)
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バイクで帰郷するというこの経験は、
オレにとっても彼女にとっても、大切なモノになっている。
飛行機でわずか1時間半で東京から九州に行けるところを、
わざわざ極寒の1月に、
途中のコンビニで、何回もホットココアを購入しながら、
バイクでタンデム(二人乗り)し数日かけて帰ってきた。
国道1号線で東京から大阪。
2号線で大阪から北九州。
そして最後は国道3号線。
ビッグスクーターは横風にマジで弱い。
何台もの大型トラックが高速道路並みのスピードで吹っ飛ばしてくる道だ。
風でよろけても絶対にこけられない。
こけたら大事故に繋がること間違いナシ。
急に大雨に降られた日もあった。
「大丈夫か?」
「うん!大丈夫!」
何回も声をかけあった。
ビッグスクーターは、股で車体を挟まないライディングスタイルなので、
体重移動が非常にやりにくい。
後ろに人を載せていると、
その人の体重の分まで”自分の両腕だけ”で支えながら走っている感覚がある。
2時間程度の移動だと何も問題はないのだが、
1日8時間以上走ってると腕がパンクしそうだった。
だが、
”弱音は吐けない”。
彼女は両親から、
”箱根の山を超えた地域の人とはお付き合いをするな”と
言われていたのをオレは知っている。
もし結婚したら、気軽に帰って来れない距離になるからだ。
だからこそ、軽い気持ちではないことを証明するために、
”マジェる”で一緒に箱根の山を超えたかった。
飛行機で寝ている間に九州に到着したんじゃない。
自分でアクセルを回して、
二人の意思で九州に帰ったんだ。
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地元に戻ると早速、開業に向けた準備を始めた。
休職中に、貯金はほぼ使い尽くしていたので、
まずは資金調達。
作成していた事業計画書を金融機関に持ち込み、熱意のままにしゃべった。
が、
世の中そんなに甘くない。
理想と熱意だけでは起業は出来ない。
事業計画があると言っても、
それはうまく言った場合の話だ。
特に国が運営する公庫は、融資には慎重だ。
一般の銀行と比べて利率が低い分、
きちんと返済できるかどうかの審査が厳しく行われる。
例え、”事業計画書”が素晴らしい出来だったとしても、
融資金額と同額程度の資金を持っていないと、
なかなかとりあってもらえない現実があると、
起業のために買いあさった本の中に書いてあった。
手持ち資金はほぼゼロ。
もう親には迷惑と心配はかけられないと思っていたが、
やっぱり頼ってしまう羽目になった。
そんなに大きな融資金額ではなかったが、
親に保証人になってもらい、
融資を受けられる運びとなった。
”お金が貯まったら起業する”
オレも最初はそう考えていた。
普通はそうだろう。
だが、手持ち資金ゼロから起業した者から言わせると、
”本気だったらすぐにでもやっちゃえば?”って感じだ。
多少、借金を背負うことになるが、
何とかしなければ!と自分を奮い立たたせ続けることが出来る。
また、感謝の気持ちも持ち続けることが出来る。
”若いうちの苦労は買ってでもしろ”という言葉があるが、
オマエも自分の意思と自分の責任で、苦労を買ってみたらどうだ?
その経験もまた、オマエの財産と成るかもしれないな。
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石橋をたたいてわたる時も必要だが、
たたき過ぎて割れてしまったら意味がない。
真面目で責任感が強い人ほど、
”精神的に病んでしまうことが多い”と、
通院中に医師から説明があった。
責任感が自分にあるかどうかは、よく分からないが、
”頭がカタイ”と自分では認識出来ている。
快方へ向かう過程は、頭と心を柔らかくする過程でもあった。
結局、オレは”失敗”を恐れ過ぎていたんだ。
”完璧”にやらなければいけないと思い込んでいた。
自分一人の力で何でもやるのが当たり前だと思っていた。
失敗の責任は全て自分にあると思い込んでいた。
自分の正直な感情にYESと言えなかった。
失敗してもいいじゃないか。
誠心誠意、謝ろう。
もう一度作戦を練り直そう。
スポーツだって、”次”があるじゃないか。
失敗した時のことを考え過ぎて、
”一歩踏み出す勇気”を無くしてしまうなんて勿体無い。
人は自分一人では生きてはいけない。
信頼し合おう、
励ましあおう、
許し合おう、
愛し合おう。
”自分の弱さに気付いた時、オレは強く成ることが出来たんだ”。
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高校球児が甲子園を目指して一生懸命練習するのと同様、
明日の小さなサッカー選手たちがボールを一生懸命追いかけるのと同様、
目標に向かって頑張ることはカッコいいことだ。
スポーツだけじゃない。
勉強でも仕事でも、
さらに言えば人生もだ。
人が一番輝いている瞬間とも言えるだろうし、
その姿には感動を与える力がある。
また、
その頑張りの積み重ねが、人類の歴史と言っても過言ではないだろう。
オマエには、上手くいかなかった時のことを考え過ぎたり、
他人からの評価を気にし過ぎたりして、臆病になってほしくない。
オマエは、優しくて賢いから色んなことを考えてしまうのかもしれないが、
自分を信じて、前に進んで行こう。
成功や失敗は1回すればいいというものでもない。
今は上手くいってても、その先も順調とは限らない。
逆に、
今不幸のどん底だとしても、この先もずっとそうとは限らない。
だからこそだ!
過去を学び、今を本気で努力し、
未来を切り開いて行こうじゃないか。
楽しく、本気で、そしてバランスも考えながら。
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実家の一部分を改装して、進学塾ブレストの教室が出来上がった。
入塾説明会の日程を決め、
それを知ってもらうための新聞折込チラシも作成した。
最初の問い合わせの電話は忘れられない。
チラシを折り込んでも、2〜3日音沙汰がない日が続いた。
どうしよう、どうしよう。一人も生徒が来てくれなかったらどうしよう。
そう思ってた矢先。
ホームセンターのエスカレーターに乗った瞬間だった。
ケータイが鳴る。
塾の電話にかかってきたものが転送されてきたようだ。
二段上に乗ってる妻が見守る。
オレ:「お電話ありがとうございます。進学塾ブレストです。」
相手:「あの〜。チラシを見て電話したんですけど〜。」
新中3生の娘を想う母親からの電話だった。
エスカレーターが昇る。
気持ちが高揚する。
ガラス越しに見える外の景色が変わる。
二段上に乗ってる妻が微笑む。
その後もお問い合わせが10数件あり、
入塾説明会では、進学塾ブレストの理念を訴えた。
だって、それしか言えることが無いんだもん。
成績が上がるという保証も無い。
合格実績も無い。
評判も無い。
口コミも無い。
ただ、自信だけはあった。
この日のために準備と努力はしてきた。
「結果で証明します!見ててください!」
その言葉を信じていただいた方の恩に報いるために、
オレは全身全霊で生徒にぶつかっていった。
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全学年、全科目をオレ一人で担当した。
ライバルを意識しやすい環境を作り、
生徒一人ひとりを徹底的に鍛え上げる。
保護者様とのコミュニケーションも大事にしつつ、
気持ちの面からも生徒をサポートし続けた。
敵を知り、自分を知り、勝つための効率的な努力をする重要性を生徒に伝えていった。
時間や命は有限なんだ。
そして、頑張ったらご褒美があることも教えた。
だから、
進学塾ブレストの定期テスト前の生徒の士気はマジで半端ない。
だから、
結果がすぐに出る。
6月に実施された定期テストでは、ある科目で塾生のほとんどが100点を獲得した。
何も特異なことはやっていない。
定期テストに出ると言われた範囲を、オリジナル対策プリントを作って、
何回も徹底的に強制的に練習させただけだ。
勝つためにやるべき、当たり前のことを当たり前にやっただけ。
まぁ、
強いて言えば、定期テストが実施される2ヶ月前から、
オレが休んでなかったことがポイントかな!
一人で定期テスト対策授業をやっていたので、
本来は塾が休みなはずの土日の午前中から夜までぶっ通しでやっていたんだ。
おっと!
危ない危ない・・・。
やりすぎは禁物。
また精神的にまいっちゃう(笑)
ーーーーー
今まで、学年10位以内なんて、遠い夢と思っていた生徒。
こいつらを戦略的に指導し、
学年10位以内に押し込んでいった。
今度はそいつらが学年1位を目指す。
ブレストの快進撃の、歯車が周り出した。
地域の中学校の学年1位、
隣市の中学校でも学年1位を獲得してくれるようになり、
それがいつしか口コミで、
”成績が上がる良い塾があるよ!”と言われるようになっていった。
利益より理念を追求するスタイルで、
信じてついてきてくれた生徒のため、
信用してお子様を任せてくださった保護者のため、
社会に出た時の、
頼もしさやたくましさを身につけさせるのが、最大の使命だと思っている。
その手段が”勉強”だ。
勉強は”目的”では無い。
もちろん、成績をあげて第一志望校へ合格させるということも大事だが、
学年1位や10位以内の生徒を多く輩出することは、単なる手段でしかない。
進学塾ブレストの目的は、もっと高みにあるんだ。
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全身全霊で生徒にぶつかっていった開校1年目。
その成果や結果が目に見える日が来た。
高校入試合否発表の日。
職業柄、朝が大変苦手なオレの家のチャイムを勢いよく連打するやつら・・・。
玄関のドアを開けるやいなや、
「全員合格しました〜!!!」
と、
満面の笑みで受験生全員が志望校に合格したことを報告しに来てくれた。
みんなで一緒に来るなんて、そんな話は一切聞いてなかったので、
正直驚かされまくった。
開校1年目だ。
どんな結果が出るのかこわくてこわくてたまらなかった。
オレだけじゃ無い。
こわかったのは生徒も同じだ。
いや、
オレ以上かもな!
だからこそ、オレらは一緒に心を合わせて立ち向かったんだ。
受験直前の話だが、
22:00で他の学年の授業が終了した後、
数学の質問をしにわざわざ22:00から塾に来てくれる受験生の女の子がいた。
数学の苦手で苦手でたまらなくて・・・。
でも、第一志望は地域のトップ県立高。
この子とは、24:00を過ぎても数学の練習をしたな。
エスカレーターに乗った瞬間、電話をして来てくれたあの母親の娘だ。
あの瞬間、”運命”は決まっていたのかな?
最初に指導したのも、最後まで指導したのもこの子だった。
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急遽、”全員合格おめでとうPARTY”を企画し、
笑いあり、涙ありの1年間を生徒と一緒に振り返った。
その夜。
オレはある人をマジェるに乗せ、
町で一番高いところにある展望台へ連れて行った。
「まだまだ未熟者やけど、これからもオレについて来てください!」
「はい!」
「んじゃ、ケッコンっすか!?」
(※DRAGON BALL孫悟空 風)
「んだ!」
(※DRAGON BALLチチ 風)
結婚指輪を渡した。
風はまだ冷たい3月。
でも、
頭と心は最高に熱い1日だった。
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5月の結婚式には、
オレと妻のKISSシーン見たさに、多くの塾生がわざわざ式場まで足を運んでくれた。
進学塾ブレストの第一期卒業生たちは、進学先の高校の制服で来てくれた。
お兄さんやお姉さんになった姿を見せてくれたことに感動した。
つい2ヶ月ほど前までウチの塾で勉強してたっけ?と思うくらい、成長した姿だった。
式場には、”DRAGON BALL”を隠しておいた。
見つけてくれた7人にお祝いのスピーチをお願いした。
ヤツ:「小学校5年生の時に、彼は転校して来まして、シューズ袋を持ったまま、挨拶をされたころからの友人のYと申します。」
また、言いやがった・・・。ここでも言うか。
でも、
めでたい席だ。今日は許してやろう!(笑)
ヤツはやるときはやる男だ。
その後のヤツのスピーチは、会場を沸かすくらい、感動てきで素晴らしいものだった。
「市の大会の準決勝で1回負けた以外は、全部勝っている」と言うのは聞き捨てられなかったけどな(笑)。
オレと妻、二人の思い出の曲が流れる。
流石に”餓鬼レンジャー”はアゲアゲな曲しか無いから、結婚式ではかけられない・・・と思っていたら、
今日の二人にぴったりのものがあった。
「♯508」と言う楽曲。
「重ねた未来が導く期待感、いつも右側には最高の理解者。
愛の言葉で深く結びつき、重くなった責任と薬指。」
近い親族、剣道部をはじめとする地元にいる友人。
本当に心から祝ってくれる人の集まりだった。
最後は、”新郎からの挨拶”
形式だけの、挨拶なんか、やってらんねーぜ!
オレはオレらしく、「選手宣誓」をした。
あとでこの時の様子をビデオで見返した。
あまりにもダサかっこいいな。
何言ってるかあまり分からない。
ただ、
本気で気持ちを伝えようとしている姿は、
なかなかよかったんじゃないか?昔のオレ!
あとあと見たら、恥ずかしくなるが、
そのときは、一生懸命なんだよな。
楽しく、本気で、バランスも考えながら、
一生懸命の連続の人生を送ろうじゃないか!
今のオレも、オマエに負けないよう、前に前に突き進んでいくことを、
今日改めて、ここに誓います。

67
2007年に開校した進学塾ブレスト。
10年経った今、
校舎は4校舎に増えた。
この間も、たくさんの出来事やドラマがあり、
常にアイディアを出しながら、ピンチをチャンスに変えてきた。
例えば、
市役所へ用があった時に、”市長への手紙BOX”と言うのを見つけて、
「コレに手紙を入れたら、市長が見てくれるんだな。」って思って、
急遽、生徒たちにディベートさせて、その結果を、市長への手紙BOXへ投函。
テーマは、”学校と塾は協力すべきか”で、
生徒の多くが、協力すべきという意見だったので、それを手紙に書き記した。
そうすると、しばらく経って、
オレが、中学校に行って、
中3受験生に放課後ハイレベルな授業を担当することになったんだ。
東京で進学塾に勤めていた時に、
都立中学へ派遣されていたのもあってのことだと思う。
経験や実績ってやっぱ大事だな。
そして、4年間それを担当させてもらったあとの話では、
”教育委員”の公募があったので、筆記試験と面接を受けて、
その役職に今現在も就かせてもらっている。
教育委員の平均年齢が、60歳手前くらいなので、
就任当時、32歳だったオレは、
全国でも最年少クラスの教育委員だったのかもしれない。
塾生たちが、
「先生、教育委員になったってことは、
おれらの卒業式に来てくれるってことですよね!
楽しみに待ってますね〜!」
と、言ってきたので、
「はぁ?
オレがオマエらを楽しみに待ってるんだ。
教育委員は来賓じゃない!卒業式の主催者側だ!」
と言ったら、頭が高いのに、気づいたのか、
「ハハァ〜。」と言ってひれ伏しやがった(笑)。
ジョーダンはさておき、
今は、”子育て世代の男親”、”起業家”、”塾講師”と言う3つの立場から、
私教育だけでなく、公教育にも携われていることを大変幸せに思っている。
塾と学校が、
生徒のためにできることを補完しあえば、
その恩恵を子どもたちが受け取ることになると思う。
あ、そうそう!言い忘れてた。
ちっちゃいのが二人生まれてる。
上が女の子で、下が男の子。
娘はマイペース。
今は習い事のダンスやお絵かきにハマってる。
基本、良い子。
そして、
来年度から小学生になる息子の名前には、
勘右衛門の”勘”を一字いただいた。
お調子者すぎて手をやく毎日を送っている。
68(最終話)
さぁ、次はオマエの番だ。
オマエには何が出来る?
オマエは何をアピールする?
オマエは何をもって自己実現する?
疲れたら一休みしていいんだ。
オマエはオマエでいいんだ。
気持ちが沈んでしまっているそんな時は、
この一本の映画のようなストーリーを読み返してみるのもいいんじゃないか?
あの日、
あの時の気持ちにPlay Back出来るかもしれないな。
そうだ!
オレの人生と競争してみないか!?
感動のLAST ステージを目指して一緒に突っ走ってみないか!?
楽しく、本気で、バランスも考えながら生きていこう。
オレは、いつまでもこの場所でオマエを応援し続ける。
不安に押しつぶされそうになったら、また戻ってこい。
そして、
心のエネルギーをためて、
また飛び立って行けばいいさ。
オマエなら大丈夫だ。
オマエには大事なことを全て伝えてある。
オマエは一生、オレの生徒だ。
さぁ、「よーい、ドン!」
勉強はスポーツだ!
仕事はスポーツだ!
恋愛も子育ても人生も、
スポーツ感覚で本気で楽しもう!
ネガティブなことに囚われている時間なんて勿体無い。
悩むようだったらオレと”ブレスト”しようぜ!
一本の映画を撮るように、人生をプロデュースするために。
完