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一本の映画を撮るように、人生をプロデュースする話。(第5章:就職と抑鬱状態 編)

Image by Olia Gozha

第5章:就職と抑鬱状態 編(45〜57)


45

本格的に教育をシゴトにするために動き出したのは、大学3年生の時だった。


それまでの経験から、

教育というシゴトに興味が湧いていたんだ。


”教育って何だ?”


”成長って何だ?”


”人はなぜ学ぶんだ?”


”自由って何だ?義務って何だ?”


”人は何のために生まれて、何のために生きるのか?”


その答えを導き出したかった。



ーーー


最後のチャンスだった。


その年を逃すと、”教員免許”は取得できなくなる。


切羽詰まると、人の思考は二者択一化する。



やるか、やらないか。



”やる”ことにオレは決めた。



大学1年から2年までの間、


音楽とバイトに明け暮れていて、


進級すら危うい状態だったオレ。



卒業するための単位はもちろん、


さらに、


”教員免許”を取得するための勉強もし始めた。



文字通り、朝から夜まで学校で勉強する。



それが終わるとカラオケ屋の深夜のバイト。


OkasurferZの仲間と都合を合わせて、レコーディングやミーティング。


さらに就職活動も始まった。



大学3年から4年のオレはマジで超多忙だったと思う。



”マジェる”がいなかったらオレの生活は回らないくらい、スピーディーに過ぎていった。



あー、


マジェるってのはオレの元相棒。


YAMAHAのビッグスクーター、マジェスティーだ。




とりあえず、”無謀”とも言えるくらいの努力を重ねた2年間だった。



46

無謀な、試練の2年間でオレは強くなったのかもしれない。


出来なかったことが出来るようになるのが”成長”。


出来なかったことを出来るようにするのが”教育”。




明治大学の齋藤孝教授の講義で、教育に対する考え方がシンプルになった。



落ちこぼれた経験から、


”大人はウソつきで、助けてくれない。”


”教育は大人のエゴを子どもに押し付けるモノ”


と思い込んでいたオレには、衝撃的なことだった。



”練習して、上手になって、出来るようになれば嬉しい”


ただそれだけ。


実にシンプル。


まさに、”スポーツ”と一緒じゃないか。


”勉強はスポーツだ!!”


目標を決め、出来るようになるための効率的な努力をし、結果を出す。


それが人の成長に繋がる。



教育の道に進みたい。



出来れば、”勉強はスポーツだ!”という考え方に近いところで働きたい。



そう思って、入社したのは、”早稲田アカデミーという進学塾。


講師と生徒の本気と本気がぶつかり会う、体育会系の進学塾。



入試前には、ハチマキを巻き、生徒の士気をより一層高める。



体育会系だったら良いって話じゃない。


合格実績がそれを如実に表していると思ってる。





47

第一希望の企業に就職できたオレ。


骨をうずめる覚悟はあった。


全身全霊で、この仕事を全うしてやろうという強い気持ちで満ち溢れていた。


ーーーー


新入社員1年目の5月。


ヒゲを生やしていたから目立ったのかな?


会社の運動会。


新卒代表で、”選手宣誓”の大役を任せられた。



バリバリの体育会系の進学塾だ。


東京体育館を貸し切って実施される運動会は単なるお遊びではない。


部署をあげての総力戦。


社長も自ら本気で戦う。



御歳50以上ながら、スポーツマンの社長のい短距離走で勝つことが出来れば、

社長のポケットマネーでハワイ旅行がプレゼントされる。



競争を楽しむこの社風が好きだった。


何事も本気で取り組む。


泥臭くて真剣。



この会社・生徒のために頑張っていく決意を固めることができた。


48

8月には夏期合宿スタッフの仕事を死ぬ気でやった。


志賀高原をほぼ貸し切って行われる夏期合宿。



当時の話だが、


合宿に参加する生徒は10000人以上。


バス台数260台以上で東京から現地へ向かう。


貸切ホテルはのべ約40ホテル。


食事数は、のべ約100000食!



オレは中3受験生担当。



しかも合宿最終日に行われる”キャンプファイヤー”で

ライブを担当することにもなっていた。


生徒と講師の”本気と本気がぶつかりあう塾”だ。


一朝一夕のライブ練習なんかでは、生徒に気持ちが見破られてしまう。


1ヶ月、


いや、2ヶ月、


いや、それ以上前から、


徹夜で打ち合わせをしたり、

ライブハウスを貸し切って当日歌う歌を練習していた。


全ては、その日のために。


全てはキャンプファイヤーでのライブを通して、


生徒に本気で頑張ることのカッコ良さを伝えるために。


中3生、約3000人の前にたち、


オレは歌った。




キャンプファイヤースタッフのアツイ想いは生徒に確かに伝わった。


感動して涙してくれる生徒をステージ上から何人も見ることができた。


「行こうぜ!第一志望校へ。」


そのためには、オレはいつでも力尽きていい。




そんな風にも思うようになっていた。



49​


秋になると”起業家育成合宿”のスタッフへのお声をかけていただいた。



これは、社長自らが、将来の起業家を育成するために、


小学生対象で実施されている取り組みだ。



オレは、社長にお供する3名のスタッフの一人に選ばれた。



別荘地である軽井沢にある研修施設に、


起業に関して興味があり、意識が高い小学生を10数名連れていく。



そして、


社長自らが、


会社を起こすのにどんなことが必要なのか?


社会人としてどういう能力が必要なのか?


を生徒に説き、


その後、実践的なトレーニングを生徒に施すという流れになっている。



架空の会社を創り、儲かりそうな会社を作ったグループには資産家である社長が出資金を出す。


生徒は、そのGameに勝つためのアイディアを出しまくる。



他社との差別化が出来る点はどこなのか?


本当に収益があげられるのか?


社会的に有益なものなのか?



小学生は大きなビジョンを掲げ、


それを成し遂げるための戦略を練り、

そしてそれを戦術にまで落とし込む。



上場企業の社長が自ら主宰する合宿に参加できる小学生はマジで幸せだ。


一流の経営者から直接アドバイスをもらえる機会は、

大人でも滅多にないだろう。



本気で、そして楽しそうに、子どもたちに語りかける社長の姿を見て、


スタッフのオレまで、起業や経営に関して強い興味を持つようになってしまった。


50


運動会での選手宣誓、


夏期合宿でのキャンプファイヤースタッフ、


起業家育成合宿スタッフ、


の流れからだろう。



次は、リーダー(管理職)養成合宿へお声をかけていただいた。



起業家育成合宿の時は育成する側だったが、


今度は逆。



育成される側。



自分に勝つまで、

素直になるまで、

自分の殻を破るまで、



一切の妥協も許されない訓練の中で、

”積極的”に、”恐れず”、”カッコつけず”に物事に取り組む大切さに気付かされた。


オレはよく生徒に、


「自分が正しいと思ったことは、自信を持ってやり通せ。」と教えている。


それはこの合宿で学んだことだ。



殊に日本にんは周りを気にし過ぎて、様子を伺い過ぎて、何事にも一歩踏み出すのが遅すぎる。


周りを気にし過ぎて何になる?


誰の人生だ?


”オマエ”のモノだろ。


自分を信じろ。


チャンスは自ら掴みに行け。



オレはこの合宿以降も、


何でも一番になることを心がけた。


会議の会場につくのも1番。


座る席も1番前。


質問するのも1番最初。


帰宅するのも1番遅い。





一番主体的に、一番積極的に、一番早く、一番多く、一番動いたやつが勝つ。


挨拶、礼儀、仲間との強調を忘れず、一番考え、一番想ったやつが勝つ。



もしかしたら、運動会での選手宣誓に選んでいただいたのも、


そういった姿を見ていただいていたからか?



”一番手と二番手は天地の差が出る”​と、


入社して間もない頃の研修時に、上長から教えていただいていた。



”オマエ”も勇気を振り絞って、周りを気にせず、


一番最初に手を挙げてみろ。



いい方向に進むか、悪い方向に進むかは分からない。


っていうかオマエ次第だ。



ただ、



何もしないでウジウジしてるよりかは100倍ましだと思うぜ。​


人生を大きく変える”挙手”をするんだ。


51

入社1年目はオレにとって嵐のような1年だった。


ただ我武者羅に、ただ前に前に突き進んだ。



ーーーーー


2年目からは塾と公教育の連携事業で、

都立中での授業も担当させていただいた。



全ては生徒のために。


全ては将来の日本を背負う子どもたちのために、


”私教育”と”公教育”がタッグを組み、目の前にいる彼らの成長をサポートする。


塾に出来ることは、勝ち方を教えること。



目標が何なのかを明確化し、それをクリアするための戦術をたて、

勝つためのトレーニングを一緒に行う。



もちろん、勝ちさえすればいいってもんじゃない。


が、しかしだ。


絶対に間違えるなよ。


勝ちにこだわることは必ずしも悪いことではない。



将来、オマエも社会に出ればいずれ気づくだろう。


田舎ならまだしも、都会や世界は”真の競争原理”の上に成り立っていることを。




競争を怖がるな。


競争を楽しもうぜ。



何事もスポーツ感覚くらいで、


楽しく本気でやるとちょうどいい。




勉強はスポーツだ!

仕事もスポーツだ!

子育ても、恋愛も、人生もスポーツだ!



勝つことにこだわり、楽しく本気で物事に取り組む中で、

”自己実現”は達成されるのかもしれない。



52​


順調な日々は長くは続かなかった。


オレは負けたのか??



ーーーーーーーー


どうしようもない事情からオレは休むことが出来なくなっていった。


睡眠時間もほぼ無いに等しい生活が、1ヶ月・・2ヶ月・・・と過ぎた頃。


ぶっ倒れた。



正確に言うと、倒れたい衝動に駆られるようになり、

気持ちで何とかカバーしようとしていた分が身体の異常をもたらす結果となった。


最初はただのストレスによる胃痛、程度にしか思ってなかったが、


心のエネルギーを使い過ぎたらしい。​


東京医科大学病院で、抑鬱状態と診断され、


ドクターストップをかけられた。



全身全霊で駆け抜け続けるには気力と体力、

そして適度な休養が必要なのに、


オレは、”バランス感覚”を失ってしまっていたんだ。



弱音を吐くのは自分の努力が足りないからだと思い込んでいた。



”自分より頑張っている人間は大勢いる、こんなところで負けられない、

迷惑をかけている仲間のところへ早く戻らなければいけない”


何かに取り憑かれたように自分を責め続けた。



”永遠に続くこの苦痛からどうやったら逃げられるのか?

いっそ死んだ方がマシ何じゃないか?”​


病院でもらった薬で自分を落ち着かせる。​



薬が切れたらまた、焦燥感。


逃げたい、


いや、


逃げたくない。



何故、オレはここにいるのか?


何故、オレは生きているのか?



死にたい。

死にたい。

死にたい。



生きてる意味って何なん?​



自問自答する苦しい時間だった。



53​

オレを支えてくれたのは、当時付き合ってた原宿で働く美容師の女性。


この女性とオレは同棲していた。



「カフェ行って、本でも読んでゆっくりしたら?」


カフェ好きの彼女に、そう言ってすすめられた本は、

高橋歩(タカハシアユム)さんが綴った、”Love&Free"と言う本。



カフェなんてオシャレなところはオレには似合わない。


エッセイなんて、国語の入試問題でイヤと言うほど見てきている。




何の気分転換にもなりはしないと思いつつも、


せっかく本を貸してもらったんで、


高円寺にある彼女のお気に入りのカフェで、


アイスココアを飲みながら、一人読んでみることにした。




”Life is a journey with love & Free"​

〜人生は愛と自由との旅〜



オレが忘れていたことだった。



もっと自由に。


もっと愛をもって。



心のエネルギーが充填されていく感覚が確かにあった。



”自分が理想とする塾を作りたい!!”



そう強く想うようになっていった。


54​


まずは塾の名前を決めよう!


”オレは頭がかたいし、どこかバカ真面目なところがあるから、

色んな人のアイディアやアドバイスをもらいながら成長していく塾を創りたいな。”


”批判や批評ばかりするのではなく、ポジティブな意見や創造的な発想も大切にしたいな!”​


何かいい名前はないかな?



そう思いながら開いたノートはリリック帳。


RAPをやってた時に歌詞を書き綴ったノートを見返した。




BRAIN STORMING(ブレインストーミング)​


メンバーが自由にアイディアを出し合い、

互いの発想の異質さを利用して連想を行うことによって、

さらに多数のアイディアを生み出そうと​思考法だ。


ここでは、何も生み出さないネガティブな意見は必要とされない。



コレだ!!


ブレインストーミング・・


略して、”ブレスト”​



勉強をスポーツ感覚で頑張る塾。


勉強を楽しく本気で、バランスも考えながら頑張る塾。​


社会に出た時の頼もしさやたくましさを育てる塾。


目標に向かって頑張った経験を財産にする塾。



"Studying is like Sports!!"

〜勉強はスポーツだ!!〜



進学塾ブレスト誕生の瞬間だった。



55

純朴で疑うことを知らないバカ真面目な田舎者ほど、

競争社会の餌食にされる。


田舎で育ち、ずっと田舎で暮らし、

競争がない一生安定した生活が保証されるのであれば問題は少ないかもしれない。


が、しかし。



多くの若者がそうなるとは限らない。


将来、全国や世界を舞台に活躍する者もいるだろう。


若いうちから、


競争に慣れること、

競争を楽しむこと、

自分の考えを主張し発信していくことなどを教えなければ、


オレみたいにぶっ壊れるやつが出てくるかもしれない。



社会に出た時に”自分の力でメシを食っていける方法”を


オレはオマエに伝えることが出来る。



No,1も味わった。

地獄も味わった。



オレは負けたのか?


いや、



一瞬、劣勢な時期があっただけだ。



”楽しみながら勝つまでやれ!”



そうしたら、絶対に負けないことを、オレはオマエに教えることが出来る。



心配するな!


負けてもいいんだぜ。


そこから学びとるモノがあったら、それはオマエの財産だ。



その財産を手元に、もう一度、態勢を立て直して、


次を勝ち取りに行け!



”死ぬ”とか言うな。​



試合終了のゴングは自分で鳴らすな。



56


お世話になった会社に辞表を提出。


部長、課長、校長、講師、スタッフの皆さまからは、仕事の”いろは”

を教えていただいた。


感謝しても感謝しきれないくらい、いろんなモノを授かった。




そして本社へ行き、


社長に最後のご挨拶をさせていただいた。



「お力になれず申し訳ございませんでした。この塾が大好きでした。」


と素直な気持ちを述べた。



社長は力強く、いつものように握手をしてくださった。​


小学生対象の起業家育成合宿の夜は、お供した3人のスタッフに、

手品を披露してくださった。



人を楽しませることが好きで、スポーツマンな社長は、オレの憧れの人だった。



社長室から出ようとした時、

御守りにと、キーホルダーを頂いた。



今でも使ってる入社直前に買ったポーターのバッグ。


キーホルダーは今もなおこのバッグにつけてある。




社長は、もうこの世には居ない。


悲願の目標、

”開成高校合格者数日本一”を達成された年に若くしてお亡くなりになられた。


最前線で突っ走っていらっしゃったんだ。


場所や立場は違えど、


社長が大切にされていた意志をオレは生徒に伝えていきたい。



本気で頑張ることの尊さだ。


57

憧れの街”東京”とももうすぐおさらば。


「オレはシゲキ的でBIGなコトができたのか?なぁ、教えてくれよ、東京!」


本社からの帰りの電車の中、


新宿歌舞伎町の煌びやかに光るどデカイネオン看板を見ながら、

上京初日のことを思い出した。



気持ちは正直複雑だったが、

立ち止まってはいられない。



地元に帰り理想の塾を創るというNEXT ステージはもう自分で決めたじゃないか!



重苦しい気分のまま、


帰宅後、同棲している美容師の彼女に本音をぶつけた。​


彼女は休職中の数ヶ月の間も必死にオレを見守ってくれた。


薬を使ってもなかなか快方に向かわなかったオレを、


もう一度、夢に向かって頑張るよう仕向けてくれた。




”一緒に田舎に付いて来てくれ!”と、言えるはずもなかった。



起業は、ある意味、”賭け”の部分もある。



独り身なら、失敗しても、どーにか食いつないでいけるだろうが、

オレの夢のために、彼女の夢をぶち壊しにしてまで、

彼女を幸せにする自信はなかった。




「もう、終わりにしよう。」と告げると、


意外な言葉が返ってきた。




「ドラゴンボール7つ集めたら何をお願いする?

私は何もお願いしない。


だって自分の願いは自分で叶えるモノだから。

だから、私も九州に行く!

私の夢はあなたが夢に向かって頑張るのを支えることに変えたの!!」



思わず笑ってしまった。


先輩風を吹かして、”近寄ってくんなオーラ”を出してたにも関わらず、


「この曲、なんです〜?」​って気安く聞いてきて、


オレの方が、「餓鬼レンジャーだよ。」と、

タジタジしながら答えさせられただけある。​



さすが、ハートが強い人だ。



ただ、この時、将来、妻になる美容師の彼女は泣いていた。


軽い気持ちで言ったんじゃない。


幼い頃から母親の仕事を見てきた彼女の夢も、美容師として働くことだった。


やっと、その夢に向かって一歩を踏み出したところだったはずだ。



一見、気が強そうに見えるが、

実はそうではない部分が大きいのは、オレが一番よく知っている。



ーーーー


しめっぽいのは苦手だ!


”Life is a Journey"〜人生は旅である〜。​



1月。



底冷えする季節。



”マジェる”に二人乗りして東京に別れを告げた。



「オイ!東京!! 
オレは負けてねーからなーーーー!!!!」​



第5章:就職と抑鬱状態 編 終わり。


第6章(最終章):ブレストと教育編に続く。​












































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