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バンドというものに動かされてきた人生(5)

Image by Olia Gozha

手放すまで

親とは合わないので一人暮らしを始めていたが、やはり具合が悪くなってまた実家に戻ることになる。その時は誰のことも信じられないという気持ちがあったし、どう信じたらいいのかもわからなくなっていた。それでも、バンドならまだ私を救えるかもしれないとメンバーを探しはじめた。ドラムの人から連絡が来て、ベースも連れてきてくれるということだった。

スタジオに入って、あまりに久しぶりで私はなにも出来ていた気はしなかったけれど、やれたらいいな。この人たちならきっと大丈夫だと思いこんな自分でいいならよろしくお願いします。と言ってバンドが始まった。また3人のバンドだった。

彼らは社会人だったので、適度に楽しくやりましょうという緩い空気だった。

私は身体の神経がおかしくなって、荷物も持てず、ギターを弾くことも出来ない日もあったので、それが丁度よかった。もう自分の都合でメンバーを振り回したり、深入りするのは辞めようと思っていた。目指すところもよくわからなかったけれど、音を合わせることは楽しかった。他になにも出来なくてもここでだけは生きている感じがすると思った。彼らは優しく、活動を通して人は信じてもいいものなんだ、と私はまた思えるようになっていった。


徐々に私が元気を取り戻していくにつれて、活動が物足りなくなっていった。

メンバーに一回、そんなにバンドばっかりできないです。とはっきり言われたときにじゃあ解散するか、と思ったけれど休止にしましょうと言われて活動休止した。

その間他の人たちと違うバンドを作ったりしたけれどうまくいかず、終わった。

活動再開したけれど、やっぱり私の望むバンド活動は出来なかった。これでもかといういくらいみんなでスタジオに入って曲のアレンジを詰めたかったし、練習もしすぎでしょというくらいして、ライブに挑みたかった。命をかけてバンドがしたかったけれど、強要はできないことも知っていた。

自分が不完全燃焼だった。たまにスタジオに行くことが楽しみではなくなっていった。


毎日バイトして、たまにバンドする人になった。バンドするために始めたバイトだったのに、明らかにバイトしかしていない気がした。

今の活動が全く楽しくない、という気持ちでいっぱいになっていった。何にしがみついているかわからない気がした。バンドはやっぱり解散することにした。

周りを見ても、みんな生活と折り合いつけて楽しくやっているバンドばかりだった。そこに私の居場所はない気がした。大人になったということを実感した。私は、生きているなら思い切り自分の全てをぶつけたかった。余力でバンドをする気にはなれなかった。

最後に音源だけ作りたいとお願いして、今までの曲を全部形にして解散した。

形にしたら、こだわっていた気持ちが少し消えた気がした。

今までのすべてが消化された気がした。もうこの曲たちは、歌わなくても大丈夫なのかもしれない、と感じた。

38歳になっていた。


バンドと、音楽と、仲間に助けられてきた人生。

人生を賭けた出会いと言うものは、そうない。

でも確実にあったということを胸に、私はこの先進む。

諦めて望まなければ絶対に手に入らない。手を伸ばすことはこわいことだ。誰もその手に気づいてくれなければ、悲しいだけだ。でも、気づいてくれる人もいるかもしれない。

私の歌は暗いと言われることもあったけれど自分なりの希望をどこかに絶対に入れてきた。希望を捨てたくはなかった。希望に向かっていつも歌っていた。

頑張れば伝わることもあるって知った。

この先のことはすべて未定。

自分のしてきたことは確かにあったと言うことを誰かに伝えたかったのです。



拙いながらに長い文を書きました。

読んでくださった方、ありがとうございました。


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