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バンドというものに動かされてきた人生(3)

Image by Olia Gozha

初めてのオリジナルバンド

メールをくれたベース担当の人にまず会いに行った。MDに録音した音源を聴いてもらい、スタジオに入りましょう知り合いのドラムがいると言ってくれた。私はブログを書いていたので、それを見た彼はドラムの彼のブログも面白いんですよ、彼は合うと思いますよ、と言った。

実際に、そのドラムのブログは面白かった。この人に会ってみたい、どんなドラムをたたくんだろうかとわくわくした。


スタジオで初めてやったオリジナルは、知らない世界が見えていく気がした。

感動で言葉にならなかった。私たちは一緒にやることになった。

ギターの人もいたのだが、掛け持ちで、もう一つのバンドの方が本命と言われていたので私は受け入れられなくて結果追い出すことになった。

バンドをやるなら同じ気持ちでやりたかった。ドラムもバンドをやっていて、そのメンバーの家に住んでいたがこっちのバンドを取ってくれた。やるしかない、と思った。


スタジオに通いだしてしばらくした時、おばあちゃんが急に亡くなってしまった。スタジオにいる時に危ないと連絡が入った。お葬式で泊まりがけで、どうにもならない気持ちを自分たちのスタジオでの音源を聴いて落ち着かせた。初めて音楽を作ってよかったと心から思った瞬間だった。

自分で自分の音楽に救われる。こんなことがあるんだとびっくりした。他の音楽ではだめだった。


ギターの人をしばらく探したが合う人がいなかったので私はギターボーカルでやっていくという覚悟を決め、3人でバンドをし、一緒に暮らすことになった。

理想のバンドがやっとできる!と言う想いでいっぱいだった。

クリスマスと、私の誕生日をみんなで過ごした。仲間にお祝いしてもらうのは初めてのことで、ずっとずっと欲しかったものをやっと手にしたような気がした。生きてきてよかったと思っていた。

私が頑張りさえすればこの関係はずっと続くと思っていた。


一緒に暮らしたら飽きるほどバンドができると思っていた。けれど、二人は真面目に仕事をしていたので忙しくスタジオに入れるのは日曜日だけだった。顔も合わせない日もあった。一緒に暮らす意味がわからない気がした。

ライブもしたし、活動は楽しかったけれど、結局それを待つ時間があまりに長く、最低限のバイトをしていた私も、徐々に鬱が酷くなりなにも出来なくなっていった。

どこにも何にも馴染めなかった。バイトをしながらたまにトイレにいって手首を切っていた。血を見ると生きているという実感が沸いた。バンドではなくバイトをしているという罪悪感も薄くなるのだった。自分が何のために生きているかわからなくなりどんどんおかしくなっていった。


バンド以外は本当につまらない世界だったのに、バンドの活動は思うように出来なかった。皆と一緒になってギターを持って歌わないと、呼吸の仕方もわからないくらいだったのに叶わなかった。

結果的に生活ができないと実家に戻ることになり、バンドも解散することになった。

25歳だった。

たくさんのことがあり、私だけでなく皆がボロボロになっていた。

こんなに運命的なバンドも、終わってしまうのだと実感した。


しばらく、やけになって、それでも生きていた。

バンドがなくてはなにも出来なかった。一人でいたくなかったけれど、彼氏や友達と言う存在が埋められる気はしなかった。自分にも相手にもきちんと役割があって、それをこなした上での信頼関係というものに憧れていた。自分じゃなきゃだめな場所、必要とされているものを探していた。ギターをもって、仲間とともに嘘偽りない声を出して、それで人に認められたかった。がんばって生きているねと言ってほしかった。


今まで以上のメンバーに会えるわけはないとわかっていた。それでもメンバーを探し続けた。

信頼できない人とスタジオに入っても、声が出ない、歌えない自分がいた。

そんな時に出会ったのが、オリジナルバンドを組む前にスタジオに入ったことがあるギタリストだった。

今度こそ一緒にバンドやろうってなったけれど私はその時ろくでもない生活を送っていたので、スタジオも入らずにふらふらしていた。ドラムの人はネットで探してきて、ベースはその時の同居人に頼んで適当に何回かスタジオに入っただけだった。

練習の後、家に寄った彼と同居人と3人で缶チューハイを飲みながら、彼が鬱病だと初めて聞いたのだった。私たち同じようなものだね、大変だけど、一緒にがんばろうねと約束した。


今でもその場面ははっきりと思いだせる

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Image by Jukka Aalho

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