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13/6/16

アメリカで英語話せない二人が飛行機乗り遅れて死にそうになった話

Image by Olia Gozha

僕は大学4年のころ友達と二人でアメリカに旅行にムササビのようにいきました。

それはニューヨークのマンハッタンに友達が留学していたので、ラウンドワンに行く感覚で遊びにいきました。

もちのロン毛で僕も友達も英語は話せません。


ただ旅行でグアムやサイパン等の観光地に行ったことのあった僕は、片言の英語でもなんとかコミュニケーションがとれると思っていました。

スペック

僕 大学4年 理系 夏休み 英語できない。  ガラケー。PCは持って行ってない。

友達 社会人  休みを取った。英語できない。 ガラケー PC持っていった。

留学してる友達 大学生 英語できる  自分たちが旅行中携帯を友達の車に忘れてもっていなかった。ipodタッチ持ってる。 週末合流予定。


まずニューヨークまで遠い。

13時間と象の鼻のように長いフライトです。

さらに格安旅行券を買っていたので、飛行機もめっちゃ狭かったです。

トイレに行くのは通路側の外人をジャンプしてまたいで行っていました。

友達はジャンプしてまたぐ時、外人の頭を触ってしまって少し起こしちゃいました。

トイレに行くときのストレッチは正露丸並の必需品でした。


後にこの格安旅行券のせいで痛い目に見ることになるとは知らずに・・・


英語ができないでの2日間

アメリカには5日間ぐらいの滞在でした。

ただアメリカに留学している友だちは学校があるため、最初2日間は合流せず3日目から合流でした。

友達はマンハッタンの中心街からバスで1時間ぐらい離れたところに住んでいたため、観光に適したマンハッタンの中心街に最初僕らが2日間すごし、3日目からの合流でした。

2人共英語ができないので、空港からホテルに行くのも大変でした。

ニューヨークは日本で言えば新宿のようなとこです。

観光地というよりは国の中心です。ニューヨークの人々は観光客慣れはしておらず、僕の英語はほとんど通じませんでした。

ジェスチャーで通じると思っていた僕らは苦戦していました。


ただホテルに行くまでの道のりは飛行機の中で10分間読書並にシュミレーションしていました。

なので人を頼らずともなんとかホテルにに辿りつけました。


ホテルは留学している友だちがとっといてくれました。

最初の2日間は観光をしまくりました

ニューヨークのお店を回ったりました。

ただ2人共英語ができないのです。


初日は何もわからずメキシコ料理屋にはいっていました。

店員さんがおすすめの料理を薦めてくれるのですが、何を言っているのか全くわかりませんでした。

唯一聞き取れた言葉

「abogado!」

僕らは「お~アボガド。それは知っている」と言っていました。決して頼んだわけはなくリピートした感じです。

5分後によくわからないアボガド料理が勝手にでてきて僕らは経験しました。

そうボッタクリ!





自由の女神を見に行った時、自由の女神の島までフェリーが出ていました。

しかも無料で。僕たちはここぞとばかりにそのフェリーに乗り込みました。

島が近づき近づき大きくなっていく自由の女神に僕たちはテンションはDJOZUMA並に上がっていました。


いつでも降りられるようにクラウチングスタートの状態で準備をしていると、ただどうしたことか、自由の女神のある島を通り過ごしどんどん自由の女神は小さくなりました。

なんと無料のフェリーは自由の女神までではなくその先の港までのものでした。

僕らは反対側の大陸で焦りを隠せていませんでした。


ただこちらがわから戻るフェリーも無料なので、次についたフェリーで戻って行きました。

だた中心街から離れると全く違う町と人だったので少し怖さを感じました。

結局自由の女神は近くでは見れませんでした。



洗濯をするためにコインランドリーに行きました。

少しホテルから歩いたとこにあるコインランドリーは少し中心街から離れています。

僕らは洗濯している間暇だから日本でもお馴染みのSubwayに行こうと思い、道でマップを高々と広げ探していました。


そしたら親切な人が「どうしたんだ?」話しかけて来ました。もちろん英語ね。

Subwayにいきたいと指を指して言っていると、その人は

「俺もちょうど行くところだった。」一緒に行こうと言い始めました。


最初僕らは親切な人がいるもんだと思っていました、その人の格好や持っているもの(タッパーに残飯みたいな変な色のスープ)を見て、この人はやばいと感じました。


友達と日本語でこれ絶対ついたら奢らされる と話し、その人が

「turn right」と言って右に曲がった瞬間僕らは左に曲がって猛ダッシュで逃げました。



また違う日に歩いていると、悪そうや奴と大体友達的な黒人がハイタッチを求めて来ました。

僕らはもちろんハイタッチしました。やたらと盛り上がりました。

僕らはやっぱアメリカはノリがいいと思いました。


次に名前はなんだときかれ名前をいうとその名前をCDに書き始めました。

そして「10$」

もう完全にシーテンダラー。

俺らの歌ってるCDだと言い始め、もう名前書いちゃったから払えみたいなことを言いまくられました。


僕らはずっと拒み続けました。ただ相手は本場のストリート系の黒人です。日本のヤクザになんて比にならないほどのイカツさでした。

結局僕らは1$だけ払ってなんとか振りきりました。多分20分ぐらいかかりました。


アメリカは怖い国と思いました。英語ができないやつは底辺以下という感じです。



合流

ようやくサバンナでハイエナから逃げるように振り切った僕らは留学している友だちと合流しました。

ただアメリカに留学している友達に電話をかけてもつながらず少し会うのには苦戦しました。(携帯を友達の車にわすれていたため、つうじなかったのです。)


友達は僕達にない能力を持っています。

そう英語ができること!!


もうぼくらはスターを取ったマリオでした。

そこからは少し新宿であるところから離れ原宿ぐらいのソーホーというおしゃれなショッピングをする町に行ったりしていました。

変な人が来ても留学している友だちが全部ふりきってくれました!

ホームレスのようなひとが1$だけくれなんて言ってきたりもしました。

アメリカでの格差を感じました。


英語ができるかできないかで、アメリカでの立ち位置は540度ぐらい変わります。

最終日

そしてついに日本に帰る日がきました。

最初は大変な目にあったりしましたが、英語ができる友達がいた僕らは無敵で最終日を迎えました。

最後に別れの握手をして留学している友だちと別れました。


ただアメリカの空港のセキュリティーチェックは、雨の日の中練ぐらい厳しく長蛇の列になっています。

荷物を預けたあとセキュリティーチェックに並んでいて1時間半ぐらいかかりました。


ようやくセキュリティーチェックを抜けたときは時間ギリギリでした。

僕たちはピンポンダッシュの全盛期だった時並のダッシュで急ぎました。

ゲートにつくと・・・











見事にゲートは閉じていました。

僕らは完全に飛行機に乗り遅れました。

そこにいた人に必死にどうなってるか聞いたら親切に日本語で

「何度も呼んだのに!なんでこなかったんですか!」

全然アナウンスなんて聞こえてなかった。


「代わりの飛行機を至急お願いします!」

空港の人「航空券を見せて下さい」

僕たちはこれでもかと航空券をみせた。

その人は航空券の裏をみながら室井さん並に眉をひそめた。


空港の人「こちらのチケットでは代わりの飛行機をとることはできません。」

普通の航空券はそういった時のサポートがしっかりされている。

もし乗り遅れても代わりの飛行機を無料でとってくれるようにサービスに入っているのだ。


ただ僕らの券は格安旅行券。

そんな保証がないから安いのだ。


空港の人「明日の同じ時間に飛行機をとりますか?250$かかりますが。」

もう取るしかなかった。なんとか無料でお願いしますと何回もいってもがダメだった。


空港の人「預けた荷物を受け取ってまた明日来て下さい。アメリカをもう一日楽しんで下さい。」

楽しめるわけなかった。

英語もできない僕らはどうすればいいかわからなかった。


さらに運の悪いことに要であるPCも預けたトランクに入っていた。

ネットに繋がれば留学している友達にも連絡がとることができる。

留学している友達は携帯をアメリカの友達の車の中に忘れていたため携帯はなかった。


なんとか僕らは荷物をとりにサービスカウンターに行きました。

さっきの搭乗口のとこは日本行きの便だったので日本語が話せる人がいた。


ただJFKは国際的な空港。

荷物受け取りサービスカウンターは日本が通じるはずもなかった。


サービスカウンターには黒人の大柄な女性が受付だった。

僕は片言の英語と演劇部のような大きなジェスチャーで説明した。


「飛行機に乗り遅れた!荷物はまだ運びだされていないはずと搭乗口の人に言われた。荷物を返してくださいm(__)m」

受付の大柄の女性「何言ってるかわからない!」

こんなやりとりを何回も続いた。

電子辞書とか使いながらなんとか伝えた。ただ全部を伝わってはいなかった。

荷物がない以上何もできない。PCも荷物の中。


僕は紙に書いたりして選挙演説並に必死に説明した。



受付の大柄な女性「荷物は成田にいっているはず。ここにはない!」

「そんなはずはない!さっき搭乗口の係の人が荷物はここにあると言っていた!頼むから探してくれ。」

そんな感じで僕らはなんとか探してもらうように頼んでいた。

ただ僕らの後ろにも何人かサービスカウンターに用があって並び始めた。


僕は必死に探してくれと言っていたが、片言の英語なので受付の女性もイライラしていた。



受付の女性「ないものはない!それにあなたが何をいっているかわからない。英語が喋れないなら1分以内にここをでてけ!!」

英語をしゃべれなく僕らは出されてしまった。


いろんなサービスカウンターを回ったが、ダメだった。

なんとか留学している友達に連絡をとろうかと思ったが、友だちはバスで1時間かけて帰っている途中。

携帯はなかったので、見事に連絡を取る手段はなかった。


空港の周りの情報なんてわからず、僕らは中庭のようなとこで座って絶望していた。

近くに美人な外人が写真を撮ってくれと言ってきて、いつものら盛り上がっているけど、全く盛り上がれずにいた。

アメリカで次の日の飛行機の時間までどうすればいいかわからなかった。


アメリカで野宿とかはさすがに怖すぎた。

ただでさえこの旅でいろんな外人に危ない目に合わされているのに、そんな中僕らは次の日の飛行機までなんとかしなくてはいけなかった。


当時携帯もガラケーだったので、どうしようもなかった。

まだiPhoneに僕はしていなかった。アメリカにいく前にiPhoneにしようと迷っていた。

友達はiPodtouchを使っていたが、アメリカに持ってくるのを忘れていた。


僕たちは、会話もなくぼーちゃん並に呆然としていた。


そこで僕は1つ思い出した。

僕の携帯はガラケーだが、グローバル対応だった。

少しパケット代は高くなるが、一応海外でもiモードにつながる感じだった。


留学生の友だちに僕はダメ元でmixiでメッセージを送った。

(当時はまだ僕はFacebookやっていなかった。この旅でちょうどこのアメリカの友だちからFacebookにすごさとアメリカでどれくらい利用されているか聞いたところだった)


「飛行機乗り遅れた。やばい」

もちろんこのメッセージを見るのは友達が家に帰ってパソコンを開いた時。

だめもとで送ってみた。


1つの希望として僕は何回も繋げて、メッセージが着ていないかチェックした。

多分1分ごとぐらいにつなげていた。

すると20分後に









なんとメッセージが来ていた。

「マジで。もう俺マンハッタン戻ってきちゃた。ホテルとかとれた?」

僕はそこらへんにいるギャルなんかより早いスピートでメッセージを返した。

「まだhotelとかとってない。スーツケースは成田に行っちまったらしくてパソコンがない。」

「まじか!。 明日飛行機何時?? 空港からもう出れるとこにいるの? 

そしたら俺の家か、マンハッタンでどっか探して泊まるか!」

本当に心強かった。

最初に止まったホテルの前で待ち合わせになった。

僕らは行ったところなら行けたのでなんとかがんばって最初のホテルまでいった。


留学している友だちはバスに並んでいる最中たまたまiPodtouchをいじっていた。

そしたらたまたま公衆のwi-fiにつながったので、たまたまmixiをチェックした。

そしたら僕からメッセージが着ていたというわけだ。


iPodtouchとmixiと公衆wi-fiに僕たちは土下座した。


友達と合流しスタバで友達のPCのSkypeでホテルを取ってくれた。

なんとか僕たちはマンハッタンで寝れるところができたのだ。



次の日早めに空港に着き早めにセキュリティーチェックを済ませ、飛行機に余裕をもって乗りました。


そして一日遅れで無事日本に帰って来ました。


アメリカに行って感じたことはまだまだ自分が小さいこと。

まったくグローバルなことに興味がなかった僕はもっと自分は国際的にならなくてはいけないと感じました。

この旅は僕の人生を変えたといっても華厳の滝並に過言ではありません。


そしていくつかのウェブサービスに助けられたと感じました。

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