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今か将来か。

Image by Olia Gozha

私は私が大嫌いなんだ。

そう気が付いたのは、最近のことである。



私は昔からとても負けず嫌いで、勉強でも、部活でも、何に関しても自分が納得できる結果がでないと気が済まない性格であった。結果がすべてだと思っていたし、結果を出すために人の何倍も努力を重ねた。

学校の先生や親は、「あなたは努力できる人」「努力できる才能がある」といつも褒めてくれた。

私はその言葉が素直に嬉しかったし、次はもっと頑張ろう、もっと高みを目指そうと励みにしていた。中学での定期テストの学年順位は常に1桁、部活動のバドミントンでもブロック大会4位、県大会ベスト8と秀でた成績ではなかったものの、文武両道であったように思う。


その当時、私は"文武両道の私"が好きだった。周りから偉いね、凄いねと褒められるのが嬉しくてたまらなかった。だからこそ、"私"に相応しくない点数や結果が出たときは、荒れに荒れた。こんなの"私"じゃない、"私"はこんな結果を出すような子じゃないと、泣いて叫んだ。リストカットを始めたのも嫌いな自分を罰するためだった。流れる血を見ると、少しだけ自分を許してあげられるようなきがした。



そして時は流れ高校生となった。

周りの環境が大きく変わり、今まであたりまえだったことがあたりまえではなくなった。定期テストで1桁なんて到底無理だったし、部活も思い通りにいかなかった。

特に部活のバドは受験のブランクがあり、それを埋めるのに必死だった。何も考えずとも出来ていたことが出来なくなってるのに気づいた時はすごくショックだった。コーチから「中学のお前なら出来てたぞ」と言われるたびに涙が溢れそうになった。それでも、私は私に「私は努力の才能がある。きっとできるようになる。大丈夫」と何度も言い聞かせ、厳しい練習と難しくなる勉強を必死に両立した。



そんなある日、いつも通りに部活に行くとキャプテンと私のダブルスのペアがまだ来ていないことに気がついた。「あれ?まだ来てないの?」とバド部の友人に聞くと「キャプテンと〇〇なら自主練で走ってるで」という答えが返ってきた。


何の変哲もない答え。他の人が聞いたら何も思わないような普通の返答。


のはずだったのに、それを聞いた瞬間私の目から大粒の涙がボタボタこぼれた。自分でもなぜ自分が泣いているのか分からなかった。その日は部活をせずに家に帰った。



その日を境に私は、おかしくなってしまった。周りの目をこれまで以上に意識し、怯え、また、勉強もバドももっと頑張らなければと思っているのに心と体が一致せず、結局できない自分に嫌気がさした。体にも変化が起こった。朝起きると動機が止まらず、涙が溢れた。夜は眠れず、ご飯も喉を通らなかった。リスカをする回数も増えた。そうして学校に行く回数は減り、ついには不登校なった。母は始め、なんとか学校に行かせようとしたがみるみる痩せ細っていく私を見て病院へと連れていってくれた。

いくつかの質問に答え、医師が出した診断は「鬱病」だった。




今も私は自分自身と闘っている。

単位が足りなくなるからとできるだけ学校にも行くようになった。たが、学校に行こうと思うと過呼吸を起こし、手が震える。もう嫌だ、死んでしまいたいと何度も思った。服、カーペット、洗面所のタオル…身の回りのものが血で汚れていった。手首には一生消えないであろう傷が何箇所も刻まれた。


母はもう学校を辞めてもいいと言っている。あなたの体が一番だからと。


私はこの言葉を待ち望んでいた。学校を辞めれば勉強からも部活からも離れることが出来るからだ。でも、果たしてそれは正しいのだろうか。

将来と今は天秤にはかけられない。このまま学校に行き続けたら、鬱病もいずれ治り、元通りになるかもしれない。逆に悪化し、本当に自分で自分を殺してしまうかもしれない。分からないのだ。



今もこの文章を書きながら、私は悩んでいる。私はどうすべきなのか。どうしたらいいのか。


将来と今は天秤にはかけられない。だからこそ、しっかり考えて、後で後悔しない道を探していきたい。そして、同時にどんな自分も受け入れられるように、好きになれるように努力していきたい。


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