はじめまして、プロナンパ講師のMAXです。 僕は、九州出身の30代前半。現在は、プロのナンパ講師として東京の渋谷を中心に活動しています。 元々、非モテで極度のコミュ障、外見も平凡な僕がなぜ、プロのナンパ講師になることができたのか? 今回はそんな冴えなかった田舎者の僕がプロのナンパ講師になるまでのストーリーとナンパへの思いについて記したいと思います。 しばし、お付き合いください。 (俺の人生終わってるわ。。。)
【地獄の谷底にいた20代】
僕は高校卒業を機に九州から上京してきたのですが、それから10年余りが経ち自分が思い描いていた東京の生活とはかけ離れたまさにドン底の暗闇にいました。 元来のストイックな性格であり上昇志向も強く起業家の自叙伝や自己啓発系の本を読み漁っていました。 その影響で大学卒業後は直ぐに起業することを決意しました。 (おっしゃ、起業して成功したるわ!!!) 金を稼ぎまくって女にモテて周囲から羨望の眼差しで見られたい。
そう、東京で一旗揚げようと躍起になっていたのです。 大好きな歌は長渕剛の『とんぼ』でした。いつもiPodに入れて自分を奮い立たせていました。 そんなTOKYO・DOREAMを掴むためのチャレンジがスタートしたのです。
ですが
勢いだけで上手くいくほど
ビジネスの世界は甘くはなく
また、極度のコミュ障から
仲間も出来ずに
1人であがいていました。
仕事が上手く回らない。
だから遊んでいる暇もない。
そもそも遊ぶ金がない。
そんな、カッコ悪い自分を晒したくなくて、人とも会いたくない。
そのため、出会いが広がらず、仕事も増えないし、彼女もできないから
セックスなんて、夢のまた夢・・・
まさに、超がつく負のスパイラルに陥っていました。
大学を卒業してから
負のスパイラルに陥り
あっという間に
数年が経過。
親に借金をしたり
たまにバイトしながら
なんとか事業を回していましたが
中々、上手く歯車が回らず
そのまま、20代の後半まで
もがき苦しんでいました。
(今更、就職もできない。。。)
学生時代の友人たちで
大企業で活躍していたり
すでに、起業して成功していたり
結婚して温かい家族を作って幸せに暮らしていたり。
みんな、それぞれ
人生を前に進めていました。
なんだか、自分1人だけ取り残されたような
そんな虚無感に駆られていて
あの頃は、いつも暗い顔をして
俯いて歩いていました。
(もう諦めて、田舎に帰ろうかな)
志半ば。
そんなことも考えていました。
【ナンパとの出会い】
2012年の10月。 そんな鬱積した気分で地獄のような日々を生き、人生を浪費していたある日、学生時代の友人と偶然再会し、ナンパに誘われました。
深夜の六本木。 僕がどうしていいか分からず、躊躇していると友人はいかにも六本木で夜遊びをしていそうな派手めのギャル2人に、1人で声かけに行ったのです。 衝撃でした。 しかも、友人のジョークにキャッキャと笑っていてロアビルの隣のにあるHUBへの連れ出しを成功させたのです。 (マジか!!!???) その友人は席に着いた後も言葉巧みに女性2人を魅了し女性が前のめりで話を聞き込んでいる。 気がつけば僕だけ蚊帳の外状態。 結局、全く見せ場を作れなかったものの辛うじて連絡先だけを交換しその日は解散しました。100%、友人のお陰でした。 帰りの道中で友人は魔法のカラクリを教えてくれました。 それは『ザ・ゲーム』というナンパバイブルと『ナンパブログ』の存在でした。 彼はそこに書いてる『ルーティン』という要は女性を口説くための台本を丸暗記していたのです。 僕はすぐに『ザ・ゲーム』を購入し進めてくれた『ナンパブログ』と共に熟読する日々が始まりました。 (こんな世界があるんだ・・・) 衝撃の連続でした。 ナンパブログで活躍しているのは自分と歳の変わらない普通のサラリーマン。そんな彼等が自分にも馴染み深い新宿や渋谷の繁華街でストリートナンパをしてセックスをしまくっている。
衝撃を受けた反面文章の模写にリアリティがありまた、再現性の高いテクニックが多くしかも、ブログの著者はかなりの非モテ・コミュ障だったと書いてあったので(俺でもできんじゃね?)と思いました。 同時に(絶対に凄腕のナンパ師になるぞ!!!)と自分の心に固く誓いました。 すぐにTwitterアカウントを作りナンパブログを開設しました。 『ナンパ師MAX』の誕生です。 それから気が狂ったようにストリートナンパを始めました。
ナンパスタートから1ヶ月の時に
友達の数人と六本木のハロウィンでナンパして和んだ子と
アポに繋がりました。
和みでは、対して盛り上げられたわけでもなく
しどろもどろのトーク。
偶然というか奇跡です。
アポの当日は
何をやればいいのか全く分からずに
とにかく飲みまくって
彼女の終電を逃させて自宅に持ち帰り
泥酔の最中、準即でゲットしたのが
僕の記念すべき初ゲットしました。
まさに、ビギナーズラックというやつでした。
この初体験でナンパへの味をしめたことは
言うまでもないです。笑
なんせ、
数年ぶりの生身の女性とのセックスで
性欲を満たされたことはもちろんですが、
自分が一歩踏み出したことが
結果として結び着いたことへの
高揚感と万能感が、堪らない快楽でした。
また、やれば出来るんだという
大きな自信にもなりました。
ですが、そんな上手い話が続くわけもなく
ここから本当の地獄の始まりでした。
平日・休日、昼夜も問わず
時間ができればとにかく
ストリートナンパ三昧の日々。
ですが、結果がまったく出ない、
どころか、ガンシカの嵐。
元来、不器用で口下手な性分。
加えて、身長も低く、顔立ちも平凡。
普通の人の数十倍は苦労がありました。
ナンパでは嫌が応(いやがおう)にも
シビアに自分への評価が下されます
通りすがりの、見知らぬ関係なのですがら
当然女性からの反応や評価に遠慮はありません。
ガンシカはもちろんのこと
「キモい!」「死ね!」「消えろ!」
などの罵倒・罵声も日常茶飯事。
一番衝撃だったのは、
冷静に真顔で
「こんなことに時間を使って虚しくならないですか?」
と諭されたことです。
これには堪えました。
僕は元々プライドが高く、自己愛も強かったので
このストリートからの数々の容赦ない洗礼は
涙が出るを優に通り越して
涙が枯れ果てるほど、打ち拉(うちひし)がれました。
僕は渋谷のストリートで
まったく価値のない人間だったのです。
ですが、共に活動するナンパ仲間や
Twitterでフォローしている同志たち。
そして、いつも僕のモチベーションを上げてくれた
ナンパブロガーの方々が綴られている
汗と涙の結晶である
成功までの軌跡である
たくさんの記事に助けられながら、
極寒の寒空のときも
灼熱の太陽に照らされて干からびそうなときも
歯を食いしばってストリートに立ち続けました。
声かけの数が増えるほど
メンタルは鬼のように鍛えられました。
自分を否定されることが当たり前なので
無駄なプライドも無くなりました。
その日の活動が終わると
ブログでの振り返りで
反省と次回への課題を設定して
PDCAを回しました。
また、アポの際は
ゲットから逆算して
関係作りからギラつきまでに
話すべきことや、やるべきことのフローを
事細かくメモ帳に書いて
アポの途中でトイレに行って
進捗状況を確認していました。
ICレコーダーで
声かけや、連れ出し後の和み、
アポの音声を録音して
何度も聞き返して、トーク内容を書き起こしたりなどもしていました。
自分の気持ち悪い声と、
不甲斐ないナンパ音声を聞くのは
慣れるまでは顔から火が出るほど恥ずかしかったです。
我ながら、
本当に泥臭くやっていたと思います。笑
このような血の滲むような努力が身を結び
徐々に結果がでるようになっていきました。
そして、
ナンパを始めてから1年半ほど経過した頃には
好みの女性をナンパして
セックスすることには
ほとんど困らなくなっていました。
ですが、それでも飽き足らずに
ナンパを続けました。
見知らぬ好みの女性に声をかけて
色々な話も聞けて
自分の会話力も上がって
おまけに、セックスまでできる。
そして、やりこむほどに
その精度や能力が如実に上がっていく。
結果、ゲットする女性のレベルも上がる。
経験人数も加速度的に増えていく。
この刺激とプラスの循環が堪らなくて
ますますナンパにのめり込んでいったからです。
ナンパでの初ゲットから6年余り経過していますが
僕のナンパへの情熱は
いまだ衰えることを知らないどころか
その炎は更に激しく燃えたぎっています。
前述したルーティンをはじめとする
ナンパでしか通用しないテクニックを使って
『ただ好みの美女とセックスができればいい』
というナンパはからは
数年前に卒業して、
今はナンパコミュニケーションの奥深さに魅せられて、
活動を続けています。
ナンパをすればするほど
新たな学びや発見があり
面白くてたまらないのです。
そして、まだ果たせていない夢があるというのも
執念深くナンパを続けている理由の1つです。
その夢とは、
好みのハイレベルな美女をナンパして
100%の確率で
クロージングすること。
今はその夢に向かって
相変わらず、ストリートに立ち続ける日々です。
まだまだ歩みは止められません。