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バンドというものに動かされてきた人生(2)

Image by Olia Gozha

バンドを始める

心療内科には母親と通った。薬は出ていたが私は飲む気がしなかったので飲まなかった。先生にはお母さんが原因なところもあるし相当変わってるけど、お母さんももう年齢重ねてるから変わらないと思う。そこに期待するのではなくて自分で頑張っていこうと言われた。


しばらくして病院に行かなくなり、その後親と私の3人でカウンセリングにも行ったりしたが、あまりよくはならなかった。カウンセリングのおじさんは胡散臭いと思った。


私は、病気なんじゃなくて世界がつまらなすぎるだけだとずっと思っていた。


ふと、ベースのことを思い出し、たまたま近くでメンバー募集をしていた同世代の人たちとネットで知り合った。それから週1でスタジオに入り、いろいろなバンドのコピーをした。女が私だけだったので、女ボーカルのものは私がベースを弾きながら歌うことになっていた。人前で歌は歌えなかったはずだが、バンドの中だとまだ歌うことができた。不思議だった。

毎回スタジオの後はファミレスに寄って、みんなで延々話をした。バンド活動は、今までにない経験でたのしかった。スーパーカーのコピーで一度ライブをして、オリジナルを作ろうかと言う話になったが進まず終わった。私は、詞も曲も書いたことなかったがオリジナルをやるなら歌いたい、と漠然と思っていた。


丁度その頃、気の合う人たちとの自主製作映画作りにも参加していて、初めて上映会までやった。来てくれる人に、挨拶したかったけれど役のイメージがあるからと外に出れなかった。その時の気持ちをぶつけたかったのだけれど、数か月前の役の私がそこに上映されているだけだ、と思った。今は今で、ありのままを伝えたいと思った時に、バンドならできると思った。バンドなら、何人もいらない、4人もいれば十分なりたつ、こんな理想の形はほかにないだろうと思った時からオリジナルに対する気持ちは強くなった。

ずっと一人だった私にとって、誰かとやるということはとても重要だった。仲間が欲しかった。


ボーカル募集をしているバンドを探しはじめた。22歳だった。

洋楽思考のバンドに拾ってもらい、初めて英語の歌を覚えて歌った。初めて出会ったプロ志向の人たちだった。けれどオリジナルは出来なかった。私でもう10人目のボーカルだと言われていたが、メンバーのあまりの癖の強さに私も数か月で辞めてしまった。

けれど本当に人生としていろいろな経験をさせてもらったバンドだった。「バンドしてお酒とタバコと女があればいい」とリーダーは言っていた。そんな人に出会うの初めてだった。でも私は、お酒なんか飲まず、誰の批判もせず、ただ純粋に、気持ちを形にしていく作業をするためにスタジオに入るようなバンドがやりたかった。


聴く音楽は少しずつ変わっていっていた。洋楽も聴いていたがそのころは、Coccoやfra-foaの音楽が好きでそんな感じのものをやりたいと思っていた。

それからものすごいたくさんの人に会った。バンドだけが私の人生を救えるものだと思っていた。

100人以上に会ったと思う。とにかく心から信頼できる人とバンドがしたかったので会いに行ったし、スタジオにも入った。でも私は自分に自信がなかったのでスタジオでどうふるまったらいいかわからなくて、今あるバンドに加入することは出来なかった。

曲が作れない私は積極的に募集をかけることもできなかった。

ずっとバンドは組めなかった。


私には弟がいるが、中学生からいわゆる不良と呼ばれるようになり、学校にも行かずにいた。突然いなくなり、気づいたら少年院にいたり刑務所にいたりした。私は弟に、自分も頑張っているから頑張れ、と言いたかったが仲がよかったわけでもなく伝える手段がなかった。

ラジオは聴けることを知り、私もラジオで流してもらえるようなバンドを組めばいいんだ、と思っていた。


24歳になっていた。メンバーはずっと探していた。

初めて心から信頼できるベースを弾く女の子に出会って他のメンバーを探した。

彼女はバンドをすでに組んだことがあり、解散したメンバーのことで心の傷を負っていた。パニック障害を持っていた。

色々あって結果的に離れた。彼女の前のメンバーに私はかなわない、と私は思った。悔しかった。


私は早く曲が作りたかった。それがスタートだと感じていた。

それまでにも曲を作ろうと何回もしていたが、出来あがらなかった。どうやって作れるのかわからなかったのだが、急に曲が出来上がった。2年前に死んでしまった犬のことを思い出しながら作った。持っていたMTRに録音した。

それをきっかけに何曲か作り、メンバーを募集した。


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