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ワールドピースチアリーダーMONAの原動力、それは障がいという素敵な個性を持った弟 part3

Image by Olia Gozha

ピーポーピーポーの音が聞こえた

夜、聞いたことないような慌ただしい両親の声で目が覚めた。


ピーポーピーポーの車に弟とパパとママが乗って何処かへ行ってしまった。


次の日、友人の家に私は預けられた。

一体、何が起きたのだろう。

どうして、私を置いて何処かへ行ってしまったのだろう。


しばらく経って、母が家に戻ってくると、私を病院に連れて行った

弟に会わせるためだ。

「弟に会うために、何で病院に行くの?」



でも、久しぶりに、会えた。

それが嬉しかった。


詳しくはママも私には話さなかったが、何やら

「しょうがい」

というものを弟は持ったらしい。

あまりピンとこなかったが、家族の生活が、今までとは少し違くなっていくのかもしれないと思った。


新しいせいかつ

それから、しばらく弟は病院で生活することになった。

ママもずっと病院に付き添っていたので、私は東京のおじいちゃんとおばあちゃんの家に預けられることになった。

幼稚園も変わった。新しい幼稚園で新しいお友達ができたことは嬉しかった。

その幼稚園では、バレエや英語やダンスや習字などを教えてくれた。

これが都会の幼稚園なのかと子供ながらに感心した。


でもどんなに新しい生活が楽しくとも、寂しい子持ちはまったく変わらなかった。

おじいちゃんもおばあちゃんも大好きだけれど、大好きなパパとママ、弟とはずっと会えていない。


弟は一度退院し、やっと私も自分の家に帰ることになった。


しかしその後も弟は入退院を繰り返した。

母と病院に行っても、私は病棟には入れてもらえず、いつもロビーのソファーで待っていた。

自分の体調が悪かった時、待っていたソファーで吐いてしまったことがあった。

ママに迷惑かけないようにと、きていたジャンパーで自分で急いで拭いた。


ご飯を食べるのもひとりが多く、一人で食べるのはあまりに寂しくて、ついにはご飯が食べられず、栄養失調になってしまった。

私は病院で、栄養があるというぶっとい注射を刺された。


心の病気


私は小学生になった。

また、新しいお友達がたくさんできた。給食もすごく美味しくて、お勉強も楽しくて、学校はいろんな行事もあって、とても楽しいところだと思った。

毎日朝が来るのが待ち遠しくなった。学校に行ったら、お友達がいるから、寂しくない。

体も元気になって、体重も増えた。

でも、お家に帰ると寂しい。弟の入退院は相変わらず続き、お家ではいつも寂しかった。

パパもママも、全く私にかまってくれない。

このまま、私のことを忘れてしまうのかもしれない。


ある日、私は突然歩けなくなってしまった。

なんで歩けないのか自分でも全く分からない。

いや、なぜか立つことすらできない。足に全く力が入らない。


事の重大さに気づいた両親は私をいろんな病院に連れて行き、大きな機械に入れられて、検査というものをたくさんした。

しかし、全く異常はなかった。


入院先で結果が分かった。両親がいなくなると、立てるし、歩けるのだ。

でも、両親がお見舞いに来ると、なぜか力が入らなくて、立てない。歩けない。

もちろん、故意的にしているわけではない。私にも分からなかった。


石の結論は、こうだった


心のびょき


パパとママにもっとかまってほしい!!もしかしたらこのままでは見捨てられてしまうのかもしれない。

どうすればいいのだろう。

そうだ。歩けなくなれば、再びパパとママが私を気にかけてくれるはずだ。

私の脳がそう考え、私の体に、そのような命令を下したらしいのだ

















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