
目次
プロローグ
第1章:上京と音楽 編(1〜12)
第2章:ヤツと剣道 編(13〜27)
第3章:答えは東京に 編(28〜34)
第4章:歴史と勘右衛門 編(35〜44)
第5章:就職と抑鬱状態 編(45〜57)
第6章:ブレストと教育 編(58〜68)
プロローグ
勉強はスポーツだ!
仕事はスポーツだ!
恋愛も子育ても人生も、
スポーツ感覚で本気で楽しもう!
ネガティブなことに囚われてる時間なんて勿体無い。
悩むようだったら、オレと”ブレスト”しようぜ!
一本の映画を撮るように人生をプロデュースするために。
第1章 上京と音楽 編 (1〜12)
1
剣道地区大会優勝、
定期テストでは学年1位。
中学までは全てが順調だった。
しかし、高校ではドロップアウト。
いわゆる落ちこぼれだ。
数学はケツから2番目、
英語は何を習ったのか全く記憶にない。
髪を染め、ピアスをあけ、ヒゲをはやし、
大人を上手くかわすスキルだけは身につけていった。
でも、
どうしてもこの生活を変えたかった。
「東京」に行けば、何かが変わる気がした。
もちろん、成績的に国立大学に行けるはずもない。
高3のオレには時間がなかった。
ならば科目を絞って、
「勝つための戦略的な努力」をするしかない。
「過去問」を解きまくり、
「傾向」を掴み、
勝つための「効率的なトレーニング」を積んだ。
運も大いに味方してくれたはずだ。
何とか志望大学の一つに受かることが出来た。
ちなみにオレは一校しか合格していない。
他に受けた私立大は全滅。
本当に、
神様か仏様かご先祖様かが、
オレのために上手く操作してくれたんじゃないかと今でも思う。
ほんと、
そう思うくらいの奇跡的な合格だった。
2
「憧れの街”東京”にとうとうオレは来れたんだ!
どうせなら、刺激的でBIGなコトしちゃってやるぜ!
見てろよ”東京”!!」
・・・新宿歌舞伎町の煌びやかに光るどデカいネオン看板を見ながら、
上京初日にそう誓ったコトを今でもハッキリと覚えている。
気持ちは、”挑戦者”。
どんな未来が待ち受けているか楽しみでならなかった。
でも、
じっと待っているだけでは何も始まらない。
でも、どうやって始めればいいか分からない。
・・・ん?
何を始めたいかって?
そりゃ、若者と言えば、
”音楽”でしょ!
3
話は高校時代に少し遡るが、
当時はマジで”音楽”に救われていた。
悪友のFがカラオケ屋でバイトしてたので、
放課後、ほぼ毎日入り浸り。
どこにもぶつけようがない、
若い大きな葛藤のエネルギーはそこでしか発散出来なかった。
1990年代後半のことだ。
日本でも”HIP HOP”が流行ってきていた。
だからって言うわけじゃないが、
”RAP”をやりたくてしょうがなかった。
ただ単に流行ってると言う理由じゃない。
HIP HOPという文化が放つ強いメッセージが、
落ちこぼれの自分を奮い立たせる起爆剤みたいなモンになっていたからだ。
権力や体制にだって、
自分の正義や想いを主張する。
それは時として、大きな抗争につながりかねない。
だが、
言いたいことも言えず、
腐ってるよりは100倍マシだ。
世の中、”矛盾だらけ”と思っていたオレは、
その真っ直ぐなlyric(リリック:歌詞)に、心を突き動かされていた。
また、
アメリカの黒人文化の通じて、
逆に、日本人の価値観の繊細さや日本語の奥深さも感じるようにもなった。
HIP HOPというジャンルからは逸れるが、
ミクスチャーバンドの”山嵐”もヤバかった。
日本語の歌なんてダセェって言ってる自分がダサかったと気付かされた。
餓鬼RANGERのUPPER JAMというアルバムは、
ちょうど上京する飛行機に乗る前に購入したのを覚えている。
”火ノ粉ヲ散ラス昇龍”という曲を聞くと、
上京初日の気持ちに、いつでもPlay Back出来る。
4
少しでも音楽のそばにいたくて、
選んだバイトは、やっぱりカラオケ屋。
東京の高円寺にある店だった。
地下にあり、昼間でも真っ暗。
CLUBみたいな感じで、ブラックライトが超クール。
店長はじめ、スタッフの自由な感じがたまらなくカッコよかった。
ここでは心の底から仲間と呼べる友人・先輩・後輩が何人も出来た。
そうそう、
”妻”もここの元スタッフだ。
5
「この曲、何ですかぁ?」
「餓鬼レンジャーだよ。」
妻との最初の会話はコレだった。
そのカラオケ屋では、
カウンターにいるスタッフがカクテルを作ったり、
自分の好きな曲を店内に流していいルールだった。
妻は、客から尋ねられたらしく、
カウンターで酒を作ってるオレの元へ
かかっている曲を聞きに来た。
ちなみに、オレは妻より一コ年上なので、
最初は”犬さん”と呼ばれていた。【オレの苗字は犬走(イヌバシリ)なので】
次に、”犬ちゃん(イヌちゃん)”。
少し、カワイくしやがった。
次は、”ワンワン”。
カワイイどころじゃない。完全にナメてやがる。
付き合いはじめて、両親と会うようになってからは、
”智君(ともくん)。”
たぶん、気づいたんだろう・・。
オレの両親も”ワンワン”だし、もし結婚したら自分もステキなことに”ワンワン”になってしまうことを。
そして、今は、”パパ”。
コレ以下の呼び方にならないよう、頑張るしかないな。
6
”人生は映画みたいなモンだ”。
そう、強く思い始めたのはこの頃からだ。
RAPをやりたいと思い、
少しでも音楽の側の環境を探し、カラオケ屋でバイトを始めた。
待ってるだけじゃ何も始まらない。
自分でリリックを書き綴り、
適当なトラック(曲)に乗せ、そして発信。
その作業は、まるで”昇華”。
反社会的だったり、満たすことが出来ない要求を、
別の、社会的に認められている価値あるにモノに変えて表現しているようなものだった。
「一緒に、やんねーか?」
本気で願い、それを叶えるための努力をしている奴には、
映画みたいなチャンスが自然と転がり込んで来るもんだ。
同じ周波数を放つ人達から誘いの言葉をもらった。
2MC+1DJのチームを結成。
FIRSTステージの日も決められている。
速攻で、持ち歌2曲を完成させ、
オレのバイト先のカラオケ屋の、
一番でっかいPARTY ROOMを貸し切って、練習しまくった。
7
初ステージは下北のCLUB。
大学の友人、一緒に上京した友人、バイト先の友人、サークルの友人などが集まってくれた。
CLUBならではの大爆音。
MCたちが客を煽(あお)る。
観客は満員。
ショーケースが始まった。
いよいよオレたちの番。
暗闇の中、光の演出。
”一瞬が永遠のような、永遠が一瞬のような感じだった”。
1曲目から、喉カラッカラで、
腹もツリそうでヤバかった。
客のVibes(バイブス)に負けないようにするだけで精一杯だった。
ーーーーーーーーー
初ステージは、大成功だった。
メンバーと固く抱き合い、
次のステージへの挑戦を誓った。
・・・ただ数日後、
MCのメンバーを一人増やすことにした。
3MC+1DJのスタイル。
相方の一つ上のイカツイ先輩も、
1曲目の喉カラカラ感と、腹ツリそう感がヤバかったみたいだ。
8
その後も、新宿・渋谷・六本木などでステージを重ねた。
特に新宿のCLUBではイベントをオーガナイズ。
気の合うクルーと時間を共有する楽しさは、かけがえのないものだった。
ーーーーーーー
「OkasurferZを結成するナリ!」
同じクルーの先輩から電話でいきなり宣言された。
「え? オカサーファーゼット? 何すかソレ?」
「だまれ!はげ!スノーボードのDVDのBGMに使われる曲を作るナリ!」
この人はいつも発言がプリンスだ。
一コ先輩、背はちっちゃい。
でも、絶対王子感がハンパなくて、誰も口では勝てない。
つまりラッパーとしては"強い"ってこと。
この人の提案には逆らえない。
3DJ+1DJのオレらのチームは、
気づけば、5MC+1DJの大所帯になっていた。
9
この時点で、
オレは大学3年生になっていた。
あとで話す内容とリンクしてくると思うが、
OkasurferZの話が出てきた時期は、
”就職活動、教育実習・卒業の単位取得、アルバイト”で、
超、忙しい時期でもあった。
だが、せっかくここまでやってきたんだ。
”何か爪痕をだけでも残してやるぜ!!”
そういう気持ちも大きかった。
ーーーーーーーーーーー
曲作りに取りかかる。
みんなが書いてきたlyricをトラックにのせては、
あーでもないこーでもないと修正作業。
レコーディングは徹夜になることがほとんどだった。
曲を作ってはLIVEの繰り返し。
LIVEを通して分かることもある。
そして、
また修正。
LIVE→修正→LIVE→修正→LIVE。
取っ組み合いのケンカもしながら、
やっと納得のいく曲がいくつか出来た。
結果、
見事、”LAST QUEST(ラストクエスト)”という曲が、
スノーボードDVDのBGMに採用されることになった。
10
”下剋上”という名のスノボDVDは、全国のスノボ用品取扱店(ムラサキスポーツなど)で、販売され、
また、そこに使われた曲だけを集めたコンピアルバムも発売された。
余談だが、
”下剋上其之三”にも、新たに制作した楽曲”RusH HouR(ラッシュアワー)"が採用されることになる。
爪痕くらいは残せたかな。
”下剋上”を達成した者の気持ちが、
なんだか、少し分かったような気がした。
11
音楽を通して、気づけたことがある。
”人生は、本気の想いは必ず叶う、映画みたいなモン”だってこと。
ただ、
”望む”だけではダメだ。
”発信”しなきゃいけない。
七夕にも似てるかもしれないな。
短冊に”足が速くなりますように”と書いても、
それを叶えるための、”努力”をしなければドラマは起きない。
この経験は、”仕事”でも大いに役立ってる。
こうやって文章で自分の過去を振り返っているのも、
自分という人間を発信するためだ。
おまえも、
”一本の映画を撮るように、
自分の人生をプロデュースしていきたい”と思わないか?
12
大学卒業と同時にチームは解散。
メンバーはそれぞれの道を歩み始めた。
音楽活動を続けたメンバーの中には、
iTunesヒップホップ部門2位を獲得してくれた者も。
オレらの分の夢まで背負って走ってくれてたことが嬉しかった。
第2章へ 続く。

