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13/6/13

子どもを亡くして社畜をやめた話⑤嗚咽の家と恫喝の職場

Image by Olia Gozha

子どもを亡くして社畜をやめた話⑤嗚咽の家と恫喝の職場







中央線に揺られる




どこかの駅で人生に絶望した人間が線路に飛び込み

また今日もダイヤが乱れる




鬱屈した感情が車内に満たされていくと同時に

慌てて携帯電話を取り出した人々が

それぞれの会社への遅刻連絡を始める




次の駅に着いたら降りようと決める

遅刻すると会社へメールを送る

車両は微動だにしない




おれはメール送信の画面を閉じ

ブックマークしておいた記事を読み返そうとする





読めない





むすこの症状に関する記事は

同じ経験をしてきた他者の苦悩が広がるばかりで

諦めるという以外の解決策を提示してはくれない





携帯電話をポケットにしまう





また取り出して同じ記事を読もうとする

やはり読めない





昨日の夜も妻は泣いていた




おれたちは子宮の中のむすこに語りかけながら

疲れて眠りがやってくるまで

手を取り合って泣いた





電車が動き出す

おれは

どこで降りれば良いのかわからなくなった



13トリソミー

おれのむすこの脳は2つに分かれていなかった



染色体異常により

妊娠初期の細胞分裂が上手くいかなかったからだ



発症の原因を特定することは出来ず

自然流産200件に1件という割合で発生するというもので

発症した胎児の多くは発覚前に死産してしまう



脳が成長していない為に

生命維持に必要な臓器の形成が不十分である事が殆どで

そもそもおれのむすこのように

出産可能な月齢まで成長すること自体が稀であり

新生児2万人に対して1人の割合ということだった



おれはこの客観的な数字を眺めて

そのどこかに希望が無いか探していた



しかし



出生後は多くの子が数日から数時間しか生存できず

奇跡と言えるレベルでも持って数年という事だった

もちろん人工的な生命維持環境が必要である



つまり



何度この症状に対する情報を把握したところで

想像できる範囲の近い将来に100%死んでしまうという

事実を叩きつけられるだけなのだった



嗚咽の家

大学病院での診断結果の宣告を

繁華街の一角にある産科医で受けてから

妻の精神状態は安定を失った



女医は生存率の絶望的な低さを的確に表現し

このまま自然に任せ出産に向かった場合の

母体への影響とその危険性

また

もし無事出生したとして

生命維持を図った場合における

経済的な負担の重度について説明をした



そして

次の子に向けて動き出した方が良い

と言った



おれたちはその女医を信頼していたし

そのときの彼女の言葉は無責任に放り投げられたものではなく

おれたち2人に対して真剣に発せられたものだったから

むすこの症状の深刻さを十分に理解させられた


決断までの時間は少なく

それを過ぎると選択の余地は無くなり

突発的な死産により

妻の生命にも危険が及ぶ可能性を女医は示唆していた



それから数日後

おれはむすこを殺すことに決め

女医は海沿いの町にある医院を紹介した



月齢8ヶ月の胎児の人工出産を

延命しない前提で受け入れる病院は少ない

グレーゾーンの医療を引き受けるということになるからだ



むすこの命日はそれから10日後に決まったが

相変わらず胎動は続いており

妻やおれの呼びかけに答えているようだった



この胎動は機能不全からくるただの痙攣で

おれたちの言葉は届いていない

そう割り切れるほどには

共に過ごした時間は短くなかった



妻は表情を消し

それが戻ってくるときには嗚咽した

おれが好きになった笑顔は

不幸な事実を認識する前触れとして表れるのみで

その後は一気にバランスを失い

苦悶をさらけ出した



その表情の落差は凄まじく

感情の崩壊に飲み込まれそうで

おれは自宅に帰ることが恐怖だった




恫喝の職場

むすこの症状を知ってから

おれの仕事は少しずつクオリティを落としていった



状況判断が上手く出来ず

考えをまとめるまでに時間が掛かるようになり

何度も頭の中を整理しなければならなかった



当然ミスが増え

そのミスを挽回する為の時間が余計に掛かる

ただでさえ長い労働時間はさらに増えていく一方だった



そして



診断への付き添いや人工出産の為に取った休暇について

部長代理から陰口を叩かれていると

同僚が注意喚起のメールを送ってきていた



この頃はまだ体裁を保つことが出来ていた為に

部長代理に目を付けられることも無いと思っていたが

着実にロックオンされる方向へと向かっており

それまではあくまで他人事だった

日々恫喝される同僚の姿が

段々と未来の自分と重なって見える様になっていった



おれは日中は外回りに専念し

新規案件を求めて営業に出た

部長代理と顔を合わせる時間を極力減らしたかった



夕方過ぎにオフィスへ戻った時に

彼が既に帰宅していると安堵したし

逆に

まだデスクにいる姿が見えると恐怖感を覚え

それを悟られないように

わざと明るく振舞うようになった



あの頃は電車に揺られている一人の時間が

とにかく安心できる唯一の場所で

通勤時にしろ

外回りの営業に出掛けるにしろ

目的地に到着してはガッカリとしていた



テーマパークで

むすこの命日まであと数日に迫ったある日

おれと妻はテーマパークへと向かうことにした

死ぬと決まったむすこと共に

何か思い出を作りたいという妻の願いだった



当然だが妊娠中の妻が乗れるアトラクションは少ない

それでもテーマパークのファンタジックな世界の中にいるだけで

明るい気分になれたし

そうなる様に無理やりにでも楽しもうとした

この時ばかりは妻にも涙を伴わない自然な笑顔が戻った



日も暮れてきてそろそろ帰ろうという頃

新しく出来たという

熊のキャラクターの乗り物の列にならんだ

まだむすこの症状が発覚する前に

むすこのためにその熊のキャラクターの

ぬいぐるみを買っていたのだった



パンフレットやガイドには

妊娠中の搭乗について注意書きが無かった為

駄目で元々と思いその列を進んでいったのだが

案の定

上下の動きがあるアトラクションだった様で

安全バーを降ろさねばならないことが搭乗間近で分かった


あきらめたおれと妻は楽しみそうに並んでいる人々の列を離れ

通常は通行出来ない用になっている通路から

そのアトラクションを出た


突然ファンタジーから

数日後に迫っている現実に引き戻されたようで

おれはあの列に並んだことを後悔した



こうして



おれのむすこである「はじめ」との

最初で最後のテーマパークが終わった



数日後彼は生まれ

そして亡くなった


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