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闘病という非日常、それが日常になる。

Image by Olia Gozha

アラサーで白血病になった

2017年8月。急性骨髄性白血病と診断された。突然の出来事だった。それまで、毎年していた血液検査ではなにもなかった。今まで大きい病気なんてまったくしていなかった。著名な人の闘病の話、病気を題材にした小説を読んでは感情移入もしていた。今まで他人事として、一歩も二歩も下がったところから見ていたものが自分に降りかかった。


去年の8月、私はフィンランドの福祉施設で働いていた。大学のときからフィンランドにいるので、在住歴は7年になる。施設は7月の間夏休みに入る。有給をしっかりと取らされるヨーロッパ。社会人になっても夏休みが訪れる。休みの間に日本に帰国することにした。友達にあったり、母と旅行に行ったり。フィンランドと日本での気温差は10度。暑さと休みという安心感で旅行中に疲れを感じることが結構あった。バスで移動中はほとんど寝てしまっていたし、有名な観光名所で階段や急な坂を登るときは所々休憩が必要だった。暑さと歳のせいなんて母と笑いあった。


楽しかった休暇が終わり、フィンランドに帰国した。週末を挟んで夏休みが明ける日程にしていた。帰国した翌日、アパートのすぐ隣にあるスーパーに買い物に食料品を買い出しにいった。2階にある部屋の玄関に入った瞬間に血の気が引き吐き気に襲われた。それから、あっという間に体力が落ちていった。家から徒歩15分のバス停が気の遠くなるほど遠い距離にあるように感じた。少しあるくと息があがり、階段は手すりを持って体を無理やり引き上げてやっと登れる。月曜に仕事に戻った時も、遊び疲れとアラサーの体力の衰えかな〜と呑気に話していた。

なんとなくおかしいなとは思いながら、病院に行くのをつい後回しにしてしまっていた。仕事が始まった週の金曜日に会社で目眩がして立てなくなった。月曜日に病院に行ったけれど、そこではすぐに採血をすることはなく、水曜日にようやく検査をすることになった。女性によくある貧血だと思い軽く考えていた。自分で薬局で鉄分錠剤を飲んだりしていた。水曜日に彼氏が家に遊びに来ていた。一緒にご飯を作り、テレビをみてゆっくり過ごしていた。夜の9時を回ったぐらいに、知らない番号から電話がかかってきた。普段、夜の時間にかかってきた知らない番号になんて出ないのに、この時はなんとなく出ていた。


その、電話は朝血液検査をした病院からだった。

「あなたの血液中のヘモグロビンが去年から比べて半分以下になっています。今すぐ近くの救急病院に行ってください。」

この時はまだ、なぜヘモグロビンの数値が低いのかわからず楽観的だった。夜だったので、検査に時間がかかるとお腹が少なと思っていた私は病院に行く途中呑気にスーパーでジュースを買って行った。彼氏にジュースをおごってもらい、ラッキーと軽口を叩く余裕がまだあった。


その病院では友達が看護師として働いていて、彼とその子に会えるかな?なんて言っていたら、本当に会って驚いた。夜の救急病院はとにかく混んでいて、採血に通されるまで1時間もかかっていた。やっと採血をしたと思ったら、検査結果が出るまで病院で待たないといけないと言われた。結果がでるのに約1時間かかるらしい。結果がでたら、もう一度検査をすると告げられた。また1時間待った。この時もまだまだ気持ちに余裕があった。きっと重度の貧血で、輸血とかして家に帰るんだろうなぁ。と思っていた。2度目の検査が出たけれど、念のためもう一度検査をすると言われた。この3度目の検査次第で、入院をするかもしれないと言われた。3度目の検査が出て、入院をしなければならないことを言われた。でも、一体なにが原因で入院するかは言われなかった。家をでるとき入院なんてすると思っていなかったから、スマホの充電もあと20%で。入院したということよりも、明日もし仕事に行けなかったらどうやって連絡しようっていうことだけが気になっていた。

廊下のようなところに、一列に並べられたベッド。隣のベッドとは衝立で仕切られているだけだった。今後の処置は先生が後で告げにくると言われた。生理食塩水の点滴をして、バイタルを測る機器をつけられた。その間、彼はずっと付き添ってくれていた。夜の2時を回っても何も新しい情報はなかった。何かわかるまで一緒にいると言ってくれたが、次の日も仕事がある彼氏には帰ってもらった。


長い夜が始まった。


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