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「あ~どうすれば商売ってできるようになるんだ~」
そんなことを思いながら、
建築の専門学校に学校に
通っていた当時19歳の僕。
建築士を目指して
京都の専門学校に
通っていたころだ。
当時、なんでこんなに
経営したいってずっと
思ってたのか。。。
僕がまだ小学生のころ、
よく父の造園の仕事に
一緒に行っていた。
造園屋さんといえば
庭師職人さんだ。
小学生だったから、
現場にいっても
全く役にたってはいなかったが、
とにかく父がお庭のお手入れを
している姿を見るのが好きだった。
父もまだ若く、朝の5時に起きて、
職人さんの服を着て、地下足袋を履いて
腰にベルトと剪定ばさみを入れて、
2tトラックで現場に向かっていた。
夏休みの時は、
暑くて汗だくにながらもついていった。
現場に行くと決まってこう言われた。
『庭師の仕事は、掃除が一番だ。』
『掃除ができないやつが一人前にはなれない』っと。
僕は、慣れないながらも
竹ぼうきを片手に
小さな落ち葉や剪定した後の枝を
拾い集めていた。
※そのおかげで、いまでも掃除しないと気が済まない体質になった。
自分なりには頑張っているものの、
相当遅かったのだろう。
父が最後にはすべてきれいに
掃除してくれていた。
現場で働く父の姿を見ていて、
カッコいいなって思っていた。
父の剪定ばさみをもった後ろ姿は、
大きくてたくましかった。
きれいに剪定と掃除がされた
お庭はとても綺麗だった。
それをみたお客さんの喜ぶ姿や、
父も頭を深く下げて
ありがとうございます。っと
言っていた姿が目に焼き付いている。
僕はその光景をみて、とても嬉しかった。
小学生ながらも、
将来は父と一緒に庭師の仕事がしたいと
心から思っていた。
これが経営者になりたいと思った
きっかけである。
高校を卒業するとき、
建築を学んで家が建てれるようになったら
お庭づくりも一緒に
できるじゃないかって思って、
京都の建築の専門学校に
4年間通うことにした。
でも、建築の専門学校に
入学したもんだから、
経営や商売のことなんて
教えてくれる人は
だれ一人としていなかった。
だから本屋さんに、
自転車を必死でこいで
毎月の少ない手持ちのお金を使って、
ビジネス本や自己啓発本を
片っ端から読み進めていた。
たぶん、100冊以上は軽く読んでいたりした。
ある日は、大阪や東京に経営セミナーや
自己啓発セミナーなんてものにも
参加しつづけていた。
セミナーに参加している人は、
現役バリバリの経営者さんだらけ・・・
年商何億、年収何千万みたいな人が
ゴロゴロいる中で、
19歳の訳の分からない青年が
一人ぽつんといるような状態だった。
僕は優秀な経営者になるために
必死で学んででいた。
そんなことを繰り返す中で、
WEBマーケティングを
事業としている社長と知り合いになり、
一緒にお仕事を手伝えるようになった。
もちろん、丁稚奉公という形で
報酬は一切いただかないので、
なんでも仕事をもらって
『学ぶ』ことに集中をした。
稼ぐためではなく、学ぶために
仕事をさえてもらっていたんだ。
そんなある日、
いつもお世話になっている
WEBマーケティングの
社長さんから紹介を受けた。
『藤井くん、将来、造園屋の
経営者になりたいって言ってたよね?
僕が教えてもらってるお師匠さんを紹介するよ』
ひょんなことで、
紹介された経営者さん。
それが、ドバイで暮らしている
Mr.スズキだった。
初めて会った印象といえば、
ほんとうに一般人と変わらない服装で
ふんわりとしたイメージ、
ぽっちゃりとした感じだ。
第一印象は、完全にお地蔵様。
くるくるの天然パーマに、
ぽちゃっとした体系、
それに福耳がある。
気さくなひとだなって思った。
でも一つだけ、気になって
ガン見していたところがあった。
右手の薬指に着けている、
ダイヤモンドとサファイアの塊。
これは、指輪か・・・?
とんでもないものを
一つだけ身に着けていた。
僕は、恐る恐るMr.スズキにたずねた。
『Mr.スズキ、この指についているダイヤはなんですか?』
すると、Mr.スズキは優しい
笑顔で答えてくれた
『身代わりに使うんだよ~』
うっそだろ!そんなことあり得るのか!
と、内心驚いていたけど、
どうやら本当らしい。
海外の生活が多い、Mr.スズキ。
もし泥棒に襲われたときは、
最終手段としてこのダイヤモンドの指輪を
渡すということらしい。
あと、お金を持っている人ほど、
お金ちもちということを
見せびらかしたりしないそうだ。
良くも悪くもいろんなものを
引き寄せるからだと教えてくれた。
僕は、ドバイに住む
『金持ち父ちゃん』だと
その時思った。
で、よくよく話を聞いていると、
どうやら元々は造園屋さんを
していたんだそうな。
正直、自分でも驚きが隠せなかった・・・
『こんなことあるのか・・・』
今まで、いろんな経営者さんに
出会ってきたけど、
造園屋さんをやっていた
経営者さんには出会ってもみなかった。
そして、Mr.スズキは
地方のナンバー1に造園事業を成長させ、
ドバイの世界一高いタワーに住んでいる。
ぼくは、小さなころから実家の造園事業を
四国で一番の事業にしたいって
本気で思っていた。
そして、実家の造園事業を
成長させながら生まれ故郷の
香川県を盛り上げたいっていう
思いが一番強かった。
でも具体的にどうやって
すればいいんだって、
悩んでいるときに
出会うことができた。
本当に『ご縁』というものは
大切にしなければならないと
思った瞬間でもある。
その出会いから、数か月後、
またMr.スズキがドバイから
東京に帰ってくるという
噂を聞きつけた。
どうやら、経営者さんが
集まる飲み会をするらしい。
もちろん、参加を決断して、
すぐに予約をした。
東京で行われる飲み会は、
モノマネバーとか昭和歌謡バーに行って
どんちゃん騒ぎ。。。
僕も小さいころから父が聞いていた
昭和メドレーを聞いていたから、
昭和の歌も好きだ。
そんな中で、ワイワイしているうちに
Mr.スズキとちょっとづつ話すことが
できるようになっていた。
『ところで藤井くんは、
何をしているの?』
優しい雰囲気で
僕に話しかけてくれた。
『僕は今、建築の専門学校に通っていて、
将来実家の造園事業を成長させたいんです!』
なんてことを正直に話した・・・
すると、
『そうなんだ、僕も藤井くんと同じように、
26歳から実家の造園事業を受け継いで
社長でやってきたんだよ』っと話をしてくれた。
それから、10年以上も
黒字無借金経営を続け、
社長が不在でも
事業が回る仕組みを構築していた。
聞けば聞くほど驚くことばかりだったけど、
しっかりと実践を踏んだ
経営者の話すことは、
理解しやすく非常に分かりやすかった。
それからというもの、
Mr.スズキが教えてくれたことを
すべて実践していくことに決めたんだ・・・
ここから、経営者になるまで
壮絶な道のりが始まった。
18歳で経営者になるって志してから、
6年後の今・・・
2018年4月に僕は会社を設立することができた。
今僕は、24歳だ。
ここまでの6年間、
経営者としてたくさんのことを
ドバイの金持ち父ちゃんから学んだ。
その内容を続きとして、ここから語ろう・・・
続きのお話・・・
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