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日系人は「許してもらえない」という話

Image by Olia Gozha

水原希子が糾弾されているのは、その出自や彼女が属する民族グループによってではなく、日本名を名乗って「日本人のふり」をして日本で芸能活動している「くせ」に、都合のよいときだけ外国人を名乗り、ある国に対して必要のない謝罪を行ったから、ということらしい。もうひとつ。南米からの日系人は「許してもらえない」と聞く。日系3世、4世で見た目は日本人と変わらないのに、日本の文化を知らない、漢字が読めない、敬語がきちんと使えないことで「常識を知らない変な人」ということになってしまう。子どもならそれがいじめにつながる場合もある。いっそ外国人のような見た目をしていれば「許される」のに、「私はガイジンですらない」とため息をつく。

ここで、その妥当性はともかく、この2つの例の基準となっているのはこういうことなんじゃないかと思う。

その1:日本人なら日本人らしく。外国人なら外国人らしく。どっちつかず、中途半端な態度はダメ。

その2:日本は日本人の国であって、外国人は日本人に「許された」場合のみ、権利と居場所が与えられる。

従って、自分のアイデンティティーを両属的に表明する者、外国人と日本人の見分けがつかない者は制裁の対象となる。生まれながらに全ての人間には基本的な人権が備わっているというヨーロッパ生まれの概念は、現在の日本で吹き荒れる「血の論理」にはかないそうにない。

その日本、日本人とはいったい何のかという問題はとりあえずおいておいて、僕が20代の頃、日本を出たのはこの「〇〇らしく」と「許すー許される」の関係に息苦しさを感じたからでもあったと思う。

20代の男性なら、社会人なら、会社員なら、〇〇の課員なら、と延々に続く「〇〇らしく」に辟易した。そして、会社では個人の上に組織が全人格的に君臨し、許されたことしかできなかった。とにかく、そういう社会に嫌気がさした。

ところで、内閣府の推計値によると15-39歳までの「若者」で無職かつ引きこもりであると思われる者は約70万人、その予備軍は155万人もいるらしい。横浜市内で限って言えば、約8,000人がそのような状態にあるという。予備軍も含めれば、合計225万人!。これだけの人々が、現在の社会のありようについて、その存在をかけて不信任を表明しているわけである。

この全ての人が働き始めれば人手不足などは一気に解消されそうな数である。

あとは、先日も少し書いたが、毎年9月の始めになると電車に飛び込んだりする子どもが続出する。引きこもりも、子どもの自殺もその根っこは同じような気がしていて、それはこの「〇〇らしく」と「許すー許される」の関係なんじゃないかと思っている。

私たちだけではもうどうしようもないような、この息苦しさ。これをどのように解消していったらよいのだろうか?私たちは幸せのため、豊かさのため、なるべく寄り道せずに効率よく生きて行こうと努力し、ある程度の成果を収めてきた。しかし、その結果、70万人もの無業者と電車に飛び込む子どもたちも同時に生み出してしまった。

加えて社会の諸仕組みの制度疲労。袋小路の打つ手なしの状況に現れたのが、過激な排外主義と移民の受け入れ政策であったのではないか。

過激な排外主義は問題外としても、移民の受け入れについても疑問が残る。少子高齢化で人手が足りないから受け入れる。では、足りていれば受け入れないのか?たぶんそうだと思う。それは、日本経済に直接プラスの影響を与えない難民の年間認定数(なんと28人!)を見れば明らかである。

役に立つのあれば「許す」、役に立たないのであれば「許さない」。結局、移民の受け入れもこの原則に従って進められていると考えざるを得ない。

だから、移民受け入れの前に出生率の向上のための政策を、という声が上がってくる。もちろん、これは二者択一ではなく、両方同時に進めて行くべきではある。しかし、どうも、この役に立つのあれば「許す」、役に立たないのであれば「許さない」という原則が引っかかる。

70万人もの人が社会になじめず、9月になると子どもが死ぬ。このことの根源的な原因についてもっと考えていくべきなんじゃないかと思う。私たちは「〇〇らしく」、「許すー許される」の関係に替わる社会のモデルを模索していく必要があるのではないだろうか。

そして、それは教育勅語の復活とか、道徳教育の強化とか、武道の必修化では乗り越えられない問題であると思っている。そのような復古主義ではなく、これまでの息苦しさを解放していくような多様な価値観の承認こそが、この社会のための処方箋であるような気がする。

私たちの社会は、例えば、もっとこう学校が嫌なら他の場があるとか、他の道があるとか、そういう選択肢の多様さと豊かさを備えていく必要があるように思う。それは、今までの基準からすれば、一見非効率で混沌といるものであったとしてもだ。

そして、この多様な価値観を認めていく環境を整えていくためには、この国においてメンバーシップを持つのは誰か?という問題に決着をつけておく必要がある。そうでなければ、多様な価値観を持つマイノリティは、伝統的な日本文化の浸食者というように読み替えられ、排斥の対象になってしまう。

突き詰めれば、それは「市民権」の問題になるのだと思う。このことはもうずいぶん前から気になっていて、歴史オタクとしては、アテネ、スパルタ、ローマの市民権についてのいろんなものを読んでいて、この3者の市民権についてのスタンスの違いは興味深い。

結局、帝政以後のローマ型の市民権の付与がローマ隆盛の基盤になったようなのだが、その話は長いのでまた別の機会に。

とにかく、このメンバーシップの問題について、より多くの人が納得できる処方箋を提示していかなければ、この国に明るい未来はないのだろうと思っていて、この点については、国を憂いている。

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