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自分が社会人になって、母が癌を患って。。。

Image by Olia Gozha


自分の少し先の未来、さらに先の未


来を考えていなかったから、どこに


就職したいとか、この会社がいいと


かそんなものは一切なかった。


だから初めはとりあえず電気工事の


会社に就職を決めた。


理由はぼくの住む県から出なくて済

むから。


これじゃあ、長続きするはずもない。


3ヶ月の試用期間でやめた。


そして、向かった先は公務員。


やっぱり安定した将来が欲しかった


から。。。



わずか半年で受けた公務員試験はこ


とごとく落ち続けた。


さらにはニュースで就職難の波と謳う。


グローバル化もすごい勢いだ。。。


グローバル。。。


これからは英語がめちゃくちゃきそう


だと思ったぼくはすぐに求人を探した。


そして、入った先は英語も必要な場所


での警備員。これでおれも英語がペラ


ペラに!



なんて考えは甘かった。


というか当たり前で同僚は日本人で、


外国人と接するのはわずか。そんな


ところでどうやって英語ができるよ


うになろうか。浅はかな自分に肩を


落としかけたが、落としても何も始


まらないと思い、期限を決めた。


3年で300万貯金して、海外で英語


を学ぶと。そうと決めてからの断捨


離はすごかった。行く必要のない飲


み会は断り、食事も水道代も切り詰


めた。


そんなときだった。母の癌が見つかっ


たのは。。。


たまたま休みだったぼくも両親につい


て病院まで行った。


検診で初めて引っ掛かった母。


3人で今日のお昼はどこで食べようか?


みたいにのんきに話しながら、車は病


院に到着。


今でも覚えているあの瞬間。


医師の言っていることを3人とも受け


入れ切れなかった。


肺に悪性の腫瘍、ステージ4、末期です、


余命6ヶ月。


そこからは抗がん剤や点滴、どんどん痩


せ細ってく母を見ていた。できることは


なんでもやった。兄弟で分担し、父親に


はできるだけ母の近くにいてもらった。


自分が海外に行くなんて言い出せなかった。


だって、仕事を辞めて無職になることを


誰よりも母が一番嫌いなことだから。


痩せ細ってはいくけれど、母は強かった。


幾度となく立ち上がり、料理を作ろうと


試みたり、旅行にいきたいと言ったから


みんなで近くの小さな有名な山に登って


見たり、散歩だって毎日欠かさずにやっ


て。一緒に行けるときは必ず行った。


そうやってなんと5年も生きてくれた。


最後まで母は本当に強かった。


そして最後はみんなに看取られて静かに


眠っていった。





とにかく止まっていられなくなって、


すぐに留学先を決めた。その先は


フィリピン。

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