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イジメ、レイプ、DVに娘との死別。どれだけ辛い事があっても、幸せになる事を諦めなかった話①

Image by Olia Gozha

2012年4月5日。予定日より一ヶ月早く、娘が生まれた。当時私は18歳。子宮口が中々開かず、緊急帝王切開での出産だった。


未成年での出産を、周りはもちろん反対した。


どれだけ背伸びして大人ぶっても、18歳なんてまだまだ未熟な子ども。世間からの偏見や、厳しい目でみられる事は分かっていた。それでも最初から私の中で産まない選択肢はなかったし、考え方が甘いと言われたけど、娘を命をかけて守っていく決意も自信もしっかりあった。


娘への想いは言葉にできないぐらい強かった。計画していた妊娠ではなかったけど、イジメやレイプの被害にあい、両親どころか誰にも相談できず、絶望していた私にとって娘の存在は希望そのもの。


これから始まる我が子との新しい人生に、期待で胸がいっぱいになり、生きる力が湧いていた。


だけど、娘は生後たった一ヶ月でお空に帰ってしまった。


生後すぐにNICUに入院した娘は、検査の結果、ダウン症と合併症を発症していることがわかった。


体中点滴に繋がれ、泣く事も、おっぱいを飲む事も許されない。


それでも小さな体で本当によく頑張ってくれたけど、5月1日、私の腕の中で息を引き取った。


初めての、最初で最後の抱っこだった。


未来、希望。


私の中の全てが崩れ落ちて、喪失感でいっぱいだった。


だけど、例え娘がお空に帰ってしまっても、私は母親であることを辞めなかった。


辛くて辛くて、心が苦しくてどうしようもない。


でも、娘の自慢の母親でありたい、その一心で、私は絶望から脱出し、娘の分も強く生きていくことを決めた。


が、娘のお葬式から数日後。


私はまたもや絶望に陥ることになる。


娘の父親であり当時私の恋人だったCの、浮気が発覚・・・。


浮気相手のRがたまたま私の友人の知り合いで、発覚した。


私は信じきれずに、事実を確かめるためRと会い、Cとの連絡のやりとりや写真を見せてもらった。


CとRは私が妊娠している時から関係を持ち出し、Cは娘の入院中や、娘が息を引き取った直後もRに連絡を取っていた。しかも、娘の写真付きで・・・。


娘は毎日点滴で沢山の薬が投入されていたにもかかわらず、排尿が上手くできないせいで体のむくみが酷く、亡くなった日には体中が紫色になってしまっていた。


そんな痛々しい姿を、母親である私でも見るのが辛いのに、Cはあろうことか亡くなった直後の娘の写真まで送っていた。


その写真へのRの返信は、


「私が健康な子を産んであげようか?」


こんな事を言えるなんて、同じ女として信じられなかった。


・・・・


心臓が引き裂かれる思いとはまさにこのこと。


まだ18歳で娘と死別したばかりの私にとって、心の支えだったCの裏切りはあまりにも辛く、気が動転し、命の大切さを知っている自分が一番したくない自殺を試みた。


夜中にこっそり家を抜け出して、持ち出した大量の薬とお酒を飲んだ後腕を切り、川沿いをフラフラと歩き続けた。


朝方になり探しに来た親に病院に連れて行かれ、そのまま入院。


娘がお世話になった病院だった。


「お願いします、死なせてください。死なせてください。」


たった一カ月弱の間に、あまりに沢山の事が起きすぎて、私にはもう耐えられる力は残っていなかった。


だけど、それでも私の中の"母親としての自分"は諦めなかった。


いつか天国に行った時、娘にハッピーで面白い土産話を沢山聞かせてあげたい。


でも今のままじゃダメだ。


今の私の姿を見たら、娘はどう思うだろう?


私は娘の自慢のママでいたい。


じゃあ落ち込んでなんかいられない。


"自分のために"頑張る力が残っていなくても、"娘のため"なら私はまだ踏ん張れた。


そして、"生きること"を決意した私は病院を退院し、Cとは別れ、新しい人生を歩むことに決めた。

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