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生まれつき赤いあざが手にある。そこから生まれた夢

Image by Olia Gozha

私は生まれた時から左手から左肩にかけてまだらに赤いあざがある。

 自分が幼い頃からあるので、気にしなかったし、周りの友達も気にしなかった。小学生高学年になるとなんで、自分だけ手が赤いんだろう?と思うようになった。学校でプールの授業があると、何だか嫌な気分になった。なんで、自分だけみんなと同じ肌色で生まれてこなかったんだろう??と自分自身考えるようになった。そんなときに母親に実際生まれてきた時は母はどう思ったのか聞いてみることにした。

母はこう言った。

「手が赤いって言われときはびっくりしたけど、手がしっかり動いていたからそれで充分だったよ。」

その言葉を聞いた時には安心したしホッとした気分になった。

そして、自分も動いていれば良いと思うようになったし、手が赤いだけで、ある意味特徴になり人から覚えてもらいやすいからある意味ラッキーと思うようにした。同じような赤い痣で悩んでる人には失礼かと思いますが、自分は前向きに考えるようにしました。


 そして月日が立ち高校に入学する前に突然父親が私の左手の赤い痣を気にしてか、大学病院に行って検査をしてきなさい。と言ってきた。私はもう気にしていなかったのでなんで、そんなことを言うのかな??と思った。

 後で聞いたら高校に行ったら色々な人が来て私が嫌な気分になるのではと心配していたらしい。


大学病院に行きお医者さんにみてもらったら

「毛細血管肥大症」と診断された。(単純性血管腫)

そんな病名があるんだと正直初めて知りました。

治療方法としては皮膚移植かレーザー治療があると言われた。治療は希望があるならやるけどどうする?と言われたので、私は動くから大丈夫だし、気にしてないから大丈夫だと言った。

そしたら先生は笑顔で

「そうかぁ!」

と言った後に何か将来なりたい夢はあるのか?と訪ねられた。


「消防士になります。」


先生は

「もし何かあったら俺のことを助けに来てくれと」笑顔で言ってくれた。


 なぜ僕が消防士なのかは

私自身は手に赤い痣があることに悩んでなかったが、父は色々と考えていて悩んでいたかもしれない。そんな父に少しでも恩返しと親孝行をしたかった。

それは父が叶えられなかった。

「消防士」

その夢を叶えることだと。

そして、消防士の中でも救急隊になりたい気持ちがありました。

それは幼い頃に交通事故に合い助けて頂いたからです。人が困っている時に優しく手を差し伸べたいと。

救急隊になって活躍していけば、手に赤い痣があることに偏見や差別を少しでも減らせるのかな?

幼い頃悩んでいた私みたいな人を救えるかなと思っている。


そして高校を卒業し、専門学校を出て、現在将来の夢を叶えています。


同じような赤い痣で悩んでいたり、気にしている人達が少しもそう、思わないような日常になるように願っています。









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