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バッドエンドな恋と人生

Image by Olia Gozha

初恋とバッドエンドの始まり

人生において恋愛とは映画やドラマのようにはいかないものだ。必ずしも、その終わりがハッピーエンドとは限らない。むしろ、俺の恋はこれまでバッドエンドの連続だった。ハッピーエンドで終わった試しがない。それは人生においても同じことなようで……。


今回は、その物語を語っていこうと思う。つまらない話かもしれないが、まぁ聞いてほしい。




俺の初恋は小学校低学年の時。同じ学年のA子ちゃんだった。髪はセミロングでドラえもんでいうところの"しずかちゃん"のような存在だった。俺は言わずもがな、"のび太"だ。典型的ないじめられっ子だった。いつも"ジャイアン"のような奴にいじめられてたわけだ。

アニメのように助けてくれるような"ドラえもん"的な存在がいるわけでもなく、俺はやられっぱなしだった。

親父はというと

「やられたらやり返せ!」

と言うタイプの人間だったが、気弱な俺にそんな芸当ができるはずもなかった。親父は本当に恐い人で、その恐さは近所でも友達の間でも有名だった。俺は


――世界一恐いのは親父だ


と、心底思っていた。今だにこの考えは変わっていない。普通に何度も殴られたこともある。親父以上に恐い人間に出会ったことがない。親父を怒らせないように、子どもながらに気を遣いながら日々過ごしていた。


その頃の俺はというと、吃音症の症状が酷く、まともに喋ることもできないような状態だった。吃音の原因は今でもはっきりと分かっていない。




少し話は脱線するが、ここでいう"吃音症(きつおんしょう)"とは、円滑に喋ることのできない障害のようなものだ。第一声がなかなか出なかったり、異様なまでに早口になってしまったり、連続して言葉を発してしまったりする。日本では障害認定はされていないが、一部の外国では障害認定されている。"どもり"や"どもる"という表現でいわれることもある。まだまだ認知度も低いのが現状だ。

そんな俺がいじめの標的となるのにあまり時間はかからなかった。俺の中で学校とは地獄以外の何物でもなかった。

そんな俺が学校に行けていた理由は単純明快で、"好きな子"がいたからだ。好きな子と会うために学校へ行っていた、と言っても過言ではない。実に不純な動機である。




しかし、そんな俺が自分から話しかけられるわけもなく、結局俺は小学校を卒業する日までその子と話すことはなかった。"初恋は叶わない"という言葉を見事体現させたわけだ。




その子に限らず、俺は誰に対しても自分から話しかけることができない子だった。だから当時、友達もほとんどできなかった。

家でも学校でも一人で遊ぶことが多かった。むしろ、その方が自分的には気楽で良かったのかもしれない。家では毎日テレビゲームばかりしていた。




今から思えば、この頃はまだ良かった。吃音の症状は一番酷い時期だったが、まだ死にたくなるほど辛いこともなかった。いじめもまだ可愛らしいものだった。

問題はこの後だった……。






親父の死、大事件、そして二度目の恋

小学校5年生の時に親父は胃ガンで死んだ。39歳だった。親父とじいちゃんが大喧嘩したことが発端となり、じいちゃんとばあちゃんとは別居していた。それは俺が高校生となり、祖父が亡くなるまで変わらなかった。

喧嘩の原因について詳しくは知らされていないが、とにかく凄い喧嘩だったことは憶えている。二階で寝ていた俺と妹は、一階から聞こえる凄まじい物音で目が覚めた。何かが割れる音や、ばあちゃんの叫び声が聞こえた。いつの間にか親戚の人たちも集まっている。明らかにただ事ではなかった。

俺が一階に降りようとすると母ちゃんがそれを止めた。その時の俺には母ちゃんが泣いているように見えた。




しばらくして、誰かが階段を上がってくる音がした。足音で誰かはすぐに想像がついた。親父だ。

親父は階段を上がりきると部屋の中にいる俺たちに向かって怒鳴るように言った。

「荷物をまとめろ!引っ越すぞ!!」

訳が分からなかった。何を言ってるんだ、この人は。俺たちがこの家を出ていく?なんで?

寝起きで、まったく状況が呑み込めない俺は混乱していた。しかし、これだけははっきり分かった。


――今の親父に逆らったら何をされるか分からない


恐くなった俺は親父に従い、ついていこうとした。すると、近くにいた親戚のおばちゃんが行こうとする俺を制止した。

「ゆうちゃん、行かんでええ。行ったらアカン」

もはやどうしていいか分からなかった俺は周りにいる親戚の人たちや母ちゃんの顔を見渡した。泣きそうだった。

そうこうしている間にも、一階から親父の怒鳴り声は聞こえてくる。

「何しとんのや!はよこい!!」

もう恐くて恐くて堪らなかった。震えが止まらない。




結局、その場は親戚の人たちと母ちゃんやばあちゃんの説得により、なんとか収まった。

そして、話し合いの結果、じいちゃんとばあちゃんは隣の借家で暮らすことになったのだ。お世辞にも立派な家とはいえないオンボロな平屋だ。


一階に降りると、リビングは地獄絵図と化していた。そこらじゅうに物が散乱し、食器や色んな物が割れている。じいちゃんはリビングの奥の方でへたり込んでいた。所々に血がついているのが見えた。ばあちゃんはじいちゃんの傍に座り、じいちゃんを心配そうに見つめていた。今から思えば、警察沙汰にならなかったのが不思議に思うほどの出来事だった。




親父の死後、俺は今の家に母ちゃんと妹と三人で暮らしていた。俺は中学校1年生に、妹は小学校4年生になっていた。母ちゃんは銀行で働きながら俺たちを女手1つで育ててくれた。


憧れの中学生となった俺は期待と喜びに満ち溢れていた。


――中学生になればなにかが変わる


そう思っていた。

しかし、それは俺の甘い考えだったことに気づかされることとなる。




中学生になった俺は同じ学年のBちゃんに一目惚れをした。二度目の恋だった。

明るくて可愛い、いかにも男子が放っておかなそうな子だった。


人間そう簡単に変われるはずもなく、俺はあいも変わらず自分から話しかけることができずにいた。

だが、このまま想いを伝えられずに終わるのだけは嫌だった。

とうとう自分の想いを抑えきれなくなった俺は思い切ってその子に告白する決意をした。


ある日の授業終わり、俺は勇気を振り絞ってその子に話しかけ、自分の想いを自分なりに伝えた。その子はすぐ返事をくれた。

「あんたみたいな気持ち悪い奴と付き合うわけないじゃん。バーカ!」

砕け散った。粉々に。塵も残らなかった。俺の中でなにかが折れる音が聞こえた気がした。

友達は励ましてくれたが何も耳に入らず、その日の授業も全然頭に入ってこなかった。

帰宅後、俺は自室で1人泣いた。この時ほどイケメンになりたいと思ったことはない。そして、俺は再認識した。


――人間見た目だ


俺の自信は前以上になくなり、劣等感と自己嫌悪に苛まれた。俺はこの日、ヤケ酒ならぬ"ヤケジュース"をした。




一学期も後半を過ぎた頃、俺はまたいじめの標的とされてしまっていた。その内容も小学生の頃とは比べものにならないほど悪質なものとなっていた。

耐え切れなくなった俺は二学期を迎えた頃から学校へ行けなくなり、いつしか"不登校"というレッテルを貼られていた。




親父に似て厳しかったじいちゃんはそんな俺を見て毎日のように叱責し、あの手この手で無理にでも学校へ行かせようとしていた。

ある日は俺が学校の校門にちゃんと入るまで後をついてきたり、そしてまたある日は自転車の荷台に俺を乗せ、学校まで送ったりしていた。

それでも学校へは行きたくなかった俺は家に忘れ物をしたフリをして、そのままどこか違う場所で学校の授業が終わるくらいの時間まで時間を潰すという手段に出ていた。まったく知らない人の家を訪ね、しばらくいさせてくれるよう頼み込んだこともある。途中で抜け出し、そのまま荷物も靴も全部置いたまま上履きで帰るという強行手段に出て、先生方にご迷惑をかけてしまった日もあった。

それくらいその時の俺は学校へ行くのが嫌だった。精神的に拒絶していたんだと思う。




頭を悩ませた家族は藁にもすがる想いでスクールカウンセラーを頼ることにした。最初は警戒していた俺もカウンセラーのお兄さんに徐々に心を開くようになり、少しずつではあるが快方へと向かっていった。


いきなり教室へ戻ることは難しかったが、学校側の配慮で"別室登校"という形で登校することとなった。そこで俺は卒業式当日までの約2年間をそこで過ごすこととなる。


授業は先生、もしくは教育実習生みたいな大学生の方が部屋に来て、ワンツーマンで行われた。

確実に授業は遅れてはいたが、精神的な面においては以前と比べものにならないほど良好だった。休憩時間になると友達も遊びに来てくれた。

俺にとってそこが学校世界においての全てだった。




卒業式当日。友達の支えもあり、俺はこの日、約2年振りに教室へと戻ることができた。

クラスのみんなは自分が思っていた以上に暖かく迎え入れてくれた。それが心の底から嬉しかったのを今でも鮮明に憶えている。

俺は最後の最後で殻を破ることができた。それは1人では到底破ることのできなかった殻。友達の、みんなのおかげだった。俺は救われた想いだった。


こうして俺は無事みんなと一緒に卒業式に出ることができ、なんとか中学を卒業した。

教室で授業を受けていなかったので成績のつけようがない、ということで成績は"オール1"というなんとも悲惨な結果だった。のび太くんでももっとマシな成績をとれるだろう。

それでも高校へ入学できたのは一重に推薦をくれた学校の、先生方のおかげといえる。




俺はまた新たな舞台へと旅立った。みんなが俺の背中を押してくれた。

高校にはこれまで仲の良かった友達もいない。みんなとは別の高校になってしまったからだ。俺は不安で押し潰されそうになっていた。

そんな俺を余所に時間はゆっくりと無情に過ぎていった――。






三度目の恋と幼馴染との再会

新しく通うこととなった高校は自宅から離れていたため、俺は高校まで電車で通学していた。

この頃、初めての満員電車に俺は毎日のように酔ってしまい、気持ち悪くなっていた。こんな電車に毎日揺られながら何年も会社や学校へ通勤・通学しているサラリーマンや学生は本当に凄いと心底思った。俺もこれから毎日これを味わうと思うとゾッとした。




高校の最寄駅までは電車で約15分程の道程だった。駅から高校までは徒歩で約10分程かかる。決して大きな学校ではなかった。治安も良いとはいえなかった。むしろ、悪いといえる。


高校に入学する少し前。幼馴染のH君に俺が新しく通うことになる高校の名前を伝えると

「悪いこと言わんからやめとけ。お前ではあそこは耐えられん」

と、真剣な顔で即反対された。


このH君とは幼稚園に通っていた頃からの仲良しで、"俺といえばH君。H君といえば俺"と言われるほど仲が良かった。よく一緒にいることも多かった。

俺が中学生の頃、別室登校となった時も毎朝自転車で家まで迎えに来てくれたのもH君だった。帰りも一緒に帰り、俺の家で一緒によく遊んだ。

口が悪く、誤解されることもあったが、友達想いの良い奴だった。俺とは違い、空手で茶帯だったH君は喧嘩もめっぽう強かった。だが、弱い者イジメは決してしなかった。


別室登校で教室へ戻れない俺を毎日のように説得、説教してくれた。この時、数少ない友達の中で唯一俺の将来のことを真剣に考えてくれる、かけがえのない親友だった。

もっとこの時、H君の言葉に耳を傾けるべきだった、と今更ながら後悔している。


そんなH君とは高校入学後もしばらくは付き合いもあったが、いつからか会うこともなくなってしまった。それ以来、H君とは一度も会っていない。今一番会いたい人の1人でもある。




話は戻って高校入学当初。俺は学校が近づくにつれ襲ってくる不安と気持ち悪さに毎日のように苦しめられていた。まだ中学の時のことが尾を引いていたのだ。時には行けない日も正直あった。そんな日は自分が本当に情けなく思い、自責の念に駆られた。

それでもなんとか自分を奮い立たせ、少しずつ学校へ行ける日を増やしていった。

そんなことができたのはこの時俺は"ある人"に恋をしていたからだろう。

その人物とは学校の入り口近くにある、受付みたいなところで毎日事務のような仕事をしている女性で、生徒の貴重品等を預かってくれる女性だった。つまり、学校の職員さんだった。歳は20代前半~後半といったところだろうか。かなり綺麗な女性で、芸能人でいうと本上まなみさんに似ていた。


俺はこの時、年上の女性の魅力を初めて知った。


俺は毎日のようにこの女性、Cさんに財布を預けていた。このCさんに会うために学校へ行っていたといっても過言ではない。男とは単純でバカな生き物なのだ。


他の男子生徒がそんな綺麗な女性を放っておくはずもなく、学校中の男子生徒からも人気絶大だった。

他の男子生徒がCさんと楽しそうに話す中、俺はこの時も自分から話しかけることができずにいた。


ある日、俺は決心した。自分の想いをぶつけてみよう、と。

しかし、他の先生方や生徒の目もあるので直接告白するのは困難を極めた。

だから俺は自分の想いを手紙にしたため、小さく折って、Cさんに財布を預ける際に返信用の紙と一緒に忍ばせた。まるで大正か昭和の時代である。とても平成を生きる人間の考えとは思えない。


その日の授業終わり。俺はCさんのいる窓口へ早足で向かった。心臓が自分でも分かるくらい早く、大きく脈打ってるのが分かった。そして、いつものようにCさんから財布を返してもらった。財布とは明らかに違うなにかがある感触が俺の手から伝わった。その"なにか"はすぐ分かった。俺が一緒に渡した返信用の紙だった。Cさんは仕事の合間にちゃんと返事を書いてくれたのだ。思わずCさんの顔を見ると、Cさんは俺の顔を見ながら黙ってニッコリと微笑んでくれた。俺はもうドキドキし過ぎてどうにかなりそうだった。この時の俺は周りから見れば、かなり挙動不審だったに違いない。

俺はCさんに軽く頭を下げると、他の先生方に見つからないうちに逃げるようにその場を後にした。


最寄駅へ向かうまでの道中。どうにも我慢できなくなった俺は高校の近くにある公園に立ち寄り、公園内にあるベンチに腰をかけてCさんからの返事をドキドキしながら読んだ。


要約すると、そこには


――手紙をもらって嬉しかったこと。気持ちは嬉しいけど、すでに付き合っている人がいて付き合えないこと


等が綺麗な字で書かれていた。

結果はなんとなく分かっていた。分かっていたけど、やはり失恋というものは慣れないものだ。俺は酷く落ち込んだ。


しかし、手紙の最後にアドレスのようなものが書かれていた。付け加えて、それはCさんのパソコンのプライベート用のメールアドレスであり、よかったら今度からこっちでお話ししましょう的なことが書かれていた。

この一文に単純な俺は落ち込んでいた気持ちなどどこへやら。一気にテンションが上がった。


それから俺は毎日のようにCさんとメールで話をした。直接は無理でもメールでなら色々と話すことができた。

しかし、まともに異性と話したことのなかった俺はCさん相手に自分がハマッているアニメの話やテレビゲームの話等をしてしまっていた。Cさんからすれば明らかに興味のない話題だった。案の定、なかなか会話のキャッチボールは上手くいかず、ボールどころかデッドボールの連続だった。

それでも必ず丁寧に返事を返してくれていたCさんはきっと優しい女性だったのだろう、と今にして思う。

Cさんとのメールは俺が高校を卒業する日まで続いた。




ある年のある日。高校の最寄駅前――。

「おぉ!ゆうじやん!!」

いきなり後ろから話しかけられた。振り返ると、そこにはもう1人の幼馴染であるが立っていた。俺は驚き、Mに近づいて行った。

「おぉ!誰かと思ったらMやん!!なにしとん!?」

訊くとMの高校もすぐ近くらしく、今帰りとのことだった。最近のことや昔話に華が咲いた。


Mは俺以上に精神的な面で悩みを抱えた奴だった。これに関してはMのプライベートに関わることなので、ここで書き記すことは控えようと思う。


Mは学校を休むこともあった。少し滑舌が悪く、声が小さくて聞き取りづらいことはあったが、優しい良い奴だった。俺と一緒で他人とのコミュニケーションの取り方が下手なだけだった。

俺とH君は密かにMのことをずっと心配していた。


MとはH君ほど遊ぶ機会はなかったが、それでもたまに俺の家で遊ぶことがあった。よく一緒にテレビゲームをして遊んだ。

Mの親父と俺の親父も友達同士で、Mの妹と俺の妹も"超"が付くほど仲が良く、家族ぐるみで仲が良かった。

H君とMに関しては、よく喧嘩していた憶えがある。とはいっても、小競り合いのような小さな喧嘩がほとんどだったが。しかし、"喧嘩するほど仲が良い"という言葉通り、仲は良かった。なんでも本音で言い合える仲って感じだろうか。

小学生の頃はよく三人で遊んだものだ。


Mと中学を卒業して以来会ってなかった俺は久し振りに会えた喜びから一気にテンションが上がっていた。Mは思っていたよりも元気そうだった。

少しずつだが、Mも前向きに生きようとしているように、その時の俺には見えた。


電車を待っている間も、電車の中でも、駅に着くまでずっとMと話していた。高校で友達が1人もいなかった俺は久し振りの友との会話を楽しんだ。本当に楽しかった。時間はあっという間に過ぎていった――。


Mとは駅前で別れ、それ以来Mとは今現在に至るまで会っていない。H君同様、今どこでなにをしているのかさえ分からない。いつか俺とH君とMの3人で一緒に酒を呑むのが俺の夢の1つだ。




俺の高校生活はただただ長く感じられただけの3年間だった。修学旅行も卒業旅行もなかった。結局友達も3年間でただの1人もできなかった。もちろん、彼女も。

だから、友達や恋人と過ごした楽しい青春なんてものは俺には1つもない。

ただ、唯一救いだったのがCさんとのことだった。叶わぬ恋ではあったが、今となっては良き思い出の1つだ。


思い出、というのとは少し違うかもしれないが、高校の先輩に言われた言葉でずっと心に残っている言葉がある。それは――

「いいか?ゆうじ。良いことをすれば必ず良いことが返ってくる。悪いことをすれば必ず悪いことが返ってくる。そやから、いっぱい良いことするんやで。ええな?」

という言葉。

ほとんどの先輩が尊敬に値しない人が多い中で、その人だけはなんか少し違った。名前も知らない先輩だけど、なぜかこの言葉が俺の心にずっと染みついている。


高校卒業が間近に迫った、ある日。俺は進路を迫られていた。俺に用意された選択肢は2つ。


・周りに薦められた介護福祉士の専門学校へ行く

・自分が少し興味のあるゲームクリエイターの専門学校へ行く


の2つに選択肢は絞られていた。

大学への進学は俺の学力では無理だと判断し、鼻っからその考えは放棄していた。

就職も少し考えたが、やはり手に職をしっかりつけたかった。そのためには専門学校へ行くのが一番効率が良いとその時の俺は考え至ったのだ。専門学校を卒業した人の就職率は高い、というのもネットで調査済だった。


と、ここまでは良かった。

問題はこの後だった……。


俺は周りに薦められるがまま、言われるがまま前者の「介護福祉士の専門学校」へと進路を決めた。

この時の俺は自分の意見を周りに言えるような奴ではなかったのだ。まぁ今でもそれはあんまり変わっていないかもしれないが……。


正直この時、介護福祉士という仕事に興味は微塵もなかった。ただ周りに

「ゆうちゃんは優しいから向いてるよ」

などといったことを言われるうちに、調子に乗ってその気になっただけの話である。今考えればもっとよく考え、調べ、その現場で自分が働いている姿を想像した上で結論を出せばよかった。それからでも遅くはなかったんじゃないか、と少し後悔している。


後者のゲームクリエイターに興味があったのは、単に自分が大のテレビゲーム好きだったから、という実に短絡的で、稚拙な理由に他ならない。

でも、向き不向き関係なく、その時点で介護福祉士より興味があったのはたしかだった。

しかし、それを周りに

「どうしてもこれがやりたいんだ!!」

と強く言えるだけのものはなかった。言ったところで反対されるような気がした。ただそれだけのことだ。


福祉専門学校の入学試験も無事合格し、こうして俺は引かれたレールを何も考えず、ただひたすら走っていた。行き着く終点がどこかも知らずに……。

だが、選択肢は今更変えられない。もう後戻りはできないのだ。テレビゲームのように人生はリセットできない。

それが自分が選んだ道なのだから。





遅すぎた青春。四度目の恋は後ろの席の子

高校を無事卒業した年の4月。県内の福祉専門学校へ入学した。福祉専門学校までは電車で約50分、最寄駅から更に徒歩で約20分の距離だった。クラスのみんなは介護を目指しているだけあり、優しい人が多かった。まぁ中には例外もいたが。


最初に1人ずつ前へ出て、2分間の自己紹介をしていくこととなった。みんなはそれぞれ介護福祉士への想いを語った。なぜ入学したのか、その経緯等。みんなが輝いて見えた。同時に、周りに言われるがまま、なんの信念もなく入学した自分が酷く矮小で愚かな存在に思えた。


元々勉強すること自体は嫌いではなかった俺は授業にはついていけた。それどころか学科では割りと成績は良かった方だった。レポートでも先生に褒められた。

唯一苦手だった授業が"レクリエーション"の時間だった。

みんなと一緒にグループを組んだりして、ちょっとしたゲームのようなものをするのだが、吃音がコンプレックスでコミュニケーションが極度に苦手だった俺にとって、このレクリエーションの時間は苦痛以外の何物でもなかった。

それでもなんとか頑張ってこなしていた。




数えれる程度だが、専門学校でも友達ができた。

お昼休みになれば一緒に昼飯を食べに行き、放課後には一緒にボーリングへ行ったり、マックへ行ったりもした。もちろん、一緒に勉強したり、実技の練習なんかもしていた。

カラオケにも何度か誘われたが、その時の俺は自分の歌声にもコンプレックスがあり、誘われても絶対に行くことはなかった。その姿勢はその後もしばらくは変わらず、初めてカラオケに行ったのは22歳の頃だったと記憶している。


ともあれ、この時俺は初めて友とのまともな青春という奴を味わうことができた。

ここまでは俺の専門学校生活は順風満帆にいっているかに思えた。




時を同じくしてこの頃、俺は四度目の恋をしていた。

相手は同じクラスで後ろの席のDさん。明るくて、サバサバしている、ちょっと今時のギャルっぽい感じの可愛い子だった。

帰りの電車でたまに一緒になることがあり、何度か話しかけられたことがある。今から思えば、からかわれていただけかもしれない。

それでも、俺はその子と話してる時が本当に楽しくて、かけがえのないものに感じていた。


――このまま時間が止まればいいのに


とさえ思った。


ある日の帰りの電車内でまたDさんを見かけた。Dさんと目が合った俺は思わず視線を逸らした。

車窓から夕陽が射し込み、車内を微かにオレンジ色に染めていた。


俺に気づいたDさんは俺の隣の席に座り、話しかけてきた。

他愛もない話がしばらく続いた後、Dさんがこんなことを訊いてきた。

「木下くんはクラスに好きな子とかおるん?」

心臓が跳ね上がる音がした。まさかの質問に俺の視線は魚のように泳ぎ、心臓の鼓動は一気に早くなった。

この時、俺は

「お前のことが好きだ!!」

と言うべきだったのだろう。しかし、ヘタレな俺はそのたった一言が言えずにいた。喉元まで出かかっては、また呑み込むの繰り返し。自分で自分がじれったく感じた。


そんな俺の様子を見てDさんは"恥ずかしくて言えないのか"と思ったらしく、順番にクラスの女子の名前を言っていった。しかし、俺はどの名前が出ても決して首を縦には振らなかった。そりゃそうだ。本人は今まさに目の前にいる君なのだから。

「えぇー!?誰よぉー!!教えてぇー!?気になるじゃん!」

俺はただ黙っていることしかできなかった。本当にヘタレだったと自覚している。


ここにきてようやく俺の様子がおかしいことに気づいたDさんは決定的な一言を放った。

「もしかして……私?」

俺は黙って頷いた。俺とDさんとの間に重く、長い沈黙が流れた。電車が線路の上を走る、心地良い音だけがやけに大きく聞こえた。

「ごめんね……。気持ちは本当に嬉しいけど、木下くんは友達としか思えないの。ごめん……」

砕け散った。粉々に。跡形もなく。木端微塵に。

目的の駅に着いたDさんは電車を降り、ドアが閉まるとこっちを見ながら手を振ってくれた。

夕陽の逆光のせいか、はたまた涙のせいか、Dさんの表情までは捉えることができなかった。

その後、なんとなく気まずくなった俺はDさんと話すことはなかった。




ある日、俺たちは初めての現場実習へ行くこととなった。場所は県内の施設。そこで俺は現場の厳しさ、介護の難しさを痛感させられた。そして、改めて自分の考えが甘かったことを気づかされた。

たとえどんなに頭で理解していたとしても、それを実行できなければ意味がない。学科で成績が良い=現場でも使える人材。とは限らないのだ。

この実習後、早くも数人のクラスメイトが学校を去った。その中には学科において優秀な成績をおさめていた生徒もいた。

俺はまだ少し耐えていたが、介護福祉士としてやっていく自信は大幅に削がれていた。


夏休みに入る少し前。期末試験があった。合格点はたしか80点以上だったと記憶している。

俺は家で1時間。学校へ行くまでの電車の中で50分程勉強した。

先生によっては漢字の書き方1つ間違えただけでダメっていう先生もおり、問題自体も専門的なものばかりで難問ばかりだった。

だが、勉強の甲斐あってか、俺はなんとか全科目で合格点は取れ、追試は免れた。




しかし、夏休みが明けたその年の9月。俺は福祉専門学校を中退した。色んな人の話を聞き、そして、自分なりに考え抜いた末の結論だった。

親にも先生方にも全力で止められた。説得もされたが俺の考えは変わらなかった。もう決めたことだ。

決定打としては、やはり現場での経験が一番大きかった。


以下はあくまで個人的な見解だ。


介護福祉士という仕事は、ただ性格が優しいだけではダメなんだ、ということを感じた。もちろん、優しさや思いやりも介護福祉士をする上で重要な要素だとは思う。だが、それだけでは足りない。

クラスの中には中学・高校時代にヤンチャしてただろうなっていう感じの、いわゆる"不良"っぽい雰囲気の人もいたが、案外ああいう人の方が向いてたりする、と思う。見た目はちょっとアレだが、話してみると気さくで頼りがいのある、いい奴が多かった。

逆に真面目すぎる人は途中で潰れやすい傾向がある。今回の俺がまさにこれに該当する。

後は、"コミュニケーション能力"。これも大事だと思う。利用者さんと仲良くなる上で会話は必須条件。仲良くならなければ当然心も開いてくれない。この時の俺にはこれも少し欠けていたんだろう。


とにもかくにも、俺は福祉専門学校を去った。まだまだ残暑が厳しい夏の終わりのことだった。


その後、専門学校時代の友達は、無事介護福祉士になったということを風の噂で耳にした。

今でも友達は介護福祉士として日々活躍し、忙しい毎日を送っている。


その友達とはその後どうなったかというと、2年程前にFacebookを通じて偶然再会し、今では1ヶ月に1回は呑みに行く仲となっている。間違いなく俺にとってかけがえのない友達といえる。

そんな人生の友と知り合えた、というだけでも専門学校へ入学した価値はあったと、今にして思う。




こうして福祉専門学校を中退した俺は社畜人生へと突入していくのであった――。

本当の地獄はここからだ。






うつ病発症した俺にできた初めての彼女

福祉専門学校中退後、俺は小売業に約7年半。販売業に約1年。そして途中、工場勤務に約2年程従事した。

主に人と接するような仕事を選んだきっかけは、自身の心の中に"変わりたい"という気持ちがあったからかもしれない。

敢えてそういう場に自身の身を投じ、場数を踏むことにより"吃音"というコンプレックスが生む精神的な面でのマイナスな部分を少しでも軽減できればと、自分なりに考えた末のことだった。

もちろん最初は案の定、緊張もあっていつも以上にどもってしまうことが多かったし、辛くて辞めてしまいたくなる日もあった。出勤前なんかは今でも不安と緊張から何度も吐きそうになる。

それでもこれまで続けてこられたのは"人と話すことの楽しさ"を知ったからだろう。


結局、吃音を一番気にしているのは周りの誰かではなく、自分自身だったのだ。

周りは自分が思っている程気にしてないことが小売業や販売業を通じて分かった。

たとえどもっても聞いてくれる人はちゃんと聞いてくれる。伝えたい、という気持ちさえあれば。

でも、中にはそうじゃない人もいたがそんな人はごく一部で、逆に少なく感じた。

これは俺にとって大きな発見となった。これにより、俺は少しずつではあるが接客に対して、話すということに対して少し前向きになることができた。

これだけでもこの仕事をやってきた価値はあった、と思っている。

途中、工場勤務も約2年程経験してみたが、やはり接客業が忘れられなくて元鞘に収まる形となった。




しかし、光あるところに闇があるように、良いこともあれば当然悪いこともある。それは俺の場合もそうだった。


正社員として内定をいただき、いざ実際に働いてみたらその激務に耐えきれなくなり辞めることもしばしばあった。


・朝4時半に自宅を出て、約1時間かけて会社へ行き6時までに出社。仕事が終わるのが17時~18時。帰りは帰りで帰宅ラッシュにぶつかるため、行きの約倍の時間をかけて帰る。なんてことや

・朝9時前に出社し、昼休憩は毎日10~15分しかとれず、19時くらいにようやく仕事が終わり、そこから約1時間かけて帰る。なんてこと


色々経験した。特に前者に関しては


――このままだと仕事に殺される


と本気で思った。だから、死にたくないから辞めた。毎日のように先輩社員に外まで聞こえるような怒鳴り声で怒られた。あまりの厳しさに周りが心配し、上司が先輩に注意した程だ。

帰り道、車を運転しててあまりの疲れと眠気に蛇行運転してしまい、毎日事故りかけながら帰っていた。帰っても飯食って、風呂入ったらすぐに寝なきゃいけなかった。朝4時前には起きなければ間に合わないからだ。自分の時間なんて皆無だった。寮は存在したが"いっぱいで入れない"とのことで、仕方なく自宅から通勤していた。


この時、俺は仕事に対して、働くということに対して少し恐怖に近いものを感じていた。

今から思えば、これが後々発症する"うつ病"の始まりだったのかもしれない。

しかし、まだ決定打ではなかった。決定打はこの後だった。




別の会社でのことだ。俺は先輩社員からパワハラを受けた。内容の詳細に関しては伏せさせていただくが、前の会社のこともあり、この時俺は精神の限界を迎えた。心の折れる音が聞こえた気がした。


自宅近くの心療内科を受診すると、診断結果は"うつ病"。1ヶ月間の休職を余儀なくされた。

この時が一番症状としては酷かった。毎日死ぬことだけを考えていた。頭の中で何度も何度も自分を殺した。

それでも実際には死ぬ勇気もなく、俺は生きることしかできなかった。

某SNSでこんな言葉を拝見した。


「生きていることと、死んでないことは違う」


この言葉をお借りするなら、俺はまさに"死んでないだけ"だった。

毎日のように不安と劣等感に苛まれ、朝が来るのが怖く感じた。望まずとも当たり前のように太陽は昇り続け、当たり前のように朝は訪れ続けた。その光は俺にとって希望の光なんかでは決してなかった。

この時俺は真っ暗なトンネルの中を1人、灯りもなく歩かされているような、そんな毎日を送っていた。




1ヶ月後。俺は仕事に復帰した。仕事復帰に対して某SNSで知り合った、同じうつ病経験者の中には反対する人もいた。それでも俺は復帰する道を選んだ。今から思えば、もっと長期的に休職した方が良かったのかもしれない、と思うこともある。


復帰後、やはりうつ病は良くならず、結局その会社も退職することとなった。

俺は真っ暗な闇の底へ底へと転げ落ちていった。




退職してしばらく経った、ある日。インターネット上でうつ病の人だけが集まる掲示板サイトを見つけた。

俺はそこでうつ病に悩む1人の女性と知り合った。それがEさんだった。


俺とEさんは最初、メールで交流を深めていった。他愛ない話からうつ病のことまで色々話した。話も大いに盛り上がり、1日に何回もメールでやりとりした。


いつしか声が聞きたい、と思うようになり、メールの次はSkypeを使って通話するようになった。

日に1時間以上通話することもしょっちゅうで、時間は驚くほどあっという間に過ぎていった。


Eさんの声はどこか優しく、それでいて繊細で綺麗な声をしていた。

Eさんは俺がどもっても気にしないでくれた。俺の話もちゃんと最後まで聞いてくれる人だった。

正直、異性とここまで話が合うのは初めての経験だった。

同じうつ病ということもあり、相談もしやすかった。

少しずつ、しかし確実に俺の中でEさんの存在は大きくなっていった。




そんな日がしばらく続いた、ある日。ついにEさんと直接会うことになった。場所は大阪。俺は本格的な大阪観光はこの時が初めてだった。


待ち合わせ場所に行くとEさんが立っていた。Eさんは思いっきり抱き締めたら折れるんじゃないか、と思うほど細く、髪はロングで白のワンピースがよく似合う、綺麗な女性だった。

俺たちは軽く挨拶を済ませた後、昼飯を食べに大阪市街をぶらついた。時計の針は13時半を少し回っていた。


昼飯は大阪でも美味しいと評判のたこ焼き屋さんで食べることになった。カウンターでたこ焼きを2人分購入し、店内で食べることに。

Eさんはとても小食で、たこ焼きだけでお腹いっぱいな様子だった。

たこ焼きを食べ終わったEさんはテーブルの端に置いてあった爪楊枝を取ると手で自身の口を隠し、歯についた青のりを取り始めた。初めて見る光景に俺は思わず二度見した。


――なんて女性らしい仕草なんだ!


心の中で密かにそんなことを思っていた俺はEさんのことが更に可愛く思えた。




昼飯を食べ終わった俺たちは当初の目的地であるUSJへと向かった。俺にとっては初めてのUSJだった。

USJといえば、今だに俺はUSJを"UFJ"と言い間違えてしまう。

「お前それ銀行やんw」

というツッコミをされるのにはもう慣れた。


USJに着いた俺たちは入場券を購入し、早速中へ。

入ってすぐのところでお揃いの帽子も購入し、一緒にプリクラも撮った。まるで中学生のカップル状態だ。


軽くUSJ内を見て回った後、2人で話題のハリーポッターエリアへと向かった。

思ったよりも並ばずに中へ入ることができ、中へ入った後は色々探索して回った。2人でバタービールも飲んだ。思ってた以上に甘かった。けど、美味しかった。


その後、Eさんがどうしても行きたいというホグワーツ城へと向かった。

最初に城の中を探索し、その後、アトラクションに乗ることに。しかし、このアトラクションの人気が凄まじく、想像を絶する長蛇の列ができていた。念のため、近くにいた係員さんに待ち時間を確認すると――

「今からですと3時間半程待っていただくことになりますが……よろしいでしょうか?」

よろしくなかった。

だが、Eさんのいかにも乗りたそうな顔を見ていると

「やっぱりやめよう」

とは、とてもじゃないか言い出せなかった。俺はEさんと2人で列に並んだ。しかし、俺はこの時無理にでも乗るのをやめるべきだった、と今でも後悔している。


俺はEさんと話しながら待ち続けた。けど、Eさんと一緒だったから退屈はしなかった。むしろ、子どものように楽しそうにはしゃぐEさんにこっちまで楽しい気持ちになり、癒された。


どれだけの時間が経っただろうか。ようやく城内へと入ることができた。

ふと壁に1枚の張り紙が貼ってあることに気づいた。それを読んでみると――

「乗り物酔いをする方はご遠慮ください」

と書かれている。


――俺、めっちゃ乗り物酔いするんですけど。他人の車に乗ったら10分も持たずに気持ち悪くなるんですけど


しかし、今更ここまできて引き返すことなんてできるわけがなかった。

俺は覚悟を決めた。


よく見ると所々に同じような張り紙が貼ってある。

ハリーポッターのキャラクターまでもが注意してくる。


嫌な予感しかしなかった。


ようやく俺たちの番が回ってきた。不安いっぱいな俺とは違い、Eさんはとても楽しそうだった。なによりだ。

そして、俺たちは魔法の世界へ――




アトラクションはたしかに凄かった。臨場感もさることながら、ハリーポッターファンであればたまらないだろう。

だが、俺はそれ以上に気持ち悪さと、吐きそうになるのを我慢することでそれどころではなかった。

俺は何度も願った。


――ハリーよ。今こそその魔法で俺を助けてくれ。今すぐだ!


なんとか耐え抜き、吐くことなく俺たちは無事帰還した。


――もう二度と乗らない


俺は心の中で静かに誓った。


外はすっかり夜の世界となっており、ハリーポッターエリアは幻想的な雰囲気に包まれていた。

俺たちが訪れた時期はちょうどハロウィンの季節で、一部のエリアではゾンビが徘徊しているようだった。まぁこの時の俺がすでにゾンビみたいなものだが。

その前にアトラクションの記念写真を購入した。この経験を絶対に忘れないために。


ハリーポッターエリアでお土産も買い、他のエリアへ行ってみると、リアルすぎるゾンビがウヨウヨしていた。

元々その手のものに耐性もあり、なによりも気持ち悪くてそれどころじゃなかった俺は怖がらせようと必死に襲ってくるゾンビたちには申し訳なく感じたが、全く怖くなかった。

一方Eさんはというと、女の子らしく怖そうにキャーキャーと何度も叫んでいた。俺の後ろに隠れようとするEさんは可愛かった。




適当な所で夕飯を済ませるべく、俺たちは食べる場所を探した。どこも混んでいたが、すぐにでも座って休みたかった俺はなるべく空いてそうな店を探し、適当な店で夕飯を食べることにした。

本当は食欲もなかったが、何も注文しないわけにもいかず、俺はコーヒーとパン的なものを頼んだ。Eさんも俺を気遣い、心配してくれた。


俺はこの日、ある決意をしていた。それは、Eさんに告白することだ。

俺はタイミングを見計らい、気持ち悪さを堪えながら勇気を出してEさんに告白した。

「Eさんと一緒にいると楽しいし、自然と笑顔になれる。これからは俺がEさんを支えていきたい。守りたい。だから……これからもずっと隣で笑っててほしい。俺が守るから。Eさんを守るから。だから……その……俺の、俺の彼女になってください!」

俺とEさんの間に短いが重い沈黙が流れた。

「はい」

Eさんは恥ずかしそうにしながら、一言だけそう答えた。

その答えを聞いた俺は一気にテンションが上がり、気持ち悪さなんてどこかへ吹き飛んでしまいそうになった。俺は声を出して喜んだ。


こうして、俺に初めての彼女ができ、彼女との遠距離恋愛が始まった。30歳を迎えた年の秋のことだった。

それからEさんと色々話をし、結婚前提のお付き合いとなった。

時が来れば同棲することも約束した。


人生の色が一気に華やかに変わり、生きるのが楽しくさえ思えてきた。

暗い暗いトンネルをやっと抜け出せたような、そんな心境だった。




その日はお互い電車の時間もあったため、駅の改札口で別れた。

自宅に着くまでの間もずっとEさんとメールで話していた。


――俺はもうぼっちじゃない!リア充だ!!


俺は心の底から生きる喜びを感じていた。






初デート

USJから帰宅後、早速俺とEさんはSkypeで通話した。その際にこれからお互いなんて呼び合うか改めて決めることに。

俺は名前が"ゆうじ"なので親戚からは"ゆうちゃん"と呼ばれていた。そのことをEさんに伝えると

「それなら、ゆうじくんと、ゆうくんどっちがいい?」

と提案してくれた。

俺は即答

「じゃあ、ゆうくんで」

と答えた。当然の選択だ。

俺はEさんのことを名前に"ちゃん"を付けて"Eちゃん"と呼ぶことにした。

「ゆうくん、私のこと好き?(はぁと)」

「好きだよ(はぁと)」

「私もゆうくん好き(はぁと)」

なんてやりとりを何回かした。夢にまでみたやりとり。それを今俺は実現した。謎の高揚感が俺を包み込んだ。はたから見れば完全なるバカップルだったかもしれないが。


――あぁ、これが彼女がいる生活か……!なんて、なんて素晴らしいんだ!!畜生!!


俺はこの上ない幸せを噛みしめていた。




そんな彼女とのラブラブな生活がしばらく続いたある日。彼女が俺の地元へ遊びに来ることになった。今度は日帰りではなく、泊まりで。2人っきりで一泊二日の旅行だ。

付き合い始めて最初のデート。自然と気合も入った。俺はデート当日ギリギリまで入念にデートプランを練った。


そして、初デート当日――。

その日は天気にも恵まれ、絶好のデート日和となった。俺のテンションは100%を裕に超え、120%まで達していた。


待ち合わせ場所の駅前付近に車を停車し、車内で今か今かと彼女を待った。待っている時間さえ愛おしく感じられた。

LINEで彼女から連絡が入った。

「今着いたよ」

自然と視線はバックミラーに向いていた。サイドミラーもチェックする。ミラー越しに彼女の姿が早く映らないかと、少し挙動不審になってしまう。


しばらくして、サイドミラーにこちらへ向かってくる彼女の姿をようやく捉えることができた。深呼吸をし、心を落ち着かせ、バックミラーで自身の髪型がおかしくないか確認した。


彼女は助手席に座り、俺は彼女の荷物を後部座席に置いた。

「待った?」

「ううん。全然。今来たとこ」

なんというカップルっぽい会話であろうか。


――これ一度やってみたかったんだよねぇ!


念願も叶ったところで、俺は早速車を走らせた。目的地までは約2時間程の道程。1人でドライブしてる時とは全く違った感覚。とても新鮮だった。

車のスピーカーからはスピッツの"空も飛べるはず"が流れていた。

「スピッツ好きなの?」

「うん。曲の歌詞が好きなんだ」

「私も好きだよ。スピッツ」

そんな他愛もない会話を彼女と楽しんでいたら2時間という時間はあっという間に過ぎていき、ホテルへと到着した。駐車場に車を停め、荷物を置いて少し休んだ後、俺たちは改めて車で目的地へと向かった。


目的地に着くと駐車場に車を停め、2人で手を繋ぎながら中へと入っていった。彼女の手はとても暖かかった。

その目的地というのは、県内でもイルミネーションが綺麗なことで有名な場所だった。今回の目的もそれだった。しかし、それ以外にも地元にはこんなジンクスも伝わっていた……。


――カップルで行くと別れる


ジンクスなんて信じない方だった俺は気にも留めず、彼女とイルミネーションを楽しんだ。まるでイルミネーションまでもが俺たちを祝福しているかのような、そんな気さえした。

「綺麗だね」

彼女もイルミネーションに見入っているようだ。


――君の方が綺麗だよ


なんて言葉はさすがに恥ずかしくて言えなかった。

「うん。綺麗」

俺は彼女と一緒にイルミネーションを楽しんだ。この時、幸せすぎてちょっと泣きそうになっていた。

「どうしたの?」

察したのか、彼女が声をかけてくれた。

「いや……いいなぁって」

「イルミネーションが?」

「それもあるけど、こういうのがさ。……ずっと夢だったんだ、俺」

「これからは何度もできるよ」

「あぁ、そうだね……」

「夢、叶っちゃったね」

俺は彼女の手をより一層強く握り締めた。


時間もいい時間になってきたので夕飯を食べることに。場所は敷地内にある、ちょっとオシャレなレストラン。俺たちはそこでスパゲティを食べた。彼女と一緒に食べる夕飯はいつもより何倍も楽しく、美味しく感じられた。


イルミネーションのショーみたいなのも堪能し、時間も遅くなってきたので俺たちはホテルへと戻り、旅の疲れを癒した。




2日目の朝――。

チェックアウトの手続きを済ませると、俺たちは再び車を走らせ、次の目的地へ。

次の目的地までは約2時間半程の旅となった。途中、コンビニに寄ったりしながら目的地へと向かった。車内では彼女と昨夜のこと、これからのこと等を話し、大いに盛り上がった。


次の目的地は県内外問わず有名な水族館と、その近くにあるパワースポット。車を水族館の駐車場に停め、俺たちはいざ水族館の中へ。


そこの水族館ではアザラシやセイウチ、ペンギンに触れられることで有名な水族館で、子どもから大人まで楽しめる水族館だ。休日ともなると観光客で賑わうメジャーな観光スポット。


狙い通り、彼女も大いに楽しんでくれた。やはり触れられる、という点が良かったらしい。

俺も彼女も大いに水族館を楽しんだ。


水族館を十分楽しんだ後、近くの店で昼食を済ませ、その後パワースポットへ。

そこには神社もあり、彼女と一緒にお参りもした。

「ゆうくんはなにお願いしたの?」

「Eちゃんとこれからもずっと一緒にいられますよーにって(はぁと)」

「私もゆうくんと幸せになれますよーにってお願いしたよ(はぁと)」

なんていうバカップル丸出しの会話を楽しむ俺たち。完全に2人っきりの世界に入り込んでいた。




彼女が乗る帰りの電車の時間が迫ってきていた。俺たちは駐車場へと戻り、車を駅まで走らせた。

駅が近づく度に沈黙の時間は多くなり、寂しい気持ちも徐々に大きくなっていった。


――このまま時間が止まればいいのに


そう何度も願った。しかし、時間は待ってくれない。止まらない。俺たちは信号で車が止まる度に手を繋いだ。

「あっという間だったね」

どこか遠くを見つめながら彼女は呟くように言った。

「うん……」

「また、会えるよ」

彼女は俺の顔を見ながら笑顔でそう答えた。

「そうだね」

俺もそれに笑顔で答えた。傾いた夕陽が遠くから俺たちを優しく照らしていた。




駅近くのコンビニの駐車場に車を停めた。別れの時がやってきた。手を繋ぐ俺と彼女。

「ありがとね。本当に楽しかった」

「俺も楽しかった」

短い沈黙が俺と彼女の間に流れた。

「じゃあ……行くね」

「うん……」

最後に軽くキスをかわし、彼女と別れた。遠ざかる彼女の姿を、俺は見えなくなるまで見つめていた。

最高に幸せで、濃厚な2日間だった。俺にとってこの2日間は一生忘れられないものとなった。


――次に会えるのは一体いつだろう


そんなことを思いながら、俺は帰路についた。

いつの間にか助手席のドリンクホルダーにはマグネットクリップがつけてあった。きっと途中寄ったコンビニで買ったお茶のおまけを彼女がつけてくれたのだろう。思わず溜め息が漏れた。


しかし、これが彼女と会う最後の日になろうとは、この時の俺は夢にも思っていなかった――。






突然の別れ。それでも現在(いま)を生きる

初デートの日以降、俺と彼女の愛の熱はより一層その熱さを増し、Skypeで話す時間も徐々に増えていった。

本当なら毎日でも会いたかった。しかし、俺と彼女はいわゆる"遠距離恋愛"。会いたいからといって、すぐに会いに行けるような距離ではなかった。


――どこでもドアがあれば今すぐにでも会いに行けるのに


何度も本気でそう思った。

そして、俺は考えた。なんとかして毎日とはいかなくても、今以上にもっと彼女と会えるようにはできないものか、と。


そんな時思いついたのが"オンラインゲーム"という選択だった。オンラインゲームであればどれだけ離れて住んでいても関係ない。俺はそこに着目した。

訊くと彼女も昔やったことがあるらしく、話したらすぐに興味を持ってくれた。

俺たちは早速お互い昔やったことのあった、某有名オンラインゲームを一緒にやることにした。


そのゲームはアクション要素が強いゲームで、武器もいくつかある中から好きなものを選択できる、というシステムだった。俺は太刀、彼女は弓をそれぞれ選択した。キャラの性別もそれぞれリアルに合わせた。


それからというもの、待ち合わせ場所と時間を決め、"オンラインゲームデート"と題して毎日のように一緒にゲームをプレイした。もちろん、Skypeで通話しながら。

普段は1人ですることの多いゲームだったが、彼女と一緒にプレイするゲームがこんなにも楽しいものだなんて思わなかった。

そして、俺は改めて思った。


――なにをするかが重要じゃない。誰とするかが重要なんだ


こうして俺たちは色んなものを駆使して会えない寂しさ、辛さを埋めていった。




全ては順風満帆にいっている、かに思えた。だが、悲劇は突然訪れた……。


ある日の夜。彼女から突然LINEが届いた。オンラインゲームデートのことかな、ぐらいに思っていた俺は軽い気持ちで自身のスマホを手にし、LINEを開いた。だが、そこには信じられないメッセージが表示されていた。

「別れたいです」

突然のことにすぐその言葉の意味を理解することはできなかった。頭の中は真っ白になり、混乱した。動揺を隠しきれない。俺の中を不安にも似た感情が支配していく。

俺はすぐにLINE通話で彼女に連絡を取ろうとしたが、彼女は出てくれなかった。

仕方なく、LINEでまず理由を訊いた。彼女はすぐに返事をくれた。

「好きな人ができたの」

出た。よくあるパターン。

それに対して俺は彼女を責める気持ちはなかった。それより先に彼女がそんな気持ちになる、ということは自分になにか悪いところがあったのではないか、という気持ちになったからだ。

俺は彼女に何度も食い下がった。諦めきれなかった。そう簡単に諦められるはずがない。

「悪いところがあったら直すから」

と言ったが、彼女の考えは変わらなかった。


その時、俺はふと冷静に思った。


――今俺がしていることは本当に彼女の幸せのためなのか?今俺がしていることは彼女の幸せのためなんかじゃない。自分のためじゃないのか?本当に彼女の幸せを願うなら、ここで引くべきではないのか


俺は彼女の申し出を受け入れ、別れる決意をした。

彼女は何度も申し訳なさそうにしていた。


でも、俺はそれは違うと思った。


彼女は俺に忘れられない楽しい思い出をいくつもくれた。

彼女と付き合わなかったら一生体験することのなかったであろう想いを感じさせてくれた。

短い間だったけど、彼女がいる生活を送ることができた。夢を見ることができた。

彼女に感謝こそすれど、怒りの感情なんて微塵もなかった。


俺は最後に彼女へこう伝えた。

「幸せになってね」

そして彼女もこう言ってくれた。

「ゆうくんもね」


それ以降、彼女と、Eさんと会うことも、連絡することもなくなり、俺はまたぼっちな生活へと逆戻りすることとなった。Eさんとのトーク履歴は全て削除した。


きっとEさんは俺を哀れんだ神様が慈悲をもって遣わした女性だったのだろう。

「こいつ30歳まで彼女なしとかちょっとかわいそすぎやな。ここいらでちょっと良い思いでもさせたるか」

てな具合で。


――神様、ありがとうございます。おかげで良い夢を見ることができました。感謝いたします。しかし、一言だけ言わせてください。あなたは残酷な人ですね


所詮俺に彼女なんて過ぎたるものだったのだ。"夢から醒めた"ただそれだけの話だ。


でも、俺だって人間だ。悲しいものは悲しいんだ。

俺は気を紛らわすため、ドライブへ出掛けようとした。

車にキーを差しこみ、エンジンをかけるとスピーカーから音楽が流れてきた。


スピッツの"空も飛べるはず"だった。


堪えていたものが心の奥底から溢れ出てくるようだった。

俺は泣いた。泣きまくった。脳裏に彼女との思い出がまるで走馬灯のように思い出された。

助手席のドリンクホルダーには、あの日彼女が付けてくれたマグネットクリップがあった。


結局その日はドライブには行かず、仲の良いSkype友達と通話をしながら酒を呑みに呑んだ。

Skype友達は俺を何度も慰めてくれた。


「結局見た目なんだよ!俺みたいなキモイ奴はイケメンには一生勝てねぇんだよ!!俺みたいなコミュ障は面白い奴には勝てねぇんだよ!!畜生!!」

酒を呑むと本音が出るって話は本当だった。


「まぁそのうちまたいい人が見つかるって。ていうか、大丈夫か?いくらなんでも呑みすぎとちゃうか?」

「呑んで誤魔化さないと死にたくなりそうでこえぇんだよ……」

結局その日は朝方まで呑んだ。もちろん、次の日は当然の如く二日酔いとなった。




あの日以来、俺に彼女はできていない。うつ病の方もだいぶマシにはなってきてはいるが、まだ正直完治したとはいえない状況だ。吃音も相変わらず。


これがドラマや映画なら、あのままEさんとゴールインして幸せな家庭を築いてハッピーエンドとなるんだろうが、そうは上手くいかないのが人生というものだ。なんともシビアである。


今でも時々辛くて死にたくなることがある。しかしそんな時、ふとこういう風に考えるようにはなった。


――これから起こるであろう楽しいことや嬉しいことを全て捨ててまで、今死ぬメリットははたしてあるのか?


俺の答えは"No"だった。


どうせこの先良いことなんてない?はたして本当にそうだろうか。予想だにしないことが起こるのが人生だ。人生において予想や断言なんてできるはずがない。実際、俺にとってEさんと付き合えたことも、別れたことも予想外の出来事だった。人生なにが起こるか分からない。良い意味でも、悪い意味でも。


それに、死んだところで時とともに次第に忘れられて終わりだ。そこから得られるものなんてなにもないし、その先になにがあるのかも不確かな以上、それに賭けるのにはあまりにもデメリットが大きすぎる。

それなら、たとえどんなにカッコ悪くても、笑われても、馬鹿にされても、這ってでも生きてみることに賭けた方が無難だ。

そう思えるようになった。


これから先どうなるかなんて誰にも分からない。見えないなにかに怯えていたってしょうがない。

今は目に見える現在(いま)を自分なりに考え、後で後悔しないよう生きるしかない。まぁ俺は後悔続きの人生だったけどね。


手から零れ落ちた水が二度と戻らないように、過ぎた時間も取り戻すことはできない。過去の誤った選択をやり直すこともできない。後戻りができない以上、前へ前へと進むしかない。




後、今回のことで分かったことは――


ジンクスは馬鹿にできない


ということだ。




人生は生きるには長すぎる。でも、楽しむには短すぎる。

できればその終わりがバッドエンドじゃないこと今は祈るばかりだ。


俺の人生はこれからだ!

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