top of page

17/9/29

(8):激しい発作がキタ〜!/パニック障害の音楽家

Image by Olia Gozha

学校を止めたのが秋、そして冬と言えば恒例のクリスマスです。健康だった頃のクリスマスはサレジオ中学の仲間とサレジオ教会に集まり、クリスマスミサに参加して楽しく過ごすというのがそれまでの私だったのですが、恐怖心の虜となってしまった私にはそんな事は恐ろしくてできるわけがありません。「寒い冬にクリスマスミサになんて行ったら、風邪をひいてしまう。もしかしたら、すでに風邪をひいていて、クリスマスミサに行ったら、そこで具合が悪くなって倒れてしまうかも知れない」と、みんなが楽しく過ごしているであろうクリスマスに、自宅に引きこもり恐怖心を起こして「ちじこまって」いる自分を考えると増々自分が世間から取り残された敗残者である、という意識が強くなって行きました。

そうこうするうちに1976年の2月初旬、本格的なパニック発作を起こす事になりました。これが自分では一番強烈な印象の発作でした。

その日は朝からなんとなく気分がすぐれませんでした。なんとか気持ちを高揚させようとギャグ漫画を読んだりしていましたが、一向に良くなる様子もなく、次第に不安な感じに囚われ始めたのです。

そして夕方過ぎに突然、今までと違った恐怖心に襲われたのです。いても立ってもいられない感覚、誰に助けを求めても救われないような気持ち、視界は狭くなり、脂汗とも冷汗ともつかないものが出て自分がどうかなってしまうのではないか?という気持ちがドンドン激しくなっていきました。自分はこのまま狂ってしまうのではないか?自分で自分をコントロールできなくなり、以前病院で見たあの人たちのように訳がわからなくなってしまうのではないか?そういった不安が一気に押し寄せて来たのです。当時私の部屋は2階でしたが、1階の居間まで死ぬ思いでおりて行き、両親に「なんとかしてくれ、医者を呼んでくれ!」とせがみました。しかし、かかりつけの内科医に相談するような症状でもなくどうしたら良いのかわからないまま数分がたち、不安は頂点に達し、私は大声をあげて騒いぎ始めてしまいました。ちょうど冬だったので電気ゴタツが出ていたのですが、私は暴れてその電気ゴタツをひっくり返しました。もうどうする事もできない感覚だったのです。一種の錯乱状態だったのだと思います。

苦しみぬいた挙げ句、30分ほどで不安感は去って行っきました。しかし、極度の緊張から体中に力が入っていたためか、激しい筋肉痛が残り、その筋肉痛が「自分は普通の状態では無いぞ!」と自分に告げているような感じがしました。その後も何度かパニック障害の発作を経験することになるのですが、私の場合、常にこの筋肉痛の後遺症が残り、発作のあった日は翌日まで体中が痛く、これが私の発作のもうひとつの悩みの種でした。

それ以来、私は「あの時のような恐怖がまたいつ襲ってくるかもしれない」と四六時中気になるようになり、その考えが頭から離れなくなってしまいました。夜寝ていても悪夢で目が覚める事がたびたびありました。

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page