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17/9/6

日本語教師養成における直接法の「(修正不可能な)揺るぎない確信」について-私はどのような養成を受けてきたのか?(1)―

Image by Olia Gozha

先日、日本語教師養成における直接法についての「(修正不可能な)揺るぎない確信」について書いた。

これは教師養成のあり方について考えたかったのであって、個別のボランティアさんを批判したかったわけではもちろんない。だから、これは「養成を受ける側」の問題ではなくて、「養成する側」の問題であるということをまず確認しておきたい。

言い訳がましい前置きとなったが、そこで今一度我が身を振り返れば、私はこれまでどのような養成を受けてきたのだろうかとふと思った。だから今回は、自分自身の経験をもとに、直接法についての「(修正不可能な)揺るぎない確信」はどのように形作られていくのかについて考えてみたい。

一番初めに受けた養成は、東海地方にある某市の国際交流協会が開講していた日本語ボランティア教師養成講座だった。当時、会社員をしながら日本語ボランティアをしていた私は、1回2時間×全10回、合計20時間程のこの講座を平日の夜に受けていた。

国文科出身で歎異抄を研究していた?大学教員がこの講座の教師だった。講座の内容は、国文法の非常に詳細な説明や動詞の歴史的な活用の変化など、今となっては首をかしげたくなるものが多かったが、それでも一生懸命話を聞いた。おもしろかったのは余談で飛び出す歎異抄についての注釈だった。こんな不思議な講座だったが、心に残ったのは歎異抄の注釈の次に飛び出した次のような一言だった。

「みなさんは、日本語教師ではなくて、日本語コミュニケーターになってくださいね。」

とにかく教師ではなくて、日本語でコミュニケーションをする人になればいいんだということくらいはわかった。何気なく聞いた一言であったが、この「日本語コミュニケーター」という謎の用語は、その後の日本語教師人生を包み込んでいくような不思議なことばとなった。

その後、日本語教師になろうと決めて受講した420時間に準ずる養成講座では、まさに「(修正不可能な)揺るぎない確信」を刷り込んでいくようなトレーニングを受けた。だが、そこは巧妙で、「授業中に媒介語を使うことについては目的次第である」という説明は受けたものの、実習中に英語などの媒介語を使えば、実習後の振り返りで「あの場面で英語を使った意図は!」と担当講師から詰め寄られた。特に印象的だったのは、媒介語を使うことに対しての次のようなコメントだった。

「媒介語を使うことで、学習者がネイティブ教師の自然な日本語を聞く機会や、学習者自身の発話の機会を奪っていることになってはいないか?教師が学習者の貴重な学習機会を奪うべきではない。」

こう畳みかけられては、受講生はぐうの音も出ない。直接法こそが上策で、媒介語の使用はあくまでもその補助的な手段であるということを厳しいフィードバックによって繰り返し刷り込まれた。

もうひとつ印象的だったのは、当時「マジシャン」とあだ名されたベテラン講師による模擬授業だった。いわゆる「ゼロ初級」と呼ばれる人々が「マジシャン」によるよどみない直接法によってみるみるうちに「自然な発話」を繰り返すようになっていくのを目の当たりにして、震えるほど感動した。終始にこやかで、立ち振る舞いもやわらか。ほとんど不自然さを感じさせない語彙のコントロールと、プレッシャーを与えずに学習者の発話を待つ姿勢。

こんな教師になりたい。

厳しいフィードバックによる恐怖と震えるほどの感動によって、直接法のすばらしさに疑いを持たなくなっていった。

養成講座が終わってから、タイの大学の日本語学科に勤務することになったのだが、あまり直接法のスキルは向上しなかった。そもそも、文法事項の説明はタイ人教師がタイ語で説明するので、直接法ですべてを理解させる必要はなかった。自分の教師としての役割は、学生からいかに意味のあるアウトプットをたくさん引き出せるかということだった。ただ、その時でも日本語で表現するときには日本語で考えたほうが良いという直接的な発想は相変わらず持っていたので、タイ語はあくまでも補助的な役割と思っていた。

蛇足ながら、私は「マジシャン」にはなれなかった。その理由は、思わず「直観的な疑念」からなどと言ってしまいそうになるが、実は、直接法に必要とされる入念な準備や、語彙のコントロールなどで必要とされる慎重な立ち振る舞いができなかっただけのこと。生来の怠惰と杜撰さと持続しない集中力の為せる業によって。

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