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17/9/3

40才からの成り上がり 第2話

Image by Olia Gozha

「上京」


19才になった僕は故郷を捨て、彼女を連れて、横浜の地下鉄弘明寺駅のホームに降り立った

滴り落ちる汗を拭いながら、僕らはこれから始まる新生活を想像していた


給料がよくて住み込みで働けるところ


求人雑誌を買ってきては、仕事の内容もろくに見ないで、片っ端から電話をかけて履歴書を送った



仲間とつるんで悪さばかりしていた僕は、なんとなく時間ばかりが過ぎて、このまま小さくまとまってしまうことが怖くて、彼女を連れて逃げるように田舎を飛び出した



住み込みで働けるところが決まり、金も頼れるような人も何もなかったが、2人で始める新しい生活に不安はなく、若い僕らは希望に満ちあふれていた



どこか僕らは似ていて、彼女も今の現実から連れ出してくれる人を待っていたのかもしれない


そして、2人とも両親が離婚していて、何か普通の家庭に憧れがあったような気がする


いつも僕らは何をするときも一緒で、お互いがお互いを必要としていた


そして横浜での仕事が決まり、19才の僕らは誰にも相談せずに婚姻届を提出した



「新しい家族」

仕事が忙しく、かまってあげられないことへの苛立ちか、知らない街で1人部屋で待っていることの寂しさなのか、彼女はいつもイライラしている



そして若い2人はつまらないことで、いつも喧嘩ばかりしていた



まだ知り合って間もない10代の男女が、紙の上では夫婦になったとはいえ、すぐには家族になれないのである


そして相手の気持ちを受け止めてあげられるほどの器量を、まだクソガキの僕は持ち合わせていなかった



そんなときだった、あるとき休みの日に、2人で商店街を歩いていると、電柱に「子猫飼い主募集、去勢、ワクチン接種済み」の張り紙を見つけた


ボクは「これだ!」


彼女の不安な心が少しでも和らぐのではないかとボクは考えたのである


早速、書いてあった連絡先に電話をして、次の休みの日に、飼い主のお宅に僕ら2人はお邪魔することになった


玄関を入ると飼い主の方に抱っこされた、まだ小さな小さな赤ちゃん猫が眠たそうな目でこっちを見ている



彼女はこの赤ちゃん猫を、菩薩のような顔で覗いていた


そして僕らは子猫を連れて帰り、この不完全な家族に仲間が1人増えた


この日から不完全家族のクルーとなった子猫は、この先長い旅を一緒にすることになる



「月日」

新たに、我が家に家族が増え、仕事も順調で日々過ぎていくなか、

僕らは喧嘩する回数も少しずつ減り、穏やかな日だまりがボクら家族を包み込む




そんなとき、彼女の妊娠が判明した




無事に一人目が生まれ、日々忙しさに忙殺されていくなか、新たに家族が増え、アニメのように月日が捲れていく








いつのまにか、子ども達は彼女の背丈を超えていた

彼女の髪にも、少し白髪が交ざり始めている

自分も働きながら、子育てや家事は大変だっただろう



あんなに小さかった子猫も、病気ひとつすることなく、気まぐれに家出を繰り返しては、家族を心配させ、そして何事もなかったように帰宅する



最近は、毛艶もなくなり寝ていることのほうが多くなった



色々な想いを抱えて田舎を飛び出した19才の2人が、弘明寺の地下鉄のホームに降り立ってから、もう数10年が過ぎていた



子ども達はそれぞれのコミュニティを確立して、親への依存は減っていき

毎日、同じモノを食べ、同じ布団で寝ていても、夫婦の価値観は少しずつズレていく



全てのコミュニケーション手段が、たったひとつのガラクタで済むようになったけれども、何か味気がしない



世の中がすごいスピードで変化し、自分も家族も変わっていくなかで、その環境に適応することが幸せなのかも知れない



ーもっと彼女との時間を大切にすれば良かったー



ーもっと子ども達と遊んでやれれば良かったー



ーもっと親に会いに、帰ればよかったー



ーもっと猫に上手いモノを食べさせてやれば良かったー



月日は色々なモノを変え、臍を噛んでも、もう遅い


何だろう、貧乏だったけれど、僕が小さい頃感じた、家族全員でいることの安心感や幸福感



そんなときだった、

少しずつボクら家族の歯車が狂い始めたのは




「LINEで退職勧奨」

ボクは田舎から出てきて、まだ創業したばかりの会社で働いていた

純粋に会社を大きくしたい一心で、身を粉にして寝る間も惜しんで働いてきた



しかし長年の無理が祟ったのか、数年前から持病の椎間板ヘルニアが悪化し、

痛み止めの座薬を使っても効かず、椅子に座っているのもつらい状態



そしてある夜、寝ているときに背中から腰にかけて、電流を流したような激痛に襲われた


結局、救急車で病院に運ばれ入院。そのまま手術することに




入院してから手術するまで約2週間、退院して仕事に復帰出来るようになるまで約2週間

合計1ヶ月ほど会社を休むことになった



しかし初めは心配して、しっかり体を治すまで休むようにと言っていた社長が、手術後から


社長「いつまで、会社を休んでいるつもりですか?」

社長「今月は、給料払わないから傷病手当を申請しろ」



何度も何度もLINEを送ってきては、復帰の催促を迫る



1日でも早く会社に戻って、仕事が出来るようにボクはリハビリを頑張った



そしてある夜、社長からLINEで

社長「いつまで、好き勝手休んでいるつもりですか?仕事が出来ないなら、会社を辞めてください」




ボクはあまりの悔しさに涙が出た



今まで、家庭も顧みず体を壊すまで死ぬほど働いてきたのに


「結局、自分も社畜の一人に過ぎなかったのか?」

「20年近く、会社の為に働いてきた時間は全て無駄だったのか?」



自問自答を繰り返したボクは、退職することを決意する

すぐに転職を考え、右往左往するがなかなか思うような仕事が決まらない



寝ていても、仕事をしていた頃の夢を見るようになり、大量に汗をかいてハッと

夜中に目が覚める



この頃のボクは、ちょっと鬱ぎみだったかもしれない




時間だけがあっという間に過ぎていくなか、

あるとき家族でご飯を食べているときに、末っ子


末っ子「家族っていいな~」

お姉ちゃん「なに?いきなり」

お兄ちゃん「面白いこというね!」

末っ子「だってさー、今まで皆そろって、ご飯食べたことないじゃん」

「いつも、パパ家にいないしね(笑)」



食卓は家族みんなの笑い声に包まれる



僕はこの時に思った

この20年近くずっと仕事ばかりで、たまの休みも寝てばかり、

子どもたちのことは彼女に任せきりで、どこか遊びに連れて行ったことさえない



失業してから自由な時間が増えた分、今後の人生について

どう生きていこうかと考えるようになった



「せめて自分の家族だけでも、幸せにしたい」

「死んだら終わり、生きてさえいれば何度失敗してもやり直せる」




そう考えた僕は、失業保険が切れる月に、自分で起業して生きていくことを決断した





しかし、我が家に降りかかる災難は、まだ続く




「家族の死」

19歳のとき田舎を飛び出した僕らが、彼女の寂しさを紛らわすために、飼ったのがまだ生まれたばかり子猫だった



この19年間変わらず、夜は僕と彼女のそばで寝ている


大きな病気や怪我もなく、親孝行な娘だ


あの細い眼で、一番近くで家族を見守ってきた彼女は、どんな風にこの家族のことを見ていたのだろう?



そして、その日は突然やってくる



いつかその日が来ることを覚悟していたとはいえ、あまりにも突然だった



いつものように、ボクらの布団でいっしょに寝ていた彼女は、眠るように静かに息を引き取った



この19年間、自分の生きたいように生き、誰にも迷惑をかけず生きてきた彼女は、最後まで家族に迷惑をかけずに天国に旅立った




ボクは彼女の目を閉じてをそっと抱き上げた



家族にたくさんの思い出と優しい心を与えてくれた



ありがとう、家族になってくれて本当にありがとう…



情けない親父でゴメンな

オレ、もっともっと頑張るから




社会に出てから、この二十年僕はいったい何をしてきたのだろう


誰かの役に立っていたのか?


誰かを幸せに出来たか?


自分がこの世に生まれてきた証を何かひとつでも残せたか?



気がつけばあっという間に、人生の半分が過ぎていて


どんなに辛いことやしんどいことがあっても、日々時間は過ぎていく


そして過ぎた時間はもう取り戻せない


人は自分の為よりも、誰かの為のほうが頑張れる


誰かがそんなことを言っていた



子ども達は大きくなっていき、自分の人生をそれぞれ自分の足で歩き始めていく



19歳で右も左も分からず、田舎を出てきた僕ら。自分が死ぬとき、一緒に付いてきてくれた彼女に

「幸せだったよ」と言ってもらえるように

残りの人生、必死に頑張ろう。そう僕は誓った







親父さ…



そういえば、一度も一緒に酒飲んだことなかったな



オレがあの世に行ったら、一緒に飲もうぜ



ゴメンな





最後まで読んで頂きありがとうございました

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