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17/9/3

40才からの成り上がり

Image by Olia Gozha

社会に出てからのこの約20年、一体ボクは何をしてきたのだろう?


「誰かを幸せに出来たか?

「誰かの役に立つことが出来たか?」

「自分がこの世に生まれてきた証をなにかひとつでも残せたか?」


平成25年7月10日、ボクの親父は睡眠薬を飲み川に飛び込んで自殺した

63才で、自分の人生を終わらせる決断をしたのだった


死ぬ前に、母親の携帯に電話があったそうだが、母親は冗談だと思い、取り合おうとはしなかった


父親と母親は、ボクが17才のときに離婚している


離婚してからも、ときどき二人は合っていたらしく、子供達が自立してからは、お互いの家を行き来していたらしい



東日本大震災のときは、一週間連絡が取れず心配したが、結局2人避難所で寄り添っていた



ボクが小さい頃、親父と母親で飲食店を経営していたが、ボクが8才のときに経営が苦しくなり店を閉めて借金だけが残った


それからというものの、昼ドラにありがちな、親父は酒に溺れ職を転々とし、ろくに働こうとはしなかった

母親は、僕ら兄弟を育てながら働き、無理が祟り足を悪くした



いつもお金がなく、電気・ガス・水道なんかはしょっちゅう止まっていた

借金取りが家に来ると、ボクが出て行かされ、「居留守」の片棒を担がされた



真冬に電気が止められ、蝋燭の火だけがゆらゆら揺れている静寂のなか、一家五人で黙々と少ないおかずを分け合って食べていた




日本の平均以下の家族だった



そんな子供時代のボクはいつも「妄想」のなかで、お腹いっぱい好きなモノを食べたり、病気が治っていたり、将来の幸せな自分を思い描がきながら、自分自身をコントロールしていた





親父が亡くなったと警察から連絡があったとき、ボクは特別驚きはしなかった

なんとなく「ああ、そうか自殺したのか」と思っただけだった


親父が自殺した事実よりも、これからしなければいけない「後処理」のことばかり考えていて、新幹線での移動中ずっとボクは、携帯で調べものばかりしていた


遺体の引き取り、火葬、通夜、葬式、納骨、親父の部屋の片付け……



夕方には警察に到着し、遺体安置所のドアを開けると、二段ベッドの下から親父は冷凍マグロのように出てきて、地獄の入り口に立っているかのような臭気が辺りを漂い、その臭いのせいで僕の頭はクラクラして、ここに来るまでの忙しさと疲れから、その場に踏ん張っているのがやっとだった




パンパンに膨れあがった親父の顔を見ながら、ボクは最後に親父と電話で話したことを思い出していた



      「親父が自殺した理由」


その日いつものように親父はパチンコで負けて、金の無心をするために酔っ払いながら、ボクに電話をしてきた


そんな親父に対して、冷静に僕は言う


「何が楽しくて生きてんの? 正直迷惑だから、自殺でもして、もう人生終わらせた方が世の中の為じゃない?」


親父は何も言わず電話を切った



そしてこの電話が親父と話した最後で、その数週間後、自ら命を絶った




そう、「僕が親父を殺したのだ」






酒の飲み過ぎで体を壊し、まともに働くことも出来ない


少ない生活保護費のなかで、唯一の楽しみと言えば酒とパチンコぐらい



しかも一銭も残らず負けては子供にたかり、子供からは「自殺すれば?」と言われる始末



経営していた飲食店が潰れてから、自分で人生を終わらせるまでのこの何十年間、親父は何を考えながら生きてきたのだろう?




悔しくなかったのか?


それとも自分なりに折り合いをつけて、時間が止まったように虚しい日々を過ごしていたのか?


自分ではどうすることも出来ない現実から逃げるために、酒を飲んで妄想の世界に入り込み自我を保っていたのか?




そんな親父に似ているボクは、いずれ自分も家族から見放され、退屈で味気のない人生に絶望し、同じ道を辿るような不安が心の奥底から、ずっと消え去らずにいる

















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