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17/8/31

やりたいことで月10万円稼げるようになった田舎在住主婦のおはなし。その4

Image by Olia Gozha

結婚生活と東日本大震災、原因不明の病気。


運命の人と、2008年7月に結婚しました。

いわゆる「できちゃった結婚」でした。

そのため、一関市花泉町から大船渡市に引っ越しました。

実家から大船渡までは車で2時間ほどです。

思いつきで帰ることはできない距離です。


知り合いのいない状態で引っ越してきて、妊娠しているので仕事もできない。

会話するのは義両親と旦那だけ。

一人目の妊娠中は今思うと孤独な毎日でした。

それでも「結婚生活はこんなもの」と思っていました。


二人目の次男を出産して生後4ヶ月のとき。

東日本大震災が発生しました。

私の住む大船渡市にも大きな津波が襲いました。

死者340名、行方不明者79名(2017年6月27日現在)。

街は壊滅状態でした。


幸いなことに私の自宅は海から離れていたため、被害はありませんでした。

数日間停電、断水しましたが、我が家には発電機がありました。

水道工事の仕事をしていた義父が、地下水をくみ上げてくれました。

旦那が食料や生活用品を求めてごった返すスーパーに行って、子ども達のオムツを買ってきてくれました。

私は2歳の娘と4ヶ月の息子のお世話に専念して、安全な自宅にいました。

家族の支えがあったから、乗り越えられた。あの時のことを思い出すと、本当に家族には感謝しています。



 子育ては想像以上に大変なものでした。

私は子どもが好きなほうだと思っていましたが、それは勘違いでした。

子どもが好きなのではなく、好きな人の子どもが産みたかっただけでした。


そして結婚当初はうまくいっていた義両親との同居も、だんだんとストレスになっていきました。

元々メンタルが弱い私は、たびたびヒステリーを起こしていました。

子ども二人を連れて実家へ家出したこともありました。


 家に閉じこもっているのが良くないのではと、勤めに出ることになりました。

確かに良い気分転換でした!

だんだんと家に帰る方が大変な仕事、職場は息抜きの場所という状態になっていました。


 夫婦間もギスギスしていました。

仕事に明け暮れる旦那。私が何を言っても聞いてくれない。


 そんなストレスが積み重なって・・・2014年11月、突然倒れてしまいました。

意識はある状態で突然バターーンと倒れるのです。時には過呼吸を起こすことも。

病院に行ってもはっきりとした病名はつきませんでした。


仕事も辞め、家から出られなくなりました。

一人では買い物にも子どもの保育園行事にも行けなくなりました。

毎日ダルイ。すぐ眠くなる。体重は落ちていく一方。

子どもを大船渡に置いたまま、実家で何度か休養させられました。

義両親が気を遣ってしてくれたことでしたが

「嫁として役に立たない自分は家にいてはダメなんだ。」

とますます私は追い詰められました。



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