結婚生活と東日本大震災、原因不明の病気。
運命の人と、2008年7月に結婚しました。
いわゆる「できちゃった結婚」でした。
そのため、一関市花泉町から大船渡市に引っ越しました。
実家から大船渡までは車で2時間ほどです。
思いつきで帰ることはできない距離です。
知り合いのいない状態で引っ越してきて、妊娠しているので仕事もできない。
会話するのは義両親と旦那だけ。
一人目の妊娠中は今思うと孤独な毎日でした。
それでも「結婚生活はこんなもの」と思っていました。
二人目の次男を出産して生後4ヶ月のとき。
東日本大震災が発生しました。
私の住む大船渡市にも大きな津波が襲いました。
死者340名、行方不明者79名(2017年6月27日現在)。
街は壊滅状態でした。
幸いなことに私の自宅は海から離れていたため、被害はありませんでした。
数日間停電、断水しましたが、我が家には発電機がありました。
水道工事の仕事をしていた義父が、地下水をくみ上げてくれました。
旦那が食料や生活用品を求めてごった返すスーパーに行って、子ども達のオムツを買ってきてくれました。
私は2歳の娘と4ヶ月の息子のお世話に専念して、安全な自宅にいました。
家族の支えがあったから、乗り越えられた。あの時のことを思い出すと、本当に家族には感謝しています。
子育ては想像以上に大変なものでした。
私は子どもが好きなほうだと思っていましたが、それは勘違いでした。
子どもが好きなのではなく、好きな人の子どもが産みたかっただけでした。
そして結婚当初はうまくいっていた義両親との同居も、だんだんとストレスになっていきました。
元々メンタルが弱い私は、たびたびヒステリーを起こしていました。
子ども二人を連れて実家へ家出したこともありました。
家に閉じこもっているのが良くないのではと、勤めに出ることになりました。
確かに良い気分転換でした!
だんだんと家に帰る方が大変な仕事、職場は息抜きの場所という状態になっていました。
夫婦間もギスギスしていました。
仕事に明け暮れる旦那。私が何を言っても聞いてくれない。
そんなストレスが積み重なって・・・2014年11月、突然倒れてしまいました。
意識はある状態で突然バターーンと倒れるのです。時には過呼吸を起こすことも。
病院に行ってもはっきりとした病名はつきませんでした。
仕事も辞め、家から出られなくなりました。
一人では買い物にも子どもの保育園行事にも行けなくなりました。
毎日ダルイ。すぐ眠くなる。体重は落ちていく一方。
子どもを大船渡に置いたまま、実家で何度か休養させられました。
義両親が気を遣ってしてくれたことでしたが
「嫁として役に立たない自分は家にいてはダメなんだ。」
とますます私は追い詰められました。