top of page

17/8/7

会社で孤立した僕が民泊を始めて感じたこと

Image by Olia Gozha

僕は大手のインフラ系会社に勤めています。


就職活動に一生懸命取り組んだおかげでとてもスムーズに内定をもらえました。



例えば、

先生に頼んで、グループディスカッションの練習を組んでもらったり、


アルバイトのコネを使って、その会社で働く人に直接話を聞いたり、


部活動の先輩をたどって、その会社で働く先輩に電話で話を聞かせてもらったり。



会社という場所を知らなすぎて不安で、とにかく中の人と話そうとしました。



その会社の社員さんの話は、インターンシップなど準備された場所よりもリアルな話を聞けると思ったからです。

 


しかし、僕が志望する会社を選ぶ基準は


ホワイト企業と呼ばれる会社で、

安定していそうで、

給料が高いところ。



今思えば、中をみたいと言いながら

外側ばかり見て選んでいました。




はじめて出勤する日

僕はワクワクしていました。



しかし、半年間の研修が終わってからも

配属が決まらなければ、自分が何をするのかも分からない。


配属が決まってからも、学校で学んだ内容が活かされているとは思えない。


そんな状況が続き

1年目にして、いよいよ何のために頑張っているのか分からなくなってしまいました。



そう感じてからは本当にしんどい毎日でした。



全くモチベーションが上がらす、

ただ時間が過ぎるのを待つ毎日でした。



そんな状態が先輩や上司に気づかれない訳もなく、疎まれ、話も聞いてもらえなくなっていました。



学生時代には味わった事がない、孤独な時期でした。




そんな時、やはり楽しかった学生時代を思い出していました。



僕の親しい友人達はほとんどが海外留学の経験があり、休学をした分まだ学生をしていたからです。



みんなに羨ましがってもらった大企業への就職も、結局おもしろくも何ともないと感じていました。




留学に行ってみたい。



と、強く思うようになりました。

漠然と何かが変わるかもしれないと感じたからです。



それに、好きだった洋画や洋楽がもっと楽しめるとも思いました。


 


そんなある日、会社で飲み会がありました。



遠距離恋愛をしている先輩がこんな事を話していました。



「彼女がなかなか会いに来てくれなくて…。」


「会えないと気持ちも冷めてくるよな。」


「来てくれないなら、お前が行けばいいじゃないか」


「ですよね。って事で休みもらっていいですか?笑」



そんな会話を聞きながら、

僕は留学の事を思い出しました。



行きたいとは思っていたけど、社会人になってまとまった休みを取る事が難しくて行けない。



そう諦めていた留学ですが、


行けないなら、来て貰えばいいじゃないか!


そう閃いたのです。



次の日、AirBnBという民泊サービスを見つけました。



これなら来てもらえるかもしれない!



そう思った僕は、何とか民泊をさせてもらえる物件を見つけ

1ヶ月後、1LDKの部屋で一人暮らしを兼ねて民泊を始めることにしました。



1ルームを、来てくれたゲストに使ってもらい自分はリビングで寝る。



1年目の給料ではその程度の広さの家しか用意できず。

もちろん、トイレもお風呂もキッチンも共用です。




さっそく、最低限の家具と布団を用意してサイトを作りました。



当時、日本で民泊はそれほど知られおらず

今では全国で約5万件ある物件も、全国で約4000件と少ない状態でした。



僕が始めた地域には5件程度しかなく、簡単に地域で一番の人気物件になることが出来ました。



そもそも、一緒に住んで交流するような人がほとんどいなかったようです。



1ヶ月のうちほとんどを外国人と一緒に暮らす生活が始まりました。



僕にとっては、あまりにも楽しい時間でした。

だって、


お金をもらいながら、

やりたかった英語の勉強ができて、

海外にたくさん友達が出来る。



そんな生活です。



何のために頑張っているのか分からない職場とは、比べものにならないくらい魅力的でした。



外国人との会話では、やはり働き方の違いに驚かされました。



日本で比較的スムーズに就職したと感じていた僕も、彼らの目から見れば



「そんなに若くして働くのは何か理由があるのか?」


「家が大変なのか?」



と、まるで心配されるように聞かれる事が度々ありました。



アメリカやヨーロッパの人達にそう言われても、やっぱり違うなぁ。


くらいにしか思わず、気にも止めませんでした。



しかし、タイやマレーシア、台湾など日本よりも国力が劣ると思っていた国の人達にも同じことを聞かれるのでした。



「おかしいのは僕の方かもしれない。」



そう感じるようになりました。


同時に外国人の人たちの話に、やけに惹かれる事に気づきました。



多くの人が、将来どうしたい という事や成し遂げたい事を話してくれるので、


とてもワクワクしているように見えたのです。



みんな、そういった夢や目標を明確にしてから働くんだ。

と感じました。



だから学校を卒業した後、世界をまわってみたり

とりあえず好きなものに没頭してみたりする時間を作っているんだろうな と。



僕は何の目的もなく、

本来は目的を達成するための手段であるはずの、仕事をしていたんだと思います。



何となく生活してしまっている人は意外と多いと思います。

目的を持って生活をしようと決めました。



そのためには、目の前の事に精一杯取り組むしかないと思います。



意識し始めると、少しずつ仕事のおもしろさも分かるようになってきました。

会社の先輩からの目も少しずつ変わってきていると実感します。



民泊という、仕事とは全く関係のないものに取り組んでみた結果

外国人との会話の中でたくさんの事に気づけました。



今思えば、これまでも何か行動を起こした時にしか、状況を変える事はできていなかったように思います。



行動を起こせば、何か変えられるかもしれない。

そう思えるようになりました。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page