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17/8/1

ジャスティン・ポコ太郎

Image by Olia Gozha

ジャスティン・ポコ太郎

 この世に生まれてきて60年。どうも、この国になじめない。200たらずの世界の中には、いまだに独裁国家もあれば貧困にあえぐ国もある。日本は、そういう国と比べたら良い国だと思う。

 しかし、治安の良さや経済的な発展の裏では何が犠牲になっているのだろう。

 受験指導の現場に30年。イジメで死を選ぶ生徒がいても、何も変わらない。私のように、がんじがらめの規則の中でノイローゼで入院しても何も変わらない。落ちこぼれが出ようが関係ない。

 そんな学校なら、こっちも好きにさせてもらおうじゃないか。どうせ、教師なんか卒業したらオサラバなんだから、そんな人の言うことに耳を傾ける必要なんかサラサラないんだよ。疲れるから、無理して逆らう必要もないけどね。

 教師の言うことを聞いていたら、私は50代で京都大学を7回も受けたりしなかったんだよ。中学の時から、宿題なんか提出せず自分のやりたいように勉強していた。教師の指示ではなくて、好きでやっていたから大学を卒業しても英語と数学の勉強が続いたんだよ。

 学校は、強制するから言われたとおりにやっていたら英語も数学も嫌いになってしまう。実際、私は高校で文系と決めつけられたので数学には才能が無いと信じ込まされた。

 でも、大学を卒業して面白いから勉強をし続けたら、京都大学の二次試験で7割ほど取れたし、今は四日市高校の理系のトップクラスの子の指導をさせてもらっても困らない。

 もちろん、初等数学だからプロレベルではないんですよ。でも、数学の才能が無い文系人間と呼ばれるほどでもない。

 私は、酒を飲まない。ギャンブルをしない。タバコを吸わない。ゴルフをしない。だから、会社勤務が嫌だった。仕事は好きだったけれど、すぐに

「飲みに行こうぜ!」

 というのが、嫌だった。たいていの男性は、こういう人間を

「つきあいが悪い」

 と、敬遠する。私はそれで結構だったけれど、学校とか会社とかいう組織にはなじめなかった。

 この国、日本は聖徳太子の時代から“和を以て貴しとなす”の集団主義の社会に価値を見出してきた。とにかく、人と違っていることは悪なのだ。

「みんなクラブ活動をしているのに、おまえは拒否するのか!」

「みんな酒を飲みながら、和気あいあいとやっているのに、おまえは!」

 という恫喝にも似た言葉が平気で飛び交う国なのだ。

 アメリカに着いて初日の朝をむかえたら、家の中に誰もいなかった。日本だったら、外国人のゲストを迎えたらスケジュールをびっしり組むよね。ところが、私は放置されてしまったんだね。

 それで、

「これは、どういうことなの?」

 と、ホストファミリーのパパに質問したら

「何を言っているんだ。何もかもおまえの好きにしてもいいということじゃないか」

 と、言われてしまった。

「冷蔵庫も勝手に開けていいし、どこの部屋も自由に出入りしていいんだぞ」

 それが、アメリカ式の最高のもてなしらしかった。

 その後も、ローガン中学校で

「このクラスを見学してもいいか」

 とか、

「この授業を担当できるか」 

 とか、いちいち確認していたら

「お前の好きなようにしていいから」

 と、言われた。私は規則だらけの日本社会で、何かをし始める時はいちいち許可を取らないとダメだという習慣がついてしまっていたらしい。私のような自分勝手な人間でもね。

 それほどまでに、この国ー日本は規制、規則、校則、慣習などでがんじがらめなんですよ。そして、それを一歩でも踏み越えたり、破ったりしたら村八分になって生きていけないことが多い。

 少なくとも、

「変なヤツ」

 と言われてしまう。


 私は会社をやめて、自分の塾をはじめた。とてもじゃないけど、宮仕えができなかったんです。また、息苦しくてノイローゼになりそうだったもんね。自営になったら、好きな時に起きて、好きな時に寝られた。まさに天国。

 だから、私はセンター試験を10回も受けられた。誰にも干渉されないから、京大の二次試験を7回も受けられた。三重大学では、

「今日はセンター試験なので、関係者以外は入れません」

 と、警備員に入場を制止されたけれど、気にしない。不審者扱いだったけど、どうでもいい。自分のやりたいようにやるので、誰がどう思おうと関係ないんです。

 もちろん、不都合なこともあったよ。

 銀行で融資を受けようとしたら、

「個人塾は負け組なの。会社組織の塾が勝ち組なの」

 と、融資を断られた。

 結婚する時も、

「教師にならないと娘はやれない。個人塾なんて許せない」

 と言われた。

 日本人の大半は、“組織”を崇拝する人ばかりで、ウンザリなんです。言っておきますが、私は名古屋の有名な会社組織の塾で、40人講師の中で2番人気でしたよ。生徒のアンケートで。

 それに、私は英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級、観光英検1級を持っているし、アメリカの中学校で教えていたし、京都大学の二次試験で英語は81%、数学は70%の成績でした。成績開示してあるので、「高木繁美」で検索してみて下さい。

 塾生の半数は、三重県一の四日市高校の生徒だし、5年連続で京都大学に合格者がでているんです。どう見たって、負け組じゃないと思うけどなぁ。それでも、この国の人は、組織がすべてなんだろうけど。

 金太郎あめのような人ばかりだったら、ジャスティン・ビーバーも、ピコ太郎も生まれないだろうに。

 私はクリスチャンで、日曜日はアメリカの教会に通っていました。帰国してからも教会に通いたかったので、日本の教会に通っていました。ところが、日本の教会はアメリカのものと似ても似つかないものだったんです。

 アメリカの教会には、老若男女問わず集まっていたし、大学教授からペンキ屋さんまで様々な人がいたんです。ところが、日本の教会は日本らしく、「困ったときの神頼み」みたいな、社会から落ちこぼれた感じの人ばかりでした。

 そのため、私のように名古屋大学を卒業してアメリカから帰国した人間は珍しいらしく、しばらくすると

「あの人、私たちをバカにしている」

 とか

「あの人、教会より仕事優先よね」

 という陰口がいろいろ聞こえてきたんです。ここにも、

「他のメンバーと毛色の違うものは許さない」

 という、日本独特の閉鎖性があったんです。もう、本当にウンザリなんです。クリスチャンなのに、私財を投げうって出家するような生き方しか認めないような雰囲気の中、私は教会通いをやめました。

 アメリカ社会を見てきたからかもしれませんけど、日本社会は室町時代の「寄合」のような、江戸時代の「五人組」のような精神で貫かれているのに、マスコミは極左のような状態にも驚きました。

 アメリカにも極左の新聞はあるでしょうが(よく知りません)、右も左もいろいろあります。それに、日本で有名なワシントン・ポストとか、ニューヨーク・タイムズなんて、名前のとおり、ワシントンとかニューヨークの地方紙ですよね。

 私の住んでいたユタ州、ローガンやプロボでは「デゼレト・ニュース」が主要紙でした。

 ところが、慰安婦のニセ記事で日本を貶めた極左の「朝日新聞」だけでなく、「読売新聞」「毎日新聞」どれも、すごい購読者数を誇り、どれも左翼系で、保守的論調の新聞は産経新聞くらいです。

 これは、本当に異常なことだと思います。


 ここ三重県は「日教組」の教師が100%という、日本一の左翼教師の多い県です。これって、もう異常を通り越していますよね。だって、民進党や共産党って、支持率は3%とか4%なんですよ。

 つまり、9割以上の人は左翼を支持していると言えないもんね。だから、教師になろうと頑張っている若者の9割は支持政党なしプラス保守的な人たちのはず。それが、なんで教師の100%が左翼なんですか。

 ありうる可能性は、採用がコネまみれで“左翼的な人以外は採用しない”という隠れたルールがあるか、採用したあとで洗脳して左翼に染めるか、どちらにしてもコワイ世界ですねぇ。

 思想の自由なんて、どこにもない。中世の暗黒社会と同じだ。

 でも、救いはあるんですよ。私の教えている子たちに聞くと

「新聞ですか?とってません。読んでません」

 と言うし、

「マスコミは信用していません。マスコミに就職するなんて無理」

 と言う。

「教師は絶対になりたくない」

 とも言います。ちゃんと見てるんだ。ムチャクチャしたら、誰もついていかないよ。

  東芝やシャープみたいな大企業も外国に買われてしまう時代。もう大企業や組織ばかりをありたがる人ばかりでは日本は終わってしまうね。若い子たちは、本能的に気づいているから希望が持てる。

 ファミレスに行きたいやつは行けばいいのだけど、個人の店にもウマイものがあることに気づいている人も多い。私は、食事をするならガスト、デニーズ、サイゼリアにはいかない。もっと美味しい店を知っているからね。

 知名度しか頼るものがない人は、まずしい人生を送ればいいのだ。

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