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この世の中で楽しいことは、小学校や中学校の頃はゲームで遊んだり漫画を読んだりすることが生活の中心だった。
その中心に位置していたのが、長崎屋の7階に設置されていたゲームコーナーだった。
このゲームコーナーは、メダルとお金でゲームが出来るようになっていてメダルを増やして貯めることやゲームをすることができたので、ポーカーと花札と麻雀とルーレットのゲーム機が置かれていてメダルを増やすことに熱中していた。
ベースは、100円玉をスロットル代に入れてメダルに好感すると1ゲームのおまけがあったのでうまくすると14枚とか10枚とかの払い出しがあり少し楽しめた。
この頃はお小遣いを貰っていなかったので、友達に奢って貰うことが多かった。
一緒に遊んでいる奴からゲームセンターの掃除を手伝えば500円貰えるということを教えてもらったことで、暇さえあればゲームセンターに行って掃除をして小遣いを稼いでいた。
このゲームセンターでシェパードを飼っていて朝店を開けると犬の糞が産卵していた・・・今考えるととんでもないことをしていたな~と、思っている。
この当為に小遣い稼ぎをするよりも勉強をしていればもっと違った人生になっていたはずだった・・・
中学校の時にキャプテン翼やかっとび一斗の影響でサッカー部に入りたかったのだが、僕がいた中学校には、サッカー部が存在していなかった。
仕方がないので野球部に入りグローブとスパイクを母親に買ってもらったのだが、特に体を鍛えていた訳でもなく野球部にいた訳でもなかったので身体能力が低く自分の能力のなさに早々に気付かされることになりキャッチャーミットを使わずに補給をしてしまい自分の能力の限界を知ることになり野球というものが嫌いになったのであった。
中学校の時の目標は、新潟県立高田工業高等学校の建築科に入学することが希望だったのであるが、
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