なぜ私が19歳で海外に就職しようと思ったのか?
まずはそこからお伝えしましょう^ ^
私は16歳の時、高校の交換留学制度を使ってタイに1年間留学しました。
その経験が、タイが大好きになるきっかけになったんです!
1年の留学が終わっても、私のタイ語はまだまだ日常会話程度。
もっともっと上達させたいなと思いつつ、英語が全く話せなかった私は、高校卒業後、英語の専門学校へ進学する。
1年間の専門学校だったため、卒業後は留学へ進む人、社会人へと進む人とみんなそれぞれの選択でした。
私は卒業したら、好きな事をしながらお金を貯めて、アメリカにでも留学しようかなと考えていた卒業目前。
せりーな!(専門時代はニックネームが付いていた。私のイングリッシュネーム。)
ある日先生に呼び止められた。
とあるホテル関係の人から、今フィリピンとタイのホテルでスタッフを探しているとの事。
せりーなはタイ語が話せるし、お客さんも外国人が多いみたいだから両方の語学のスキルアップになるんじゃないかな?
そう言われた。
え、そんな事思ってもみなかったよ~。
「先生、とりあえず考えてみますね!」
そう言ってあまり深く考えなかった。
その事をお母さんに話したら、
「その機会とっても良いじゃない!
面接だけ受けてみたら?」
と軽い気持ちで言われた。
その頃の私は卒業目前で、卒業論文スピーチに追われていた…
論文発表を全て暗記して、しかも英語でしなければならないからかなり辛い…
パワポやBGM、照明などの演出は全て自分プロデュースなのです。
今思えばこれが1年に2回もあったなんて、良く全てこなせたよなって思います。笑
そんなめちゃめちゃ忙しい中、
「とりあえず面接受けてみなよ~」
というお母さんの軽い言葉に乗せられ、面接を受けることに。
いよいよ面接の日。
面接は某ホテルのカフェで行われ、現地ホテルのタイ人男性、セールス&マーケティング部長とそのホテルのマーケティングコンサルを日本で行なっている日本人男性と3人でした。
さすがタイ?なのか、
面接で緊張してるのに、ホットコーヒーとショートケーキを頼んでくれた。
…………………。
あの~…緊張してるし、マナーもあるからケーキもコーヒーも食べれないし、飲めないんですけど。汗
結局ホットコーヒーはぬるくなり、
ショートケーキも若干カピカピになってしまったが、最後に美味しく頂きました。笑
この2人は私のことを気に入ってくれたけど、最終的に私を採用するかどうかはオーナーが決めるので返事を待つことに………と思っていた矢先。
はい、今日は遠くまで出て来てもらってありがとう。
これ、帰りの片道新幹線代出してあげるね。
因みに採用決定だから、4月から宜しくね!
!!!!!!!!!!( ゚д゚)
え、答えだすの早くないっ?!
ってか採用されたのも嬉しいけど、
おまけに新幹線代貰えたのめっちゃ嬉かった!わーい!笑笑
実はこの日は専門学校がある鹿児島から、バスで福岡まで出て来てたんです。
なぜ東京出身の子が鹿児島の専門学校へわざわざ逆上京したのか…?
そこはまた話が長くなるので今度お話ししますね。
帰りのバスも既に予約していた私は、結局そのままバスで帰りました!笑
なので新幹線代が学生時代には嬉しいお小遣いになったのです。
本当は軽い気持ちで受けた面接。
でも面接準備をしているうちに、
本当にこのホテルで働きたいなと強く感じていました。
受かった時は嬉しすぎて嬉しすぎて、
神様に心から感謝しました!
ヤッターーーー!!!
そして背中を押してくれたお母さん、家族、学校の先生に報告。
正直その瞬間なんて、卒業論文スピーチなんてどうでも良いやって思ってしまった。笑
その後、卒業論文スピーチも無事に終わり、卒業。
私の専門学生時代は、不安と緊張で始まりましたが、とても素敵な機会を最後の最後にプレゼントしてくれた。
それは就職先だけではなく、
自分が一生懸命頑張った暁に、
沢山得られたものがあり、成長する事が出来ました。
本当に心から感謝。
そしてこの専門学校を心からみんなにオススメしたい。
だって大学4年間で勉強することを凝縮して1年間でみっちりやるプログラムですもの。
学校のスケジュールが忙しくても、年に2回の英論文スピーチの舞台があるし、そんな中でも英語レベル0の私が1番下のクラスからどんどんレベルアップし、英検も2種類2回受けて1発合格。
だから4年間バイトに明け暮れて、サークル行って勉強しない様なムダな生活を送るよりはよっぽどお得だし、目標達成への最短の道なのです。
こうして卒業した3月。
卒業と共にすぐに東京へ帰り、
毎日、渋谷にある、この仕事を紹介してくれたホテルのマーケティングコンサルをしている会社へ、
ホテルの勉強をしに1ヶ月通いました。
そして同月、いよいよタイへ入国。
タイは留学以来行っていなかったので、2年ぶりでした。
なんだかとっても新鮮な気持ち。
そして降り立った地、プーケット。
留学の地ではない場所はとても不安で緊張しました…
空港に着くと、ドライバーが迎えに来てました。
私の名前を書いたサインボードを持って。
車に乗った後、心配性な私は、
「もしこの人の持っているサインボードが偽物で人身売買やレイプをされたらどうしよう…」
そんな事を考えつつ1時間も北に走ると、そこは手つかずの大自然が残った秘境の地カオラックに着いた。
そう、ここが私が2年半も生活し、
今の夫くんと出会ったパワースポットです。
そしてホテルに到着、
チェックインすると…
そこで出迎えてくれたのは笑顔が爽やかなタイ人男性のフロントチーム。
あぁ、癒される。
そして夜だったので、ライトアップがオレンジ色に光って本当にお城みたいで綺麗だった!
その日はホテルの客室に泊まらせてくれました。
最初の1泊であとは寮に移るのかと思っていたら…
1週間、1ヶ月、最終的に6ヶ月…
え。4.5つ星のホテルに住んでたのっ?!
はい。そうなんです。
毎日ベットメイキングが入り、
ウォーターボトルも入れてくれていました。
まるでお姫様でしたわよ。笑
申し訳ないけど、チップはたまにしかあげませんでしたが…汗
想像していた以上に、
とても綺麗で、素敵で、
これなら3年でも5年でもずっと働きたいなって思った。
そんな不思議な魔法の力を持つリゾートホテルは本当にすごいなと思いました。
今でも初日の事は鮮明に覚えてるのでこうして記事に書けます。
タイが久しぶりすぎて、タイ語片言しか話せませんって感じだったけど、
実はヒアリングは衰えてなかった。
部屋に案内してくれたベルボーイ君が、部屋に入る時に、
「チューンクラップ、ジャオイン」
と言いました。
きゃ~!!!\(//∇//)\
タイ語わかる人にしかわからないよね~…
「どうぞ、お姫様」って言った!
まじ、やばーい!( ゚д゚)
と心の中で本当は絶叫したが、
タイ語がわからなかったというていで、
お休みと言ってバイバイしました。笑
私って意外と小悪魔…
タイ人の男って簡単にこう言う事言いますからね、慣れてないヤマトナデシコは気をつけてくださいませ。
私の経験から、タイ人の男性とは付き合わない事をお勧めします。
彼らは、「あなた」に惚れるのではなく、「日本人の女性」という一つのブランドに憧れてアプローチして来るだけです。
本当に心から好きなら、感情をすぐに表さず、行動で示すでしょう。
そして1番の優先はあなたになるはず。
多くのタイ人男性を見て来ましたが、みんな結構ヒモになりたがります。
とりあえずレイジーな奴らが多いです。
あ、すごい一生懸命働いてるなって思うと、
あれま、タイ人ではなくミャンマー人だった!って事は日常茶飯事でございます。
実はタイでは歴史的関係から、
ミャンマー人は見下され、差別されています。
同じ勤務時間と仕事をこなしているのに、お給料が低かったり、産休がなかったり、スタッフ寮がミャンマー人専用の隔離された寮だったり。
本当にこの差別はありえないなと思います。
そんな環境だからこそ、彼らを強くしたのかもしれません。
ミャンマー人の方がとっても働き屋さんなので、タイ人より評価を高くできます。
どんなに頑張って仕事をしても、仕事ができる人でも、ミャンマー人が高い役職に着く事はほとんどと言っていいほどないです。
そして高い役職に着けば、タイ人から嫌がらせを受けます。
なんて酷い差別なんでしょう。
私も一度嘔吐と熱でひどく体調が悪く、病院の救急に入ったら、
なまっていたタイ語のせいか、
「ミャンマー人だったらこれくらいの症状で救急になんか来るな!」
と言われたことがあります。
めっちゃイラついたので、
「私はミャンマー人じゃなくて、日本人なんですけど。」
って言ったら、日本人をリスペクトしているタイ人は、あっ、すいませんでしたとすぐに謝りました。
サイテーだな。
人種が違えども、同じ人なのになぜ困っている人を助けない。
本当にひどく嫌な思いでした。
かなり話が脱線してしまったのですが、
そんなスタートを切り、
私のカオラックでの生活が始まりました。
リゾートホテルは4.5つ星の東南アジアをコンセプトにした作りでかなり雰囲気が良いです。
そしてビーチに面している敷地と、
町にも徒歩圏内でアクセスできる良いロケーションが魅力のホテルで、
ご飯も最高に美味しかったです。
タイのホテルは、
実はタイ語が話せなくても、日本語と英語が話せれば経験がなくてもすぐに採用してくれます。
もちろん、ビザ関係、往復の飛行機と車の送迎、食事1日3食、宿泊施設の他に保険もきちんと出してくれます。
保険で効かない部分も会社負担してくれます。
因みにタイは、病気になった時にお医者さんにドクターサティフィケイトを発行してくださいと伝えると、診断書を出してくれて、それが会社を病欠できるチケットとなります。
もちろんこのチケットがあるから、自分の有休などを消化せずに済むので日本も絶対に取り入れた方がいいと思う。
これらのベネフィットの他にも、
私は月15000円分、ホテルのレストランで食べ飲み放題できるクレジットが与えられてました。
これは私が社員食堂で辛いものが食べれない時や、お友達や家族が来た時に使わせてもらってました。
ほぼ毎日の朝食はビュッフェ食べてたなぁ~。リッチでした。
しかもなんと引かれる額は、
原価であって販売価格ではないのでかなり食べれちゃうんです!
1ヶ月で使い切る事がむしろ難しいくらいでした。(*´Д`*)
本当に良い思いさせてもらってたなぁと感謝。
でもココで忘れちゃいけないのがお給料です。
お給料は日本の3分の1程ですから、
かなり安いです。
その代わりの高ベネフィットなんですよ。
なのでお友達や家族が来た時に、
振舞ってあげてたので自分の株も上がったよね~。
こういう時に使わせていただかないとっ!笑
こんな風に至れり尽くせりだなって思うかもしれません。
でも実はそんな事ないんです。
カオラックは秘境の地すぎて、
私以外にもう一件のホテルに2名の日本人スタッフがいるだけで、私のホテルには日本人1人だけ。
そして未経験で入社したので右も左も分からない。
私の直の上司はスイス人でしたが、
その人は中々の癖があってあまり優しい人ではありませんでした。
「見て覚えなさい。」
そんな感じです。
えぇ~。。。(*´Д`*)
でもヨーロッパ人って冷めてる人が多いからしょうがないのかも。
そんな中、私と同じ時期に入って来たアシスタントフロントオフィスマネージャーと意気投合し、仲良くなりました。
彼女はバイクを持っていたので、
色々なところに連れて行ってくれました。
秘境の地で生活をする知恵として、
バイクか車を持っている人と仲良くすると色んなところに連れて行ってもらえるから本当に得です。
実行しましょう。笑
そんなこんなで、仕事も手探りで自分なりに効率よくする策を生み出したり、カオラックの生活にも少しず慣れて来た頃。
他のホテルで働いている唯一の日本人2人が続くように辞めて行きました。
私は数回ご飯を食べに行ったりした事があり、面識があっていつも頼りにしていたのに。。。
悲しいことに、私には何も言わずに去って行った。
この事が本当に心からショックで仕方なかった。
タイに住んでる日本人は、
実は自分のことで頭がいっぱいなんですね。
だからあんまり他人に関与しないと言うか、そう言う面で優しくないです。
だからこそ私は今度新しい日本人が来たらなるべく自分から積極的に仲良くなって、励ましてあげよう、支えてあげようと決めました。
後に、そのホテルに新しい1名のスタッフと、私が辞める前に2名のスタッフに丁寧に仕事とカオラックの事を教え、サポートしました。
自分がやられて嫌だったことは、
私は絶対に他人にしない。
これは本当に守り続けています。
カオラックに住んで半年が経ちました。
ここから私の生活はガラッと変わり、
悲しい悲劇の始まりです。
アシスタントフロントオフィスマネージャーがドイツ人の彼氏に会いに、1ヶ月も仕事を休み、
フロントオフィスマネージャーのスイス人上司は、ローシーズンになると毎年自分の国へ6ヶ月帰国すると言うことで不在。
その間、上司がいないまま仕事をしなければなりませんでした。
そもそもこんな状況を許してしまうマネージメントチームにクレームを言いたい。
すると………なんだ???
おかしい。
次々とスタッフが辞めていくではないですか。
えっ?なんで?
薄々気づいてはいたのですが、今まで仲良くフロントチームは仕事して来たのに、急に不満だらけの部署になっていたようです。
原因は、タイ人のアシスタントフロントオフィスマネージャー。
性格がヨーロッパ人系だったため物事をハッキリ言うんです。
タイ人はハッキリと注意されたり、人前で怒られたりするとそれが物凄い恥となり逆ギレするのです。
部下の扱い方が下手だったようで、
ベルボーイからフロントスタッフみんなストライキ。
仕事に来るも、サボりだして、
残されたのは私とタイ語の話せないフィリピン人のみ。
その間、結構忙しくて…
泣きそうになった。
フィリピン人の子はタイ語がわからないから何が起きてるのか、異変にすらも気づかない。
めっちゃストレスでした。
その後、話し合いの結果、
私の仲の良かったアシスタントフロントオフィスマネージャーは去りました。
何十人対彼女1人だったら勝ち目ないよね…
そして後を追うように、
フロントオフィスマネージャーのスイス人の彼女も、辞めてスイスに帰って行きました。
どうして?
私の仲の良かった人を取らないで。
心が空っぽになったし、今までみんな仲よかったのにそれが原因で、フロントの仲の良かった子達もみんな辞めて行った。
辞めて行って、残されたのは私と数人のスタッフ。
残された人たちの仕事負担がやば過ぎて、本当に私も辞めたいって思いました。
日本人ゲストリレーションとして働いていた私は、フロントのカウンターの仕事もしなければならなくなった。
朝もお昼も食べれない時が続いたし、
社員食堂のご飯が辛すぎて食べれず、
白いご飯にゆで卵2個なんて日もありました。
あぁ、本当に可哀想な私。
それからと言うもの、仕事仲間とはあまり深入りしないようになった。
もし深入りして辞められたら、悲しくて悲しくて、メンタルが持たない。
タイでは最低でも3年働かないと次の仕事に影響する。なんて事は考えません。
お給料や仕事がないとかそう言う不安よりも、幸せじゃなくなった時の不安の方が大きいのです。
幸せでいられれば、収入が低くても我慢できる。
収入より幸せが大きいんです。
それからしばらくして、
新しくゲストリレーション部署ができたため、私も移動。
5つ星のホテルから、私の上司、ゲストリレーションマネージャーが来ました。
後に彼女とも仲良くなり、
お母さんと娘の様な関係を築くことが出来ました。
丁度辛いことが色々あった時期に、出会ったのが今の夫くんです。
彼との出会いはお友達の紹介なのですが、その時期に出会ったのがまた良かったのかもしれません。
彼との出会いは、またこれもロングストーリーなので別に書きます。
ホテルで働き始めてから1年が経った時。
契約更新をホテルから言われていて、あと5年はいなよって言われました。
元々ホテルに興味があったわけでもなかったので、1年で帰ろうと思っていましたが、夫くんと付き合い始めだったこともあり離れたくなかったのと、2年目はまた新しい環境になるだろうと思い継続。
でもやっぱり今までずっと秘境の地に閉じ込められていたので、遊びに行きたい初動を抑えきれなくなり、お願いをして約4ヶ月も休むことに。
4ヶ月も休めるなんてめちゃめちゃ嬉しかったです!\(//∇//)\
何をしたかと言うと、、、
留学時代のホームステイ先や学校、お友達に会いにプラチュアップキリカンへ。
そしてバンコクへ行き、友達と会い、紹介してもらった友達へ会いにイサーンへ行ったり、陸路でラオスやカンボジアに遊びに行きました。
その時思ったのが、1人でバックパッカーは向いてないなと思いました。
私結構積極的なのですが…
寂しがりやで心配性なので、海外では余計にめちゃめちゃ警戒してしまうんです。
でも1人で友達に会いに行ったりするのはとても大好きです。
夫くんとも一緒にバンコクとチェンマイへ旅行しましたし、彼の実家へ遊びにインド、アッサムまで行きました。
色んなエピソードは旅に出るから得られるもの。
私ももう少し大人になったら一人旅も怖くなくなるかなと思います。
それから日本へ帰って、楽しい思いをした後に、2年目の勤務が始まったのです。
日本人1人という環境の中、右も左も分からない未経験の私が19歳でその世界に飛び込んで行った。
それについては自分でも褒めてやりたいくらい勇気を出して頑張ったなと思います。
全てが初めてだったから、辛いことも沢山あったけど、それ以上に楽しめたし、世界中の色んな人と出会い、成長できたなと思います。
タイやミャンマー、フィリピン、スイス、ベルギー、中国人の仕事仲間の他に、お客様は全世界から来られるので、本当色んな方とお友達になりました。
やっぱりストレスだったりした時は、尿管結石や結膜炎になったりしたこともあって心細かったりすることも多々ありました…
そんな時に支えてくれるパートナーがいるってやっぱりとっても大きかったと思います。
本当にありがとう、夫くん。
タイ人の社会で生活して行く時に必ず必要なコツ。
それはとりあえず彼らのペースに合わせる。
比較的、日本人と似ているところがあるのでそんなにひどく違和感などは感じませんが、彼らはグループで行動します。
トイレに行くのも一緒だったり、
お揃いのものを買ったり、
流行りがあったらその流行りに乗る。
例えば仕事中に、彼らが携帯をいじって自撮りやFacebookで遊んでいても、自分が上司でない限りは注意しない。
同じ役職または年下や同年代の子から言われると全く話を聞きません。
フィリピン人も同じ。
そういう場合は、見て見ぬ振りをして、たまにその自撮りやFacebookをいじったりしてるところに参加すると仲間意識を高めてくれて、何かと有利なのです。
それが嫌だなと思っても、それが彼らの当たり前なので自分の見方と接し方を変えることに限ります。
それとタイに住んでる外国人で多いのは、タイの文化を全く受け入れない人。
何年もタイに住んでいるのに、タイ語を学ぼうとしない、タイの文化や習慣、国民性を否定し、自分の固定概念を押し付けようとする人沢山いるんですね。
これはめちゃめちゃタブーです。
タイに住まわせてもらっているのだから、タイに合わせて当然です。
タイの文化やタイ人に敬意を払うと自然と相手も敬意を払ってくれます。
ココかなり大きなポイント。
タイに長年住んでいて、タイ人の友達がいなかったりするのは、このポイントを改善すれば絶対見直してくれる。
どこの国でもそうですが、一生懸命な姿って誰か必ず見ているんです。
私は一生懸命な姿をなるべく上司や上のポジションの人に見せて、仲良くなり、色んなベネフィットを得ることができました!
要は、上の人が自分のことをどれだけ可愛がってくれるかによって待遇も違いますし、生活が豊かになります。
これは本当に生きて行く上でどこでも使えるテクニックなのでぜひ実践して見てください!
私は次女なので、2番目に生まれた人は日常生活の中でそういう事が自然とうまいかもしれません。
それと私が仕事をしていて思ったのは、全て完璧にやろうとしない事。
それはお給料が低いので、労働力とお給料が見合わないという事もあるし、何より仕事が凄く出来てしまうと逆に同じ役職の同い年の子から妬まれます。汗
結構難しいんですよね~。
私も一時期めっちゃ頑張って仕事してました。
私がやらなきゃしっかりしなきゃって、変に自分だけ責任感強く感じて自分を傷つけてましたね。
でもある日気づきました。
自分がこんなに頑張って、一生懸命働いても、私の周りはそんな努力に気づかないし、変わらない。
しかも私がいなくてもなんとかやってるから、別に自分だけ頑張らなくても良いじゃん。
って思った時から完璧主義をやめました。とっても楽になりました。
自分1人で全部やらなきゃ!っていう考えも捨て、手伝って欲しい時は周りに言う。
そうする事で、頼られてると思うタイ人とも仲良くなれるし、自分の仕事も負担軽減する。
多国籍の人たちと一緒に仕事をするってことは、本当に当たり前が当たり前ではないので、ホスピタリティーの面でもとっても考え方の違いに苦労します。
ここまで長々と書いてきましたが、
結果的にタイのビーチリゾートで働くと言うことは良いのか悪いのか?
その答えは「良い!」です。
若い頃に経験を積みたいという方や、
ホテルでの経験はあるけど、数年間だけ海外で経験を積んでみたい!という人にはお勧めします。
ホテル業界は、海外で経験を積んだ方が上のポジションに早く昇進出来ますし、日本に帰って来た時に更に上のポジションにつくことが可能です。
ショートカットの方法があるんです。
海外で生活、そして働くということは容易なことではありません。
メンタルが強くないと生きていけません。
本当に毎晩泣いた様に、日本人1人の環境だと自分の気持ちを誰にもシェアする事が出来ずに辛い時も沢山ありました。
でもそれよりもタイのビーチリゾートで日本人ゲストリレーションとして働くことは、自分が想像していた以上に需要があり、お客様から頼られました。
リピーターのお客様が帰ってきてくれた時の喜び、カオラックでプロポーズされましたって報告を頂いた時、リピーター夫婦がまた帰ってきた時にはもう1人新しい命が加わっていたり…。
本当に人それぞれのストーリーが私を喜ばせてくれました。
結果私はこのお仕事ができて良かったのです。
ちゃんと素敵な大人にも成長できました。笑
タイのホテルでの外国人採用は、基本的に契約1年または2年です。
それは契約社員ということではなく、雇用するにあたって交通費などのベネフィットを払っているので急にやめられないように書面上での保証です。
でも実際途中で辞めても、特に違約金が発生するわけでもないので安心ください。
日本から採用されてきた日本人はこの書面があるため、途中でやめることはあまりないです。
現地採用になると、現地で経験のある日本人はそのことを知っているので簡単に辞めて行きますがね…
ホテル業でスキルアップをしたいと思ってない方には、長期間勤務は私的にはお勧めしません。
短期間で経験を積むという意味では、タイのリゾートホテルで働くことはかなり色んな意味で得だと思いますよ!^_^
みなさんも海外で働こうと思ってるなら、思ったその時が吉です!
その時に得たチャンスを絶対に逃さないでください。
悩むより行動する。
人生、先に何が待ってるかはわかりません。
私は結果的に、興味のあったものにチャレンジしてみたら仕事と、他では得られない経験の数々を身につけました。
そして何より、生涯を共にするパートナーもゲットして帰国。
私と同じような経験をした沢山の日本人女性は、私のように外国人パートナーを日本へお持ち帰りしてます。笑
だから珍しいことではないんですね。
ただ、ちゃんとしたパートナーを見極めることはとても大事ですが…。
さて、ここまで長いストーリーを最後まで読んで頂きありがとうございました!
誰かの何かのきっかけになればとっても嬉しいです。
タイでの仕事を辞めて今は何をしているかって?
現在は日本で最愛の夫くんと共に過ごしております。
でもやっぱり観光業が大好きなので、それに携わっている仕事をしてます。
夢は夫くんと一緒に観光ビジネスをすること!
絶対に叶えてみせますし、若女将になってみせます!(^^)


