バークリーには、
実に様々なレベルの学生がいます。
そもそも、
ミュージックビジネスや、音楽教育、音楽療法、エンジニア、など、
プレーヤー志望でない人も沢山いるので、
そういう人たちは、何もそこまで演奏技術がなくても良いわけなので、楽器や歌の技術と言う意味でのレベルは本当に様々です。
そして、私のように、
自分のレベルはさておき、
「バークリーに来ればなんとかなる!!」
と言う、
超絶他力本願な人も、少なからずいるのではないかと思います(^^;;
私は、
「自由の国」での学び方について全く無計画、無知で、
本当に、「バークリーに行けばなんとかなる」と思ってました。
授業の取り方から、もうカオス。
『履修要項』って言う分厚い冊子は、暗号同然に、
何が書いてあるかわからなかった((((;゚Д゚)))))))
もう、ボストンに着いて数日で、英語力のなさに打ちひしがれたのでした。
訳がわからなくても怒涛の様に、
校内でのレクリエーションとか、銀行口座開設とか、着いて1週間で予約してたドミトリーを出なきゃ行けなかったので、住むアパートを探さなきゃだったりとか、
とにかく、この着いて1週間で、
爪がね、
そう、
爪が、ボロボロに脆くなったんです。
身体と精神不安って繋がってるんだなーって、
思いました。
私の場合、特にボストンに着いて3日間くらいで数年分老けたと思います..
今思うと、多少お金がかかっても、英語のプレスクールに行くべきでした。
専門課程の授業が始まる前の数ヶ月で、英語での生活をし、時差ボケなどを修正、身体を異国に慣らすことや、
まして、海外旅行もろくにした事がなかった私のような人は、
一通りの失敗や経験を積んで(学校以外の!)
スーパーマーケットで食料品を買ったり電車に乗ったり、住む部屋を契約するとか、部屋に電話を引くとか、窓にカーテンかブラインドを付ける、とか...これ全て私がまずつまづいた事ですが、
そう言う事をやる時間をしっかり取って、
やっと生活が落ち着いてきたところで授業が始まるくらいでないと、
ほんっとに凄まじく大変な事になります。
セメスター(一学期)の半分くらい、白目で過ごす事になります。
私は、
とにかく、アメリカに渡る直前になって、
今行くべきか?を悩み始めてしまいまして、
(多分、オーディションに受かった辺りで、だいぶ満足してしまったのだと思う)
でも、とにかく決意したのだからと、
自分を、半強制的にアメリカに送り込んだ、みたいな状態で(^^;;
ほんっとに、行けばなんとかなると思って、なんの準備もままならないま、無知無謀な状態で、学校が始まる3日前くらいにボストンに着いたので、
かなり、
そう、
かなりのアメリカの洗礼を受けました。
まず、
空港に着いてすぐその洗礼はやって来ました。
引っ越し同然の、生活の全てが入ったスーツケースがない。
手荷物受取所で、待てど暮らせど
回ってこない。
最後に私だけが残りました。
迎えに来るはずだった、唯一頼れる日本人の知り合いの迎えも来ない。
英語もほとんど喋れないし、話しかけても、
今日はもう遅いから明日もう一度来いみたいな事早口で言われ、
他はなに言ってるかわけわからない。
海外での公衆電話のかけ方も知りませんでした。
今思い出しても、心細くて泣けてくる...(;ω;)
初めてのボストン、初めてのアメリカの洗礼でした。
旅慣れている人は、
トランジットで飛行機に荷物が間に合わず載らない事もある事、
を知っていたかも知れませんが...
海外旅行など、一度ツアーで経験しただけの私にとっては、かなりのパニックでした。
着いたら泊まる予定になっているドミトリーに、既に滞在している日本人の知り合いが迎えに来てくれる事になっていたのに、来てない。
「なんとか彼女に電話しよう、そしてこの危機をなんとか乗り越えなければ!」
高額紙幣しか持っていなかった私は(日本で忘れずに、小銭や少額紙幣に両替しましょう!!)
とにかく今何とかして一本電話をかけるための小銭が要るのだ!と、
何カウンターだったかわかりませんが
カウンターの中の人に頼みました。
ちょっとビックリした感じで、お札を小銭に代えてくれ、
親切に、電話にはこのコインを使うのよ、と教えてくれた。
今はもうスマホや携帯、
空港にはフリーのwifiもあるし...困ることは無さそうですね。
この10数年で時代は激変ですね(^^;;
通称、クオターと呼ばれる25セント硬貨を握りしめ、
何とかその友人に電話をかけ、話す事が出来ました。
関西弁の彼女は携帯をもっており!
電話に出るなり、
「ごめんなー、友達の引っ越し手伝う事になって今友達んとこにおって、行かれなくなってー!タクシー拾って来てー」
ほんまかいな(°_°)
とエセ関西弁で突っ込みたくなりました。
海外でタクシーなんか乗った事ないし!
なんか治安もよく無さそうだし、
怖いじゃないのー(;ω;)
だからあれほど頼んで迎えに来てもらえるようお願いしてたのに_| ̄|○
どこか変なところに連れ込まれたらどうしてくれんのよー!!と心で叫び、
しかし電話口では、大人を装い(友達は深夜でかなり面倒くさそうだったし、今思うと、タクシー代を出すのがきつかったんだと思う)
恐る恐るタクシー乗り場へ向かおうとして、
諦めきれず、もう一度荷物ピックアップの場所へ行ってみたら、
私の荷物がポツーンと2つだけ回っているではありませんか!!
どうやら、両替したり、電話したり、すったもんだしているうちに、次の便(最終便)が着いて、それに載って来ていた様で、
既に他の方のピックアップは終了していて、
私の荷物2つだけがずっと回り続けてたみたいでした。
よかったー!ヽ(;▽;)ノ
もし友達迎えに来てて、すんなり帰れてたら、
荷物は受け取り主がいないまま、回り続けていた事でしょう。
しかもそれを逃してたら、多分受け取りは数日先になったであろうと思われる状況でしたので、
なんだかんだで、空港に居たことがピックアップアップに繋がったので..
まあ良かったのかな?
慌てて私のですー!!!と言わんばかりにピックアップ!!
大きいスーツケースを引きずった私の周辺には、途端にタクシーの運転手らしき人達が群がって来ました。
俺のに乗れ、いや、俺の客だ、みたいな....
やっぱり、
怖いー!!(;ω;)
その一瞬、友達を恨んだのは言うまでもありません。
ただ、もー、とにかく疲れていたし、
ぼったくられたって構わない!
とにかく私をドミトリーまで連れて行ってくれ!
と言う一心で、
1番良い人そうな人のタクシーに乗りこみ住所を告げました。
通常いくら位なのか、
おおよその距離とかもちろん道のりも、
ぜんっぜんわかりません。
ぼったくられたとしても、幸いな事に?気づきません(^^;
とにかく早く宿に着きたかった。
36ドルくらいだったかなー、
ローガン空港から、ボストン市内まで。
これって妥当な金額ですかね?誰か教えて(^^;
やっとの思いで、なんとか本日眠れる場所に到着、受付に行ったら、窓口に
「For Kaori 」って書かれたメモに、部屋番号が書かれていて、セロテープで鍵が貼り付けてあった。
日本だったら考えられないことですけど、
着いたのが深夜だったし、ま、仕方ないか!
と、メモと鍵を持って、1人で二階の部屋へ向かいました。
ドミトリーは通常、数人で一部屋に泊まる方が安いのですが、旅の疲れを癒したかったし、少し奮発して、個室(studio)を1週間借りていました。
二階の廊下の突き当たりの部屋の鍵穴に鍵を差し込みました。
「やっと寝れる.....」
日本を発って、トランジットも入れると既に20時間近く経っていました。
フライトの間ずーっとメソメソ泣いていたので、瞼は重たく、身体や精神の疲れも限界でした。
しかし、
鍵が回りません。
何度差し込んでみても。
????
どうやら、渡された部屋の鍵が間違っているか、メモに書かれた部屋番号が違うか、
どっちかはわかりませんが、
い、ず、れ、に、し、て、も!
部屋に入れない(;ω;)
窓口閉まってるし(;ω;)(;ω;)
バッゲジロスト?に続く、
第2のアメリカの洗礼でした。
とにかく、一階の窓口付近に緊急連絡先などの情報がないか、コンタクトの糸口を探りました。
人がいる気配はありません。
地下に続くような階段があったので、
そこにいってみようとすると、偶然1人の女性に出くわしました。
部屋の鍵が間違っているようで、今着いた所なのに部屋に入れないんだ、と説明した所、
その女性、たまたまその場にいた、食事を作る担当のドミトリーのスタッフだったのです!
「いつもは私居ないんだけど、あなた運がいいわね」
とか何とか言われながら、
スペアキーを探してくれ
「スペアだから無くさないでね」と言われ、鍵を受け取りました。
やっとだ!
今度こそこれでやっと部屋に入れる!
休めるーー!!ヽ(;▽;)ノ
部屋は、こじんまりした一部屋に広いバスルームが着いた可愛らしい部屋でした。
ここからボストンでの、
バークリーでの生活が始まるんだ。
やっと少し実感が湧いて来ました。
とにかくシャワーでも浴びて、
今日はもう寝よう。
色々起こりすぎたし、疲れ切った。
バスルームで
お湯がちゃんと出ることを確認して、
服を脱ごうとして、
あ、
バスタオル持って来ておこう!と、はたと思い、
今さっきまで居た部屋のドアノブをひね、ろうとしたら、
ひねれ、ない。
何故?
何故?何故?
皆さん、
アメリカのアパートって、
各部屋ごとに閉まると勝手にドアに鍵がかかるようになっているの、知っていますか?防犯の為かな?
私は、知りませんでした。
アメリカの学生は、鍵のついたキーホルダーをジャラジャラ腰にぶら下げている子が多くいます。
あれは、オシャレではなく、
「常に自分と鍵とが離れないようにするため」なんです。
インナーロックを防ぐ為に.........
まさかバスルームと、部屋との間のドアに鍵がかかるとは。
全ての荷物を部屋に入れたままのインナーロック。
そしてそのキーは「スペアキーだから無くさないでね」(翻訳:代わりの鍵はもうないからね)と言われたばかり。
バスルームでしばし立ち尽くしました。
アメリカの洗礼は、
容赦ないな、と。
服を脱いで素っ裸でバスルームに向かわなかった事、が、
今思うと、アメリカの神のご加護だったのだな、と思われます....
to be continued...,