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17/6/18

アルコール依存になりかけの話

Image by Olia Gozha

私はアルコール依存予備軍だ。大学時代には大学四年の最後の一年間で4回ほどアルコールの過剰摂取で救急搬送された事がある。吐いて潰れた時の事も含めれば、何回になるかはわからない。

社会人になった今でも、時折タガが外れるまで飲もうとする。休日の真昼間から1人酒することもある。そのことについて周りから非難される事もしばしばある。それでも止められない。止めなきゃなぁと思う事もある。それでも止められない。


お酒を飲むと、苦しいことを全部忘れられるからだ。何もかも、いつだって胸に巣くっている鬱屈とした感情が見えなくなって、高揚感に包まれる。「なんでこんなに駄目なんだろう」「人様に迷惑しかかけていない」「生まれてこなければよかったのに」「早く消えられたらいいのに」そういった言葉が霧散する。


そして、自分の望む「消えたい」という想いにギリギリまで近づく。お酒を飲んで救急搬送された時、周りが慌てる中私の心中はだいたい至って穏やかだ。

「ああ、やっと終わる」

ゆっくりと息を吐き、静かに目を閉じる。そして数時間後には生還してしまう。
一度だけ、搬送中に、暗闇の中に明かりが見えた事がある。小さいその明かりを消そうとしたら、救急車の中の機械が甲高い音を立てた。隊員の方に「息をしてください」と何度も声をかけられたので、きっとあれが、命の灯とかそういうものなのだと思う。


なんでそんなに飲むのかと言われたら、辛いからだ。生きるのが辛い。自分が生きている意味がよくわからない。そんな鬱屈とした考えになったのは、機能不全の家族を支え続けた学生時代からかもしれない。父は躁鬱病で、母は不治の病の多発性硬化症にその他病持ち、妹は川崎病に不登校だった。家族の面倒を見れる人間なんて私しかいない。その上、塾のお金を出してくれやら本を買いたいやら言えるような経済状態ではないため、必死にアルバイトをする必要があった。高校でそれが原因で一回心がぽっきり折れた。折れた心を薬で戻して行く生活になった。自分が情けなかった。


どうにかして大学に入ると、学費のためのアルバイト、サークル活動、親のカウンセリング、大学の勉強の4つを同時並行的にこなす生活になった。高校の時よか要領はよくなったが、それでも限られた時間の中でその4つをこなしていくのは非常にハードだった。サークルを辞めればだいぶ楽になる事なんてわかっていたが、環境を理由にしてやりたいことを辞めたくなかった私は必死に取り組んだ。そんな生活の終盤、大学3年の後半でもう一回心が折れるとまではいかないが疲弊しきった。薬ではなくお酒に逃げるようになった。もう何もかもどうでもよかった。


いわゆる駄目人間なんだと自分でも思う。「自分がなりたい姿」に近づけない自分に劣等感を抱き続けて、完璧主義をこじらせて、それでいて人に頼るのが苦手な上に要領が悪く、またそこから劣等感に苛まれてストレスをためる。そのストレスのはけ口を全てお酒に求めている。


今その負のサイクルは社会人としての生活に表れつつある。何を思ったか、まあ思う所は色々あったのだが、私は営業職に就いた。そして「人に頼るのが苦手」なんていう私は壁にぶち当たって、また悩んで酒に逃げようとしている。


いつか、老衰ではなく、死ぬのかもしれない。アルコールなのか飛び降りなのか何が原因になるのかわからないが、なんとなくぼんやりそう思っている。大学4年、社会人になる前、数少ない大切な友人や諸先輩方に言われた一番多い言葉は「死なないでね」だった。周りからもそう見えるほどに、私は不安定なんだと思う。


お酒に逃げる人なんていたら、私は止める。自分がこれだから間違いなく止める。ただ、いまだに自分は止められない。止められる瞬間が来るのか、それともこのまま坂を転がり落ちるのか今の自分ではとてもじゃないがよくわからない。


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