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17/6/17

お金のことを何も知らないバカな美容師が独立するまで

Image by Olia Gozha





『全ては安易な気持ちからのスタートだった』


2012年12月



「僕、7月に中目黒で独立することにしました!」



当時、僕はフリーランス美容師として、

原宿のヘアサロンを間借りして活動していた。





友達の経営している

ヘアメイク事務所にも所属していたから

合わせればそれなりの収入もあった。




さらに時間はさかのぼる。




2010年12月1 日




「今日からお世話になる星川です!」



僕はこの日から原宿の

ヘアサロンを間借りして

フリーランス美容師を開始した。



心の声

‥‥1年フリーランスで力を試して、

再来年、独立してやるんだ‥‥



最初の半年間、ほぼ休み無しで働いた。



休みの日は経営セミナーに参加したり、



僕がまだ知らない技術セミナーにも参加した。



しかし、半年たつ頃には

すっかりセミナーにはいかなくなってしまった。



ある意味、フリーランスっていうのは

自由というドラッグのような要素があって、

自分を甘やかす中毒性のある生き方なのだ。




まだ何も成し遂げていないのに半年で満足した僕は



それ以降フリーランスとして毎日自由に暮らしていた。



空き時間はジムに行ったり、買い物に行ったり、

夜は彼女とご飯を食べに行ったり、

友達と飲みに行ったり、

とにかくなんの目的も無く

過ごしていくようになってしまった。



今考えると緊張の糸が切れてしまって

この生活でもいいやって思ってしまっていたんだと思う。



とにかくダラダラと毎日を過ごしていた。



そうなるとそこからは落ちていく一方である。



『メシアの降臨』




2012年11月



気がついたらフリーランスとして働き始めて、

2年が経っていた。


当初の予定ならとうに

独立しているはずなのに準備さえしていない。



自由というヤバイ薬にどっぷりと浸かっていた。



そんなんだから、貯金もそこそこにしかない状態。



こんなんじゃダメだと思いながら、

友達に誘われるがまま飲みに行って

お金を使う毎日を過ごしていた。



そんな年末のある日、メシアは突如現れる。


同じヘアメイクの現場で出会った僕よりも

だいぶ年下の女の子。



フリーランスで働いているという

可愛らしい女の子。



この子が僕の目を覚まさせてくれることになる。



ヘアメイクの仕事の休憩中。



「ホッシーみたいな美容師っていっぱいいるよね。」



当時の僕は、自分が特別な人間だと思っていた。



だからなんとなくそこにカチンときていた。



「はい?どのへんが??」



「毎日、同業者や同じような人たちとばっかりお酒を飲んで、

群れて傷の舐め合いしているバカ美容師」



心の声

…はぁ?なんでそんな事言われなきゃいけないんだよ。

お前になにがわかるんだよ!ボケ!…



この女の子、実はヘアメイクの他にもお店を

2つ経営している女の子で僕なんか

足元にもおよばないくらい稼いでいる。



どうやらガールズバーを経営しているらしく、

その流れでヘアメイクも仕事としてやっているらしい。



「ホッシーさぁ、一生、フリーランスでやってくつもり?

自分に足かせつけないで楽しければいいやって思って

毎日過ごして成長もしないでただ歳だけとってく人生って

本当に望んでる楽しい人生なの?」



うぅ。。。



なにもこの子には言い返せない。



そのまま話は流れてしまって、お互い仕事に戻る。



この時の悔しさは一生忘れないだろう。



それと同時に、ダメな僕を奮い立たせる魔法の言葉に感じた。



だから本当にありがとう。



君があの時、あの質問を僕にしてくれていなかったら



まだ独立していないと思う。



そして次の日かから30歳のうちに独立という目標を立てて

一念発起する事となる。




とはいえ、なにから始めたら良いのかわからない。




当時、貯金は150万円しかなかった。




こんなんで独立できるはずがない。




そうなるとやはり借り入れをしなければいけない。



僕はとりあえず、

日本政策金融公庫のホームページを見てみる事にした。



挿し絵入りで分かりやすく解説してくれている。



金融機関とは思えないアットホームなホームページ。



だけど

結果、良くわからなかった。




なのでとりあえず、電話してみよう!



そう思って、電話をかける。



「はい!日本政策金融公庫です」



受付の女性の明るい声



「あの〜、ご融資の件でお電話させていただいた次第でして。」



緊張し過ぎて、訳の分からない日本語が発動



「はい!かしこまりました!ご融資の件ですね!

担当の者と変わりますので少々お待ち下さい!」



1、2分くらい待った。



「はい。融資担当の〇〇です。」



「あの〜ご融資の件でお電話させていただいた次第でして。」



さっきと全く変わらずヘンテコな日本語で質問をする僕。



「では一度ご来店いただいてから

ご融資のご相談をさせていただきますので

いつがご都合よろしいでしょうか?」



「はい!僕はいつでも大丈夫なんですが、、」



「では、この日のこの時間はいかがでしょうか?」



「はい!大丈夫です!よろしくお願い致します!」



「では、この日のこの時間にお待ちしております」



「よ、よろしくお願い致します!」



電話を切り、僕はこれで大丈夫!



これで独立できる!と思っていた。



それがとんだ勘違いであるというのも知らないで。





『鬼にガチコンいかれる』



2013年1月前半



12月の忙しい時期に

電話をかけたのが間違いだった。




電話で今年中は難しいから

面談は来年の初めになってしまうと言われていた。



僕は着慣れないスーツを着て

五反田にある日本政策金融公庫に向かう。



朝から緊張し過ぎて吐き気が止まらない。

いわゆる空ゲロってやつだ。



日本政策金融公庫は3階



エレベーターで3のボタンを押す手が震えている。



それを見た時に別に鬼ヶ島に鬼退治にいくんでもあるまいし

相手はゆうても人間だぞと思ったら少し楽になった。



そして受付の女性が対応してくれ

個室で僕は担当の方を待つ。



そして担当の方がやってきた。



というか鬼がやってきた。




身長はそれほど高くないのだが

ツリ目で威圧感が尋常ではなかった。




そして初めてあったのにも

関わらずニコッともしてくれない。




ダメ押しは持っていた資料をドカッと机に叩きつけた。




こりゃ、苦手なタイプだ。




一気に緊張感が部屋を包んで背筋がピーンである。




「今回、融資の担当をさせていただきます〇〇です」




「よろしくお願い致します。星川です」




「担当直入にお聞きします。いくらお必要なのですか?」




「えっ!分かりません。。。」




「どういうことでしょうか?」




確かにお金貸して〜ってきて、




いくら?って聞いたら、分からないとか、

とりあえず100万円貸してってきた

どこの馬の骨ともわからんやつに

お金なんて貸せるはずはない!




「お金を借りる為には創業計画書っていうのが

必要でこのくらいかかるから

これだけ貸してくださいっていう計画を

立ててだしてもらわないと

こちらとしてもご融資できないんですよ」




確かになんの準備もしていない。




完全に丸腰でやってきた。。




その担当者さんに、お金を借りる時は

まず、借りたい物件を押さえなければいけないことや、

お店の家具や美容室特有のシャンプー台や鏡などの費用。




さらにそれを取り付けたりする工事費用などの細かい見積もり。



その他、運転資金はいくら必要なのか?



とことんまでダメ出しをしていただき

僕の頭はショート寸前で

確実に頭から煙がプンスカと出ていた。




その中で一番誤算だったのが、

融資の際に自己資金が必要であるということ。




僕の自己資金は150万円しかない。




基本的に融資は自己資金の2倍〜3倍まで。




つまり、僕は多くても300〜450万円までしか

融資を受けれないという事が判明した。




それと、保証人が必要だという事も判明した。




これはよく映画やドラマでお金の話の件になると

出てくる事なのでなんとなく想像はついてはいたが。




兎にも角にも、まずは保証人を探さなくてはならない。




一番最初に浮かんだのは、




経営者の先輩でもある父親にお願いすること。




父は実家の山形で写真スタジオを経営している。




尊敬の念があるだけに僕は安いプライドが邪魔をして

父に頼りたくないという気持ちが大きかったが、

背に腹は代えられない。



僕は山形行きのチケットを買い実家に向かった。





『ノスタルジーを感じている暇はない』



2013年1月後半



フリーランスになってからは

地元に帰ることも少なくなっていた。



駅について改札をぬけ、外に出る。



正午過ぎだが、山形の冬は寒い。



久しぶりに帰ってきた地元は

なにも変わっておらず、

懐かしさと少しの幸福感が僕を包む。



ノスタルジーに浸っている場合ではない。



実家に帰ることは事前に連絡していたので、

母が車で駅まで迎えに来てくれていた。




「おかえり!元気にしてたの?」




懐かしい声。




そういえば、ここ1年電話すらしていない。




母もだいぶ歳をとった。




目尻のシワの数がそれを物語っていた。




僕「おぅ。久しぶり。」



なぜか、恥ずかしくなって

素っ気ない態度を取ってしまう。



こんな、なんでもない時期に帰って来るんだから、



母は何か感づいているようだ。



けれど、それには触れず

母は明るく振舞ってくれている。




駅から、実家までは車で20分。




車から見る地元の雪景色は東京の喧噪とは違い、

僕に安らぎを与えてくれた。




「お父さん帰ってきたから起きなさい!」




母の声が響く。




実家について、僕は疲れもあり、

気がついたらソファで眠っていた。




父「おぅ。おかえり。」




僕「た、ただいま」




むしろ今帰ってきたのは父なのに




僕がただいまというのも




なにか滑稽だなと思いながら頭を掻いた。




父が僕の向かい側のソファに座る。




1時間ほど、お互いの近況報告をした。




そして、先に切り出したのは親父の方だった。




「で、なにか話あるんだろ?」




やはり父も気づいていた。




僕「実は独立しようと思ってる。

保証人がいるんだ。

それで、親父に頼みにお願いしにきた。」




少し間、沈黙




父「それで全部でいくらかかるんだ?」



僕「いやまだわからない。

とりあえずまず、始める前に相談しようと思ってさ。」




父「やってけるのか?」




僕「正直わからない。けどやりたいんだ!」




そこからは自分の想いだけを熱く話した。



もちろん自分の自己資金が全然足りない事。



父「そうか。わかったよ。」



そこから、どれだけ独立が大変なことか。

独立のメリット、デメリット。

自制心の重要性。他にもたくさん。



うちの父が経験してきたことを一切合切話してもらった。



商売は誰のためにやるのかが重要だということ。



今までなら話してくれなかったことも話してくれた。



自分を一人の男として認めてくれた気がして嬉しくて涙が出た。






『友情の重み』




2013年1月後半



僕は東京行きの新幹線に乗っていた。



東京に戻りまた1から計画を練りなおさなきゃいけない。



まずはすべての見積もりを出さなくてはいけない。



そんなことを考えていたら、気づいたら次は東京だった。



次の日からまた本格的に再始動である。



まずは物件を、押さえなくてはいけない。



友達で1人不動産屋さんがいる。



まずは彼に相談してみようと思い、電話をする。



プルプルプルプル。



「どうもどうも!お疲れっすー。どうした?」



いつも通りの友達の声で落ち着く。



「お疲れ様!前に独立するかもしれないって言ってたの覚えてる?

それでちょっと物件を紹介して欲しくてさ!」



「おっ!覚えてるよ〜!どのくらいの家賃?場所は?広さは?」



うっ!汗



またしてもなにも考えてなかった。




そういえばどのくらいの家賃に

したらいいかとかすら考えてなかった。




場所は中目黒とは決めていたが、

それも具体的に中目黒のどの辺なのかも曖昧だった。




家賃相場も何もかも考えていなかった。




「中目黒で家賃10万くらいって厳しい?」




今思えば厳しいにも程がある。




中目黒で10万円以下の物件なんてあるわけがない。




「10かぁ〜。。とりあえず、まずは探してみるから!」




本当にありがたかった。




結論からいうと今の店舗の家賃は10万円以下の場所を探してくれた。




奇跡に近い。




たまたま出た物件だそうで、

それから内見をしに行ったり、

大家さんとの面接などあり、

なんとか契約までこぎつけた。




そこでも友達は大家さんとの交渉をしてくれ

工事の時のフリーレント期間を契約に盛りくんでくれたりなど、

大変お世話になった。




契約に必要な書類やお金についても理解した。




この場所じゃなければやっていけてなかったと思う。




本当に感謝している。




これで物件はおさえた。




あとは、工事会社に見積もりを取り、

備品の見積もりを取り

創業計画書を作成するだけである。




まずは、工事会社を決めなくてはいけないが、

残念ながら工事会社には知り合いはおらず、

自分で探さなければいけなかった。




とりあえず物件を紹介してくれた友達に相談してみた。




「何社かあるから、紹介するよ!ちょっと待ってて!」




なんとも心強い。




それから2日後。




友達から電話がかかってきてアポイントをとり、

1つの工事会社の方とと会うことに。




その会社は施工会社としてもすごく大手であり、

きっちりやってくれるだろうという事だった。



確かに僕でも聞いたことのある会社だったので、

安心して会うことに。




物件を一緒に見ながらここはこうしましょうやら

ああしましょうやら、話し合い、

後日メールで見積もりを送ってもらうことに。




これで良かった!あとは備品なんかを

ちょっと買えば済むであろうと思っていた。




何日間かたってメールを送ったという電話をいただき確認すると、

とんでもない金額で目玉から血が出るかと思った。。



7坪のお店を作るのに約600万円の施工費用がかかるという。



もちろん、施工会社自体はしっかりとしているところなので

仕上がりもしっかりとしているとは思うが。




ちょっとこれは僕の予想を上回る金額だったので

お断りさせていただくこととなったのだが、

お店の構成の見取り図は、かなりしっかりとしていたので

これが後々に役にたつことになる。




さて、また振り出しに戻ってしまった。




他に知っている施工会社もない。




さて困ったぞと思っていたのだが、知り合いの先輩が

下北沢で美容室をやっているのを思い出し、

相談してみると、快く紹介してもらえることに。




いやーありがたい。本当に助かった!




そしてその工事会社の人とも会うことになり、

同じように物件を見ながら話し合ってから

見積もりを出してもらうことに。




この時にある程度の見取り図があったので話が早く、

2日後には見積もりもが届いた。




今回はなんと約200万円の見積もりとなった。




1度目に600万円を提示されていたので

めちゃくちゃびびっていたのだけれど、

なんと約3分の1の値段。




ここに決めよう!




そして意気揚々と大家さんに

施工会社が決まったことを

伝えに事務所にお邪魔した。




「施工会社が決まりました!

あとはお金を借りるだけになりました!」




その時大家さんから衝撃の一言が。




「こっちで知ってる施工会社があるから

そこ使ってくれないとダメよ!」




……先に言ってくれよ……







『続、友情の重み』




それから1週間後。




その施工会社さんと打ち合わせをし、

見積もりをだしてくれた。




今回も元々、見取り図があったので、

見積もりが出てくるのがとても早かった。




見積もり価格は約200万円




ほぼ同じくらいか多少安かった記憶がある。




あとは備品の見積もりを出さなくてはいけない。




これはもう全部ネットで頼もうと思い、

グーグルでソファーやら、

シャンプー台やらをいろいろと漁って行く。




ある程度買うものも決まり、いざ!




と、その前にまだ創業計画書なるものを書いていない。




どんだけにらめっこしても全く意味がわからない。




んー。どうしようか。。。




こんな時はやっぱり、

お金に詳しい人間に相談するのが良い。




やっぱり、餅は餅屋である。




幸い、友達に銀行マンがいるので連絡してみる事に。




「お疲れ!俺、独立するんだけど、

独立するために創業計画書を

書かなきゃいけなくてさぁ、

ちょっと教えてくれない?」




「おー!まじか!

言えない部分もあるけど相談のるよ」





本当にたくさんの人に協力してもらっている。




改めて成功させないと申し訳ないなといましたね。



アポイントを取り、都内の居酒屋で待ち合わせた。




実は事前に、創業計画書を当日までにある程度まで

書いてみてほしいという宿題をだされていた。




ざっくり自分で見積もりを計算して、

全てトータルでかかるのが600万円。



当面の運転資金200万円を手元においておきたいので

800万円が必要になる。




そんな計算もすべて仕上がっていた。




僕の中では非の打ち所がない完璧な仕上がり。




こりゃあ、友達は出る幕はないね!と

思いながら居酒屋に向かった。




久しぶりに会うこともあり、まずは乾杯。




最近の近況報告も兼ねて近況報告。




そしていざ本題。




創業計画書を友達に見せる。




「お前、全然出来てないじゃん。

こんなんで通るわけないよ!」




いきなりのストレートパンチ




まじかまじかまじか!





自信作だと思っていたのに。。。




そこからはダメ出しの雨嵐だったのは言うまでもない。




まずは現状のお客さんの数。

見込み新規。

売り上げ予想。




全てにおいてのダメ出し!




言われたらそりゃそうだよなということの

てんこ盛りであった。



僕は泣きそうになりながらもメモる。

そして書き直す。



こいつに相談して良かった。



相談してなかったらまたしても

あの鬼の担当者に出直しを

食らわせられるところであった。




一通りやりおえ、その日は早めの解散。




しっかり書き直したら写真で

送って添削してもらえることとなった。




さて、もう時間もない。




2月後半にまた日本政策金融公庫の面談がある。




今日は帰ったら早速、書いて添削してもらおう。





『対決』



2013年2月中旬



父に創業計画書と

その他資料などのコピーを全て送り

足りない自己資金を借りた。




父から全部で150万円を借りた。




トータルで300万円になり、

創業計画書も仕上がり、あとは面談を待つのみ。




面談に必要な書類や保証人、自己資金も揃った。




あとはハンコをいただくだけである。




それまでにやることもあるのだが、

融資がでないと動かせない事もあるので

少しストップさせていた。




まずは目の前のお客さんを綺麗にしよう!




これが本業である。




2月下旬




この日は2度目の

日本政策金融公庫の面接を受けている。




緊張で背中にじっとりとした汗をかいている。




面接官がやってくる。




「いかがですか?

創業計画書も仕上がりましたか?

こちらも時間も限られているので

早速始めましょう。」




僕は嫌な言い方をするなぁと思いながらも

備品の資料や、賃貸契約の用紙、工事の見積もり、

そしてもちろん、創業計画書を提出した。




面接官が驚いているのがすこしだけ伝わる。



ちょっと前までは何も知らないお兄ちゃんだったからね。



でも今回は違う。資料は全てに整っている。



文句は言わせませんよ!



資料を渡し、これからの流れを説明され、


面談は終了。



これから審査に入るそうだ。





『誕生』



2013年7月31日



めでたくロジックは誕生する。




融資も満額出してもらえ、

順調に事は進んでいった。




ここまでが僕が独立しようと思ってから

実際、お金を借りるところまでのお話。




今思えば、完全に見切り発進な独立だった。




もっと計画を綿密にしてからの

発進でも良かったのかもしれない。




だけど、僕は運良く親にも友達にも恵まれた。




そして、そんな人たちに甘えに甘えまくった結果、

ロジックをオープンすることができた。




独立してからもたくさんの人に助けてもらいながら、

今日もロジックは続いている。




お金もそうだけれど、やはり周りに助けてくれる人が

どれだけいるのかということがとても重要。




だけど、自分で言ってしまうが

そんな全てが恵まれた環境ばかりの人だけではないと思う。




よく美容室経営者や他の事業で

独立している人たちとお酒を飲むことがあるが、

その人たちとよく話すのは、

独立に本当にお金は必要なのか?ということ。




今は、クラウドファウンディングといったような、

資金調達と集客を同時にできるコンテンツなんかも

たくさん存在している。




日本政策金融公庫ではなく信用金庫に行けば、

保証人もいらなく、

自己資金0円で開業する事も出来てしまうかもしれない。

(保証協会は必須)




そんないろいろなやり方を、

僕は独立してから知ってしまった。




実は利息も、区によっては

半分負担してくれる制度があることも後々に知った。




何度も言うが

本当に知らないことだらけなまま

僕は独立してしまった。



僕は美容産業に限らず

独立してからこうしとけば良かった!



なんていう人たちを今後、

増やしたくないと思っている。




今、独立を考えていて

モヤモヤしている人は

ぜひ相談しに来てください。




僕も最初はお金のことや

税金のことなんかは

全然わからなかったですから!



ロジックをオープンして、

今年で4年になります。




それでも4年はやってこれるんです!




しっかり知識をつけた状態で独立したら




必ず成功します!




明るい未来をぜひ夢をみてください。




そして、それを夢で終わらせないでください!




本気で思った人には

必ず明るい未来は微笑んでくれますよ。



ロジック


東京都目黒区中目黒1-4-6


0357945300


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