top of page

17/5/17

HAYATO NY物語17

Image by Olia Gozha


美容師になる。


そうと決まれば善は急げと言う事で学校選びから始まった。


学校は都内にはたくさんの学校があったが行きつけの美容師さんのアドバイスで


高田馬場にある日本美容専門学校が美容学校ではエリートで国家試験合格率が


一番高いとのことで薦められた。


早速、学校に入学の問い合わせたところ中間部の新入学は春期の4月入学だけだと言われ


すでに7月頃だった為に今すぐに始めるには夜間部か通信課程しかない事が解った。


昼間の中間部は1年、夜間は1年半、通信制は2年間で卒業になる。


日美は入学が難しい学校だと聞いていたので学力に自信ない僕は少し不安であったが


早く卒業し美容師になりたいのと自身の生活費も稼がなくてはいけないと言う事で


秋から入学できる夜間部に入学願書を出し試験を受け無事合格する事が出来た。


僕は学校が始まるまで築地でのバイトは続けていた。


人生第二幕


美容師としての第一歩の日本美容専門学校56期夜間制のクラスが始まった。


僕が美容学校に入学して一番に始めたことは夜間生でも受け入れてくれる美容室就活だった。


学校の就活担当者からいろいろサロンを進められたがどれもピンとこない。


美容師で働くのであればやはり原宿や表参道で仕事がしたいと考えていた。


三重のド田舎から上京した僕も一年も立てばすっかり東京人みたいな顔していた。


やはり若いおしゃれな若者が憧れ集まるのは原宿であった。


ちょっと大人な雰囲気で高級感がある場所が表参道、青山であった。


僕は自分の足で原宿や表参道で夜間生でも雇ってくれるお店を飛び込みで探した。


この勇気はシンガーソングライターを諦めサラリーマン時代に知らない会社に飛び込み営業をいやいや


強制的にさせられたおかげで度胸がついていた。


人生で無駄な経験などなど一つもないのだとサラリーマン時代の上司に感謝する気持ちになった。


しかしほとんどのサロンが門前払いかあっさり「うちのサロンは夜間生採用してないから」


という返事だった。


毎日一軒一軒お店に飛び込みで入って断り続けられた。結構心も折れそうになっていた。


くじけずにまた青山ベルコモンズ近くのキラー通りにある一軒のガラス張りのおしゃれなお店に飛び込んだ。


店内に入るとおしゃれな笑顔のスタッフがいらっしゃいませ~と声が響き


僕は入店し尋ねた「美容学校夜間生なのですが青山で働けるサロンを探しています」と


そうしたらスタッフが店長を読んでくれていろいろ僕の話を聞いてくれた。


原宿や青山のお店をかなり飛び込みで回ったがこんなに丁寧に親切に店長が対応してくれたお店は初めてだった。


そのお店の名は「美容室SHIMA」であった。


僕は感動した。そして店長が最後に言ってくれた一言が心に染みた。


「君の様にガッツの有る人材がSHIMAには欲しいから学校卒業したら必ず採用してあげるからその時は必ずもう一度訪ねてね」


この一言で僕は絶対将来、青山のSHIMAで働く美容師になると心に決めた。


そして必ずこのSHIMAに卒業したら採用試験を受けると心に決めていたはずだった。


SHIMAはまだその当時は有名なお店ではなかったがちょうど西荻からお店がスタートし郊外のサロンから脱皮するために東京の美容師の中心地、青山に進出してきた美容室であった。


その当時、有名な美容室はほぼサッスーンカットを名乗るお店で萩原宗を筆頭にビッグシザースの今井とかケネスや川島文雄のPEEK A BOO etc..なども人気が出始めていた。


SHIMAはその当時、美容業界ではそれほど有名なサロンではなかったがその後、


斬新なスタイル発表やヘアーショウや講習会などでSHIMAワールドを作りなどでアッと言う間に


人気美容室にのし上がり、SHIMAからカリスマ美容師が多く生み出された。


SHIMAは美容業界にとって偉大なサロンに成長していった。


成長していくサロンには美容師として成長する素晴らしい人材教育がある。


どんな人にも丁寧に接客し、美容学生を大切に扱う姿勢に人材も集まるのであろう。


話は戻るが僕の就活は続いていた。


青山で美容師をしたいと思うが青山の一流店では夜間生からの採用はゼロであった。


そんな折に学校から赤坂にあるサロンで夜間生でも受け入れてくれるお店を紹介された。


そのお店は僕の人生最大の恩師になる「プレビ―赤坂」阿原先生のお店であった。


このお店が僕の以後の美容師人生や運命を決定づけるとは予想も考えもしていなかった。




HAYATONY物語



←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page