
上野の森美術館を出た後、岡村と私は、カレーが美味しいと有名な近くのレストランに入りました。
陽光のさす明るい2階の店内で、お昼のカレーランチに珈琲とデザートをつけて注文し、食べながら岡村の話を聞いたんです。
彼が生まれたのは東京。
父親は職業軍人でした。
終戦になり、父親は大手保険会社の支店長として、長崎の島に移り住みます。
ーー僕は高校を卒業すると、絵では食えないと言う親父の反対を押し切って、東京の美術学校を受けたんだ。
小さい頃から庭でガラス瓶に色粉を入れて溶かして、それを陽にかざして遊ぶのが、何より好きな子供だった。
お袋や親父からは、変な子だねとよく怒られていた。
(そして高校では、授業をさぼり、一人丘に登って長崎の海の絵ばかり描いていたんですね)
そう、教師や友人はみんな応援してくれた。
武ちゃんは絶対に有名な画家になるけん、と言ってね。
総出で見送りに来て、送り出してくれた。
美術学校は落ちてしまったんだけど、仲間に送り出された長崎には帰れなかった。
それで、東京の大学生になった友人のアパートに同居して、彼と二人で中野の飲み屋街をバイトしてまわった。
彼はギターを弾き、俺は客の似顔絵を描くんだ。
でも客がつかなくてね。
ある時新宿に行くと、伊勢丹のシャッターの前に大勢の似顔絵描きがいた。
僕が若い頃には、伊勢丹デパートが営業をおえてシャッターを降ろすと、その前に似顔絵描きが大勢立っていたんだ。
客もついている。
これだっ、と思った俺は、さっそくオードリーヘップバーンやフランクシナトラのペン画を描いてイーゼルの横にはりつけ、似顔絵描きに立ったんだ。
まだ18歳だった。
白いシャツに蝶ネクタイをしていたから(蝶ネクタイ)と呼ばれていた。
いそいそとまっさきにイーゼルを立てて、
「社長、いいお顔してますねえ~」
「3分で描けますから!」
声をかけてどんどん客を取っちゃう。
そのうち、
「勝手に入ってきたあのあつかましい新参ものはいったいどこの誰なんだ?」
と言うことになってね。
その場所のリーダー格の25歳のケンさんが、
「お前、誰に断ってここに毎晩立ってるんだ?」
と文句を言いに来た。
裏で決闘になったんだ。
「誰に断っているかだって? 俺は命かけてるんだっ」
低く構えて尻のポケットにいつもさしている肥後のかみを抜くと、その刃がきらっと光って、それを見たケンさんは笑い出したんだ。
「わかったわかった。お前なかなかいい度胸してるじゃないか。蝶ネクタイ、その意気買ったよ」
リーダーって言ったって、ケンさんもまだ美大生の画家の卵だったんだから。
すぐに仲良くなった。
似顔を描きながら、俺は世田谷にある水谷清高先生の洋画研究所に通ったんだ。
野々宮くんはその時の同じ門下生で、兄弟子。僕たちの面倒を見て指導をしてくれた。
新宿で似顔絵描きをしているというと、
「それは生きたデッサンの勉強になりますね」
とやさしく言ってくれたよ。
(水谷は海外でも人気の高い、現在絵画の第一人者。油絵の裸婦像が得意で有名)
生徒はおもに教室で石膏デッサンや静物デッサンなどをするんだけど、水谷先生はいつもご自分のアトリエで、モデルさんを使い油絵を描いておられた。
そのアトリエのドアがいつも開いている。
教室に行くには、そのアトリエの前を通るので、生き帰りに裸婦のモデルさんが開いたドアから見えるんだ。
目に入るその白い裸身が女神のように眩しくて美しくて…若い僕は心臓が飛び出そうなほどどきどきした。
水谷先生は、きっと生徒たちに、君たちも将来は美しいモデルさんを使って絵を描く画家になりなさいと、発奮させるためにドアを開けてあるのだなと、思った。
その時以来、僕は女性を描く画家になりたい、と思ったんだ。
その頃僕がしていたアルバイトは、着物を着た日本人形の顔描き。
息をつめて筆で描くんだよ。
いかに美人に描くか、競ってね。
(彼が顔を描いた、それはそれは美しい芸者さん姿の日本人形が、長方形のガラスのケースに入ってアトリエに置いてあった)
その後僕は、舞台美術がやりたくて、舞台美術の巨匠に弟子入りした。
この仕事は誰にも相談せず、僕独りで決めたんだよ。
楽しかったな。
二年間浅草の劇場に寝泊りして、美術監督の師匠に学んだ。
「先生、踊り子さんたちにモテたんじゃない?」
「純情だったから、口もまともにきけなかった。武ちゃん武ちゃんて、可愛がってくれたよ」
だけど、と彼は言う。
お袋に見つかって大反対され、お袋が監督に直談判して、俺を辞めさせてしまったんだ。
お前は女で身をもちくずすだろう…と言って。
その後、縁あって挿絵界の巨匠に弟子入りしたんだ。
(先生、腕を見込まれたの?)
そうじゃなくて、親父は東京支店長になり、東京に帰ってきていた。
挿絵の巨匠の奥様とお袋が近所同士で親しくなり、その縁で絵を見てもらうようになったんだ。
先生のお宅に行くと、いつも珍しい洋菓子や果物を出してくれてね、それが目当てで通っていたようなものだけど。
先生はきりっとした妖艶ないい女を描くんだ。
売れっ子だった先生が忙しい時になど雑誌や新聞の挿絵をまわしてもらうようになって、挿絵の道に進んだ。
洋画研究所には行かなくなったけれど、女性の肌を描きたいと、その思いはずっと続いていた。
そして50代を過ぎてから女房の勧めもあって本格的に絵画をはじめ、水彩は沼沢先生に学んだ。
プロのモデルさんにお願いして描いた水彩画が、二年前野々山さんと水谷先生のいる光景会で入賞した。
野々宮君に、
「あれいらい絵を出していないけれど、新しい絵をぜひ出品してください。待ってますよ」
と会場で言われたんだ。
思えば長い道のりだ。
しみじみと聞いていた私は、
「先生はお母様に反対されて無理やり辞めさされてうらまなかったの? まち子だったら反抗するけど」
と聞いてみた。
「いや、あれで正解だったんだよ。挿絵画家になったおかげで、まち子と知り合えたんだから。 そして今、絵画への思いをかきたててくれている。それが、まち子、お前なんだよ。とても感謝している…」
「それなら先生、なおさら油絵を描かなくちゃ! 光景会は油絵でしょ」
私は、とここぞとばかりはっぱをかけた。
「先生になら描ける。絶対に大丈夫。油絵は間違ってもその上に塗り重ねてやりなおせるのよ。透明水彩みたいにむつかしくないわ。ハイライトだって、あとから白を入れればいいんだから、うんと簡単よ」
「ねえ先生油絵を描いてよ!」
だが彼は、
「まだ油絵ははやいよ。自信がないよ」
「まち子はそんなに簡単に言う…こっちの気持ちも知らないで」
がんとして、首をたてに振らなかったーー。
私は、ぜひとも彼に油絵で私の姿を描いてもらいたかったのだーー。
たとえば、チャイナ服姿で椅子に腰掛け、斜め上をまっすぐに見詰めた表情の女性肖像画。
そんな絵を彼に私で描いて欲しい。
チャイナドレスを描いた肖像画は多い。
その展覧会で大臣賞を取っていたのも、赤いチャイナドレスを着た女性が、スチールの椅子に腰掛けて、バックと床はグレーで塗られた30号の油絵だった。
美術館の売店で、その絵のポスターカードを土産に買った。
「先生、これと同じポーズ、同じチャイナ服で私を描いて。きっといい絵になると思う! 先生にならきっと描ける」
懸命に説得しても、彼はうんと言わなかったーー。
※
喧嘩しては仲直り。
そんな関係を続けていた。
実際につきあって驚いたのは、女流作家の多くが彼をひいきにしていた事だ。
彼は文壇の女性に人気がある。
ある文壇パーティーの2次会にスナックに参加した時のこと。
そこには、23歳の新人イラストレーターのマリちゃんがいた。
2次会のスナックに現れた岡村を見て、マリちゃんは、
「あら、岡村先生が2次会にいらっしゃるのは珍しいですね」
と弾んだ声をかけた。
マリちゃんは若くてチャーミング。
瑞々しいバストが赤いセーターを押し上げている。
はつらつとしていて、みんなのアイドル的存在だったのだ。
彼はカウンター、私は近くのテーブル席で剣豪作家のT先生や若手男性作家のKさんと飲んでいた。
と、カウンター席から、突然マリちゃんの、
「岡村先生、そんなこと言うなら、なぜマリに付き合ってとおっしゃらないんですか!」
大きな叫び声が聞こえて、みないっせいに振り返った。
「マリは、マリは…三日前に彼氏と別れたばっかりなんですよっ」
どうやら岡村がれいによってマリちゃんに、
「あなたを描いたら、さぞいい絵が描けるでしょうねえ」
と言ったらしい。
画家さんはだいたい女性を見れば挨拶がわりにこう言うのだ。
それに酔っ払ったマリちゃんが過剰反応して、あの発言になったらしい。
あっけにとられて固まったその場の雰囲気をなごませるように、
「あらん、岡村先生、描くなら私も描いてええ」
ピンクのディオールのスーツを着た新聞社のおえらいさんの奥様が、二人の間に大きなお尻を入れて割って入った。
その日のマリちゃんはそうとう酔っていた。
帰り際、みんなでタクシー相乗りで帰ることになった時、方向が同じなので、私と岡村が二人一緒のタクシーになった。
マリちゃんは岡村の腕をとり、
「先生、大丈夫ですか? ねえ大丈夫?」
何回も聞いている。
岡村は、れいによってニコニコと恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、
「僕、年ですから送りオオカミにはなりませんから、大丈夫ですよ」
と答えていたが、きっとマリちゃんが心配していたのは、別のことだったろう。
この頃は、私たちが付き合っているのは、まだ秘密にしてあったのだ。
私は最初、彼がモテるのは彼の描く絵が天才的にすばらしいからだ…と思っていた。
だからモテるのだ、と。
だが、ある画廊に行ったとき、彼がモテる要因は、別のところにあると気づいた。
その画廊は、彼が住む町の駅近くにあった。
小さな画廊だが、水彩展を開催していたので、お昼を食べるついでに、立ち寄ったのだ。
画廊に入ると、黒いシャネルスーツを着た女性がいた。
岡村は、普段着姿。
パーティーに行くときなどはお洒落な装いをしているが、普段は、着古したシャツにズボンの、じじむさいとも言える服装をしている。
横に立った洋子は、クリームの超ミニスカート・スーツにピンヒール。網タイツをはいて、腰まである髪を背にたらした、ど派手な装い。
画廊の黒いシャネルスーツの女性は、
(ビンボーそうなじじむさい男と変な女のカップルが入って来た)
と言う感じで、鼻もひっかけない。
こちらを無視して声もかけて来ないでいた。
ところが、あまりに二人が熱心に長時間絵を見てまわっていたので、声をかけないわけにはいかなくなったのだろう、
そこで、お愛想に、
「いらっしゃいませ、こちらいい絵でしょう。この作家さん、人気があるんですよ」
と話しかけてきた。
岡村が、
「アルシュの8号に描いてますね。海の描き方が、なかなかいい」
と呟くと、
「絵を、お描きになるんですか?」
ちょっと見直した感じだった。
「はい、僕も描いています」
岡村がうなずくと、
「どんな絵を描いていらっしゃるんですか?」
とシャネルスーツの女性が聞いた。
「裸婦です。僕は裸婦専門です」
さらっと岡島が答えると、
「まあ」
声が1オクターブ上がって、彼女の唇が開かれた。
「こちらのモデルさんを専属で描かせていただいてます」
岡村は横の私を紹介する。
私を見つめた画廊の女性の瞳が、もう変わっていた。
らんらんと光がみなぎり、輝いているのだ。
「そうですの…こちらが、モデルさん…」
熱につかれたように、彼女は喋りだした。
「女は、一枚でも、自分のこの時の姿を映した絵を描いていただいたら、それは、それは…宝物になりますわよね! たった一枚描いていただいただけでも、それは生涯たいせつな記念の、宝物ですわ!…」
声がわなわなと震え、目は輝いて潤んでいる。
「一枚でもたった一枚でも描いてもらえれば宝物」
と彼女は繰り返した。
その豹変振りに、目を見張った。
画廊の女性は、たった今すぐにでも、岡島の前で、服を脱ぎ捨てそうだったのだ。
その目はあきらかに、
(ふん、こんなモデルより、私を描いてくれれば、もっといい裸婦の絵が描けるわ!!)
と物語っていた。
そう、嫉妬に燃え、私の絵こそ描いて欲しい! どうもこの男性、近くに住んでるみたいだし…と狙っている目だったのだ。
最初取り澄まして鼻も引っ掛けなかった女性。
それが、たった5分、岡村と会話しただけで、もう服を脱ぎそうになっている。
岡村の会話能力に驚愕したのだ。
しかも彼女は、岡村の絵を一枚も見ていないのに…。
画廊を出た後、
「先生、あの画廊の女性、先生に自分の絵を描いてもらいたそうだったわよ」
と告げると、
「それでまち子にあらぬ疑いをかけられるといやだから、もうあの画廊にはいかないよ」
岡島は苦笑いをしていた。
私は彼のこの会話力を、もっと他の方向に生かせばいいのに…と思ったことがある。
「先生、女性にモテるんだから、女性の肖像画を描いたらいいのに。いいお金になるでしょう
?」
岡村は、
「そういう話もあったけど、僕は、描きたい! と思う女性しか、描きたくない。描けないんだ。僕の我がままだと思うけど」
彼は、絵を描きたがらない変わった画家なのだ。
自分からか描かせてくれと頼んだ私でさえ、なかなか描かない。
せっかくアトリエに行っても、お喋りや、その他、絵を描く以外のことばかりをしたがる。
それをなだめなだめ、
「絵を描いてくれないと、してあげない」
とおあずけにして、
「さあはやく、セッティングしましょうよ」
椅子やソファーをせっせと所定の位置に置いてポーズをとり、なんとかイーゼルに向かわせるのだ。
●修善寺旅行

「やめてーっ」
「この、アマッ、よくも俺を騙したな」
「きゃーっ」
和風旅館の一室で、襲い掛かる岡村と、逃げ惑う私。
床の間の花瓶が倒れる。
とっさにつかもうとした備え付けの電話機のコードが引きちぎられた。
修羅場だ。
場所は修善寺の老舗和風旅館内。
ことの起こりは、めずらしく素面で絵を描いてくれていた岡村が、
「今まで本当に苦労かけてすまなかったね。お詫びに、旅行に連れて行ってあげる」
とイーゼルごしにしみじみ声をかけてくれたのが、発端だった。
「先生、ほんとですか?」
「ああ、どこでも好きな場所、好きな旅館でいいよ。計画を立ててくれ」
るんるん気分で計画を立て、ガイドブックを見て選んだのは修善寺にある露天風呂が有名な、格式のある老舗有名旅館だ。
うきうきと新幹線に乗り込み、昼には途中にある蘭園を見学し、宿に夕刻到着。
名物の露天風呂は広く、自家天然温泉の湯はきれいで当たりがなめらかだった。
彼も上機嫌でおだやかで幸せそうだった。
それが、夕食前の私の一言で豹変した。
机の上に、今夜の催し物のパンフが置かれていたのだ。
それを見て、
「あらっ、今晩9時から、清元の若弥師匠がこの旅館のロビーで演奏なさるらしいわ。私一回だけ彼に取材したことがあるの。行ってみましょうよ」
と何気なく告げたとたん、彼の表情が一変した。
仲居さんが、夕食の膳を運んできた。
楽しげに仲居さんと喋っていた彼は、
「人肌で酒をもらおうか」
と言い出した。
今度は私の顔色が変わる。
「先生、飲まないと言ってたでしょう。禁酒してたじゃない」
「まあまあまあ」
上機嫌の表情のまま、彼は、
「旅の酒は上手い。美味しい料理とこんなきれいなオネエさんがついてくれるんだ、一杯くらいいいだろう」
「そうですよ、自酒のいいのがありますから、お持ちします」
悪い予感がしたが、仲居さんも彼に賛同した。
酒が運ばれる。
彼は早いピッチで飲みだした。
しだいに目が据わり、私を睨みつけると、
「お前、俺を騙したな!」
仲居さんが席を外した時を見計らって怒鳴りだした。
「新内の師匠と語り合って、ここで落ち合う約束をしてたんだろう!!」
「何を言うの。誤解よ」
「誤魔化そうたって、そうはいかないぞっ」
仲居さんが入ってくると、仏のようなもとのニコニコ顔に戻る。
怖いほどの演技者、豹変ぶりだった。
(どうかずっと仲居さんがいてくれますように)
祈りむなしく、彼女は料理を取りに席を外してしまう。
「このアマっ、人をどれだけ馬鹿にしたら気が済むんだっ」
とうとう机を乗り越ええてやってきた彼は、逃げ惑う私の髪をひきずり、殴り、蹴り…。
騒ぎを聞きつけて、旅館のハッピを着た男性従業員や和服の女将が駆けつけた。
「なんですかあなたたちは! 」
女将さんが一喝する。
「東京から来た画家さんと作家さんていうから、丁寧におもてなししてたのに…他のお客様の迷惑になりますから、すぐに出て行ってください!!」
宿泊費と部屋を壊した弁償代も払い、タクシーに押し込まれ、私たちは夜の夜中に旅館を追い出されたのだーー。
さすがにもうダメだと思った。
「お前が悪いんだ」
「悪いのは先生でしょう!」
東京にと帰るプラットホーム。
そこでも言い争いを繰り返した。
(もうダメだ。彼とは別れよう)
彼の嫉妬は異常だ。
病的だ。
しかも不思議なことに、彼は自分の妻にはまったく嫉妬したことがないという。
「先生はなぜ奥様を描かないの?」
と一度質問したことがある。
「描いたことがあるんだけど…右を向いていてと言うと、三日でも向いている女だ。ポーズをとっていてもそんな調子だから、俺の方が気詰まりで描く気がしなくなってしまう…」
なんと勝手な言い分だろう。
だが気持ちはわかる。
従ってくれる、確実にじっとそこにいてくれる奥様のような女性より、勝手気ままで、今日はアトリエにいるけれど、次は来るとは限らない。
そんな女性を懸命にアトリエにとどめて、その姿を描くほうが、彼は喜び度が高いのだ。
だけど、恋人としてはどうなのか?
彼はないものねだりをしている。
私と彼とでは、絶対に上手くいかない。
げんに喧嘩を繰り返してこの頃では絵も進まない。
奥様と暮らした方が、彼は幸せなのだ。
しかも奥様のご実家は超金持ちで彼の絵を一家をあげて応援していると言う。
モデルは、プロの美しく若い人をいくらでも頼めるではないか。
私も人生やりなおしたい。
修善寺での事件のあと、絶望した私は決意して彼に手紙を書いた。
「このまま関係を続ければ、私たちの美しい思い出さえ汚してしまう。それが残念でしかたがない。だから別れましょう…私はもう決して先生とはお逢いしません…私をもう追いかけないでください」

