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17/5/6

「キョウダイセブン」という名で、出ています by ウラちゃん

Image by Olia Gozha

「キョウダイセブン」という名で、出ています by ウラちゃん


   私は15年ほど前に、名古屋の予備校の講師をやめて、自分の塾経営に専念し始めた。ちょうど、もと奥さんと別居した頃のことだ。アメリカから帰国して、日本の教会に失望した頃とも重なる。ろくでもない生徒にウンザリした頃とも重なる。

 シングル・ファーザーになってしまったので、小学生だった娘たちを支える必要があった。クラス全員がある日いなくなるような不安定な生活では、やっていけない事情もあった。大規模塾が地元に進出した時期でもあった。

  それで、私はそれから15年間「中学生の塾」から脱皮して「高校生主体の塾」に転換をはかった。高校数学を指導できるようにするために、10年間センター試験を受け続け、京都大学の二次試験を7回受けた。

  また、SNSやスマホが普及しだした時期だったので、Youtube、 ブログ、ホームページを連携して「通信生」を募集し出した。


 全てが計画通りに行ったので感謝している。成績開示(京大二次で英語81%、数学70%の正解率)をネットに載せたら、そんなことをしている人がいないため、信用してくれた人が北海道から九州まで殺到した。

 おかげで、5年連続で京都大学の合格者がでた。京大医学部、阪大医学部、名大医学部、東京医科歯科大学などにも合格者がでた。これは、三重県の小さな個人塾では奇跡的なこと。

 私は、毎日成績優秀な子たちに囲まれて楽しい生活をしている。ただ、

「あまりに浮世離れしすぎているかも」

 と、感じるようになってきた。

 私は、酒・タバコ・ギャンブル・女遊びなどは、やらない。だから、中年男性とつきあうことはない。女性も、バツイチになってから、トラウマで近寄る気にならない。母に説教をくらっても、

「そんなつきあいを強要するなら、この町から出ていく!」

 と、宣言してある。

 昨年末から、地元のFM曲に投稿を始めた。すると、ラジオの向こうのパーソナリティのオネエサマ方の反応は、まるで塾生の反応と違うのだ。

「あぁ、これが一般ピープルの反応なのだ」

 と、浦島太郎の気持ちになった。

 私の塾の高校生コースの47%は、四日市高校の生徒で、残りの53%は暁6年制、桑高、川越の生徒だ。これは、地元中学校なら成績上位の15%以内を意味する。

 通信生も、基本的に京都大学の受験生と旧帝医学部をめざしている子が多い。そういう子に、

「裏付けのない文系科目は普遍性に欠ける」

 と言うと、ニヤっと笑う。仮設は証明されなければ、真実ではないと思っているし、文系は就職に不利だし、てきとうなことを並べ立てるテレビの御用学者をバカにしているからだ。

 しかし、似たようなことをラジオに投稿しても、パーソナリティは反応しない。別のところで反応する。私はバカにしているのではない。実際、私はパーソナリティのおねえさま方のファンなのだ。

 15年間も世間では少数派の子ばかりを相手に指導してきたから、一般の感覚とズレてしまったらしい。中年になって、ただでさえジェネレィション・ギャップがあるのに、私は二重の意味でズレている。

 後悔もしていないし、周囲に合わせるつもりもない。自分の生活のスタイルは、他人と違って当たり前なので悲しくもない。

  アメリカに住んでいた1年間で、私は怒ったり怒鳴ったりしたことがなかった。同僚のアメリカ人も、近所の人も

「怒る人より、怒らせる人が悪い」

 と、口癖のように言っていた。

 マナーやエチケットがよくて、相手を怒らせないような教育が主に教会で行われていた。

 ところが、日本に帰国して教会に行ったら、不愉快なことが多かった。アメリカの教会とまったく違った。これは、日本文化のせいだと思った。私が名古屋大学卒業でアメリカ帰りだと分かると、陰口が始まった。

 最近、中国人の旅行者が世界中で嫌われている。道路で痰やツバを吐き、子どもに道路わきでウンコをさせる。マナーやエチケットがなっていない。そういう感覚を帰国したばかりの私は日本人相手に受けた。 

 PTAも、塾の授業で夕方に出席できない私を欠席裁判のように理事にしたり、自治会も、クリスチャンの私が当たり前のように神社の寄付をするのが当たり前という姿勢だった。

 私は、できるだけ協力しようとしたけれど、発言の自由も、宗教の自由も、あったもんじゃない。私の賢い生徒たちも、学校のクラブの強制や行事の強制にウンザリしている子が多くて、気が合った。

 だから、塾生の子たちだけと15年も穴倉生活のようになっていた。竜宮城で生活しているうちに、帰ったらオジイサンになっていた浦島太郎のようなものかもしれない。

 私は、しがない塾講師だ。銀行に行くと

「個人塾は負け組みです」

 と罵倒され、結婚しようとしたら

「塾講師には娘はやれない。教師になれ!」

 と罵倒された。

 この国では(少なくとも田舎では)、教師はエライ。塾講師は肩身が狭い。そういう構図だ。さすがに、若い中学生や高校生は変わってきたが、保護者の年齢ではダメ。だから、そういう人には近寄らないことにしている。竜宮城にいれば、不愉快な思いをせずにすむもんね。

 私は、教育学部卒だから、教師をたくさん知っている。尊敬などしていない。

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