無勉で慶應、早稲田に落ちる浪人時代
2010年4月、僕は予備校に通い始めた。
といっても、ほぼ通わなかった。
大泉洋が通っていた同じ代々木ゼミナール札幌校に通い、東京の大学を目指すコースに入った。
東京の大学を目指すコースなので、東京の講師に教わりたいと思い、東京の授業がリアルタイムに映像配信される映像配信コースに入った。
もちろん遅刻しようが怒られることはない。そこに講師はいないのだから。
案の定一ヶ月も経つと、片道1時間もかかる札幌駅前の予備校には通わなくなった。
それでも親に学費を払ってもらっている以上、有効活用しないといけないという強迫観念にかられ、わざわざ自習室を使うためだけに予備校に入っていた。
予備校の自習室にひきこもり、一人参考書を買いあさり、暗記に励んでいた。
しかし、その頑張りも長くは続かず夏バテとともに予備校にも通わず、家に引きこもるようになった。
迎えた二度目のセンター試験前日、ほぼ無勉状態だった僕は眠ることもできず、試験会場に向かった。
試験会場はたまたま目の前に中学時代の優等生が座っていた。
優等生「やべえ、ぜんぜん国語できなかった。もう絶対落ちた。てか今から勉強しても無駄だからやめようぜw」
そんな彼の戯言を右から左に受け流しながら、僕は必死に単語帳をめくっていた。
ちなみにめくっていただけなので、一切頭には入っていない。
そしてセンターは1度目とたいして変わらない成績だった。
ただし、今回は文転し、苦手な物理化学を捨てていたので単純比較はできないけれど。
優等生は案の定、国立医学部に合格していた。
僕は京都大学経済学部論文型入試というセンター試験の結果が一切関係ないところと、後期入試で横浜国立大学に出した。
ちなみに当然どちらも受かる可能性はないのはわかりきっていた。
ただ、何もない自分にはもはや学歴ぐらいしかとれそうにないと思っていたし、全部ひっくるめこのめちゃくちゃな状況をやり直すにはいい大学に合格してチャラにするしかないというヤバい思考に陥っていた。
もちろん、当然だが大学に受かったところで全てチャラにはならない。そして、勉強しなければ一般入試で大学は受からない。また、当然だが大学で人の価値は決まらないし、何の評価基準にもならない。大学がどこかで評価されるとしたら、それは先入観や、勘違いである。ただ努力したことに対する結果として、学歴が手に入るならば、そこに意味はあるだろう。実際、人生は変わる。おそらく、人生を変えるもっとも単純で、やり方次第では簡単な方法の一つが大学受験だ。
僕は受かるはずも全くないのに、数打ちゃ当たる的思考で無勉のまま早慶を複数学部受け、親の金を言葉のごとくドブに捨てた。
そうして僕は無職になった。