
2年前の4月1日、僕は社長の前に立っていた。
この日は入社式で、社長のありがたいお言葉の後、なぜか僕が答辞を読むことになっていたのだ。
新入社員を代表してみんなの前に立ち、震える手がバレないように何食わぬ顔で式辞用紙を広げた。
ああ、何でこんなことになってしまったんだ。
今日はエイプリルフール。
全てのことが嘘であってほしい・・・。
こんなことを思うのには理由があった。
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大学時代、僕は初めて経験する自由にタガが外れたように遊んでいた。
高校生までは勉強・部活・勉強・部活・・・の毎日。
親や先生の言うことを聞き、真面目な優等生を演じていた。
ところが、大学に入学すると同時に一人暮らしが始まり、誰からも制限されることがなくなった。
今まで押さえつけられていた分、はっちゃけた。
毎晩サークル仲間と飲み歩いたり、アルバイトに明け暮れて月10万円以上稼いだり、そのお金で国内外の旅行へ行ったり、彼女を助手席に乗せてドライブへ行ったりと、それなりに充実した毎日を送っていた。
しかし、こんなことばかりしていたため、後でツケが回ってきた。
就職活動の時期がやってきたときに何もできなかったのだ。
僕は勉強こそしてきたが、それは親や先生が言ってきたからやっていただけであって、自分では何も考えていなかった。
将来のことなど全く考えていなかったし、やりたいこともなかった。
こんな状態だと就職活動は大変だ。
僕「うわあ、就活やだなー。働きたくないよー。お前どこ受ける?」
友達「俺はA社受けるよ!ここで〇〇を作って〇〇したいんだ!」
僕「A社って超大手じゃん!しかもその夢かっこいい〜。」
友達「まあ、やりたいことなくてもブラック企業だけはやめときなよな。」
僕「確かに変なところには入りたくないなあ。よし、とりあえず大手受けよう!」
やりたいことがない⇒条件の良さで会社を選ぶ
という実に短絡的な思考だった。
しかし、やる気のない学生を取りたい企業がどこにあるというのだ。
面接官「志望動機は何ですか?」
僕「御社の経営理念に共感して〜かくかくしかじか。」
面接官「(あーはいはい、何も考えてないのね。)」
僕はあらゆる企業の面接に落ちた。
面接に落ちまくってようやく自己分析を始めた。
自分は本当は何をやりたいのか、自分に合う会社はどこなのか。
今思うと、自己分析なんて一番始めにやることだろ!とあの頃の自分に喝を入れてやりたい。
過ぎてしまったことは仕方ないので、とにかく就職する方法を考えた。
*****
どこか自分に合う会社はないだろうかと会社説明会に参加し続けた。
そこで、全く検討していなかった業界の小さな会社に目が止まった。
そこは、大学で学んできたことは一切関係なく、研修制度もしっかりしているから熱意があれば誰でも歓迎という会社だった。
少し興味が出てきたため人事の方とお話しした。
すると、その場で筆記試験を受けることになった。
試験の準備なんて何もしていなかったので焦ったが、簡単な常識問題や計算問題だった。
回答用紙を提出してほんの数分後。
人事「試験は合格です。」
僕「(えっ、そんなに早く結果出るんだ。)ありがとうございます!」
人事「次は最終面接に来てください。」
僕「(いきなり最終面接ってスピード感はんぱねえなこの会社。)承知しました。」
最終面接もあっさりクリアした。
こうして、僕は最初で最後の内定をもらった。
*****
就職活動も終わり、卒論を書き上げるのに忙しくしていた頃、先輩に飲みに誘われた。
同じサークルの先輩で、大手に就職してバリバリ働くイケてるサラリーマンだ。
先輩「お前就職はどこに決まったの?」
僕「〇〇です!」
先輩「えっ、〇〇!?そこって業界じゃかなりブラックだって噂だぜ。」
僕「そうなんですか!?」
先輩「何でもっと早く言ってくれなかったんだよ〜。」
この後、僕は先輩から色々な噂を聞いたが、その内容は後に身を持って経験することになる。
僕「先輩、今日はありがとうございました!」
先輩「おう、頑張れよ!」
この日以来、僕は気が気ではなかった。
卒論発表も終わり、春休みに入って友達と遊ぶも、心の奥底から不安が消えなかった。
不安とは裏腹に季節は進み、春の足音が聞こえてきたある日、一本の電話が鳴った。
会社の人事からだった。
僕「もしもし・・・」
人事「朝日奈くん、お疲れ様です。実は君に頼みたいことがあって。入社式の日に答辞を読んでくれないかな?」
僕「答辞ですか?(え、なぜに僕?)」
人事「そう。君が適任じゃないかと。頼めるかい?」
僕「わかりました、やります。」
どうやら人事から見ると僕の評価は良かったようだ。
その期待に応えようという心理が働いたのかもしれない。
その後、人事から答辞の雛形が送られてきた。
一から考えなくて済むのでありがたいなと思いながら文面を読むと、僕はいつのまにか泣きそうになっていた。
答辞の内容を要約すると、「身を粉にして会社のために尽くす」という内容だった。
僕はこの答辞に恐怖した。
普通なら、新入社員が会社のために頑張るのは当然のことだし、この答辞を読んでもむしろこれから頑張ろうと身が奮い立つことだろう。
しかし、僕は全く逆の感情を抱いていた。
先輩が言っていた色々な噂を思い出したからだ。
もう何も考えられなくなり、流されるがままに入社式を迎えた。
*****
僕は社長の前に立った。
噛まないようにゆっくりと答辞を読み上げた。
改めて声に出して読むと、僕は自ら命を捧げることを宣言してしまったかのように感じた。
かくして僕の社会人生活がスタートした。
その生活はなかなかハードなものだった。
先輩に聞いた噂もあながち間違ってはなかった。
毎晩終電帰りは当たり前、ひどいときは終電で帰れず現場近くのネットカフェに泊まるという過酷な日々。
睡眠不足がたたって思考力も低下し、社員はただのロボットと化していた。
どこからともなく怒号が飛び交うのは日常茶飯事で、時には僕もターゲットにされた。
もちろん僕のできが悪くて怒られるなら仕方ないが、理不尽な怒られ方しかしなかったので辛かった。
まあ、上司はもっとひどい怒られ方をされていたので僕はまだマシな方かもしれない。
同期はいつのまにか数人辞めていた。
そして僕はストレスで円形脱毛症になった。
髪を切りに行ったときに美容師に言われるまで気付かなかったので、おそらくしばらくの間、ハゲを露呈しながら歩いていたのだと思う。
若くてもハゲるのかと驚いたものだ。
それ以来、髪の毛を不自然な方向に流してハゲを隠していた。
あの時のことはあまり詳細に思い出したくないのでこれくらいにとどめておく。
しかし、僕に衝撃を与えた言葉だけは書き記そうと思う。
それはある日飲み会で上司に言われたことだ。
上司「歳をとったら役職がついて責任も重くなるからストレス半端ないぞ。今のうちに楽しんどけ。」
今のうちに楽しむ・・・?
こんな過酷な状況でどう楽しめばいいんだとわけがわからなくなった。
しかも、この状況に頑張って耐えたところで将来もっと苦しくなるだけ。
人生に希望が持てなくなってしまった。
この言葉を聞いてから、僕の止まりかけていた思考が再び動き出した。
この環境にいたらやばいと本能的に感じ取り、今まで周りに流されてばかりいた僕が、ついに自分の意思で行動を起こすことになったのだ。
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あの日答辞を読んでから2年が経った。
あれから会社を辞め、起業した。
僕は今、お気に入りのカフェでこのストーリーを書いている。
あの経験があったからこそ、今が余計に幸せだと感じる。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
こんな僕でも会社を辞めて起業できた理由はブログに書いていますので、もしよろしければブログの方でこのストーリーの続きをご覧いただけると幸いです。
僕は学生時代に何も考えていなかったので、流されるままの人生を送っていました。
しかし、本気で自分の人生の未来を考えたとき、流されているままでは希望はないと感じました。
ブラック企業が問題になっている昨今、現状は変わる気配がありません。
環境が変わらないなら、自分が変わるしかありません。
かつての僕と同じように苦しんでいる人たちが少しでも前向きになれるように、このストーリーがお役に立てることを願います。