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13/5/29

子どもを亡くして社畜をやめた話④妻からのメール

Image by Olia Gozha

子どもを亡くして社畜をやめた話④妻からのメール



目が覚めた時

むすこが死んでいた



体温が抜け始めている

その小さな体を抱き上げて妻に渡す



彼女は

慈愛に満ちたような

打ちひしがれて緊張を失ってしまったような

緩やかな表情で

何も言葉を発することなくただむすこを抱きしめた



おれはそのときの彼女の表情が忘れられない



感情の抜けきった人間の表情は

思い出すだけでも背筋を冷たくする




不幸




これから訪れる幸福の芽を叩き壊し

破片を全て吸い込んでしまう

そのときの妻の表情からはそんな決意の様なものが見えた


そして彼女自身が

ひび割れて粉々になる事を望んでおり

俺は姿勢を変えることも出来ずに

ただその光景を見ていた




社畜部の環境

社畜部には既婚者は3人しかいなかった



前回の山手線でローキックのくだりで登場した

部長代理と蹴られた同僚



そしておれだ



部長代理は結婚して9年が経つということだったが

職場ではパワハラバイオレンスおじさんでも

家庭では妻を愛する良き夫



な訳も無く



その日のターゲットのデスクを蹴り散らしたあとには決まって

家庭と妻そして自身の人生に対する愚痴を

オフィス内の全員が聞こえる音量で喚くのだった







「こんなクソみてーな会社で働いてクソみてーな家に帰って一人でDVD見る位しかやることねーくそみてーなおれの人生がクソみてーな嫁さんと明日は飯食いにに行かなきゃならねーしよー大して旨くもねーのにクソ高い飯なんか食いながら話すことなんかねーしよどうせ嫁さんは機嫌も悪いし落語でも聞きに行って風俗行って呑み屋でもいってた方がよっぽど楽しいのによー最近は浮気相手も連絡取れねーしなんでこんなにクソみてーなんだよ!!!!!!」







「テメーがわけわかんねー営業してっからだろーがよ!!!!!!」


ドン!!!バキ!!!グシャ!!!


「DVD見る時間なくなっちまったじゃねーかよ!!!!!!!!!」


ドン!!!




そしてタバコを吸いに出て行ってしまう

または

デスクでそのまま吸い始めるのだった

もちろんオフィスは禁煙であった




またあるときは




別部署の女性社員から

産休に入る旨を伝えるメールが入ってくるやいなや








「セックス好きのババアがいい歳こいて3人目かよ!!!」






「何でこんな大してかわいくもねーし若くもねー他人の女の為に仕事しなきゃなんねーんだよ!!!!!!!」








といった具合で

部内唯一の女性事務職員は無言で真っ青であった






そんな環境であるから

おれは職場で結婚生活や生まれる予定のむすこに関する話題を

口に出すことはほとんどなかった



バリバリの長時間労働型社畜ライフであったが

おれは妻と生まれてくるむすこには

幸せになってもらいたいとおもっていた



だからこそ身を粉にして働いていたし

彼女達に幸せになってもらわなければ

自分の価値がなくなると思っていた




おれはそんなことを考えていることを

部長代理に少しでも悟られたくなかった

だからなるべく業務以外の会話はしない様にしていた


話の流れでしようがなく

家庭についてコメントしなければならない時には

自分も妻に対する愚痴を並べ

不幸自慢のようなものをなるべく誇張して表現した


そうすると部長代理は嬉しそうに笑って

お前のところも大変だなといったような事を言うのだった


そんなやり取りが重なって行くに連れ

おれの中には

自分に対する卑屈な感情と妻に対しての小さな不満が

体裁を整える為に発しただけでは無い

実感を帯びた感情として少しずつ積もっていった



父親になること

そんな風にジワジワと

精神的にも侵食されていく社畜生活ではあったが

月日が流れると共に少しづつ

おれはむすこの誕生が待ち遠しいと思う様になっていた


世間一般の父親と同じように

妊娠当初は実感の無かった自身の分身に対する感情も

終電で帰宅してから眠りに着くまでの時間に

妻が定期健診から持ち帰ったエコー写真を眺めては


「豆粒みたいだからマメちゃんだな」

と愛称をつけてみたり


妻のおなかが大きくなってくれば

「マメちゃんおーい」

と子宮に向かって囁いてみたり


胎動を感じる為に妻のおなかに頬を寄せ

微かな動きを受け取る度に

2人で喜び合ったりするに連れ


自分の血を分けた分身であり

今後の人生を共にするメンバーとして

むすこの存在を実感すると共に

説明の出来ない愛情が

自分の中のどこかから湧き上がってくるのだった


そういう感情をむすこに対して感じることが出来たことに

おれは安堵した


おなかの中にいる小さな人間を

どこかで煩わしい存在だと思っていたからだった


そしてそういう愛情を認識したことによって

この2人をどうにかして幸福にしなければならない

そうでなければおれの人生は無意味なものになる

その思いはより一層強くなっていった


ただ


おれは妻とむすこが何をもってして幸福と感じるか

ということについては殆ど考えていなかった





妻からのメール

そんなこんなで妊娠7ヶ月を過ぎたある日

妻から一通のメールが入る





その日おれは外回りを終え

夕方18時頃にオフィスに戻り

さあ今日は終電か

はたまた泊まりで伝票処理かという

いつもどおりの社畜アフター5を満喫するつもりだった


おれは妻に会社の業務用アドレスを教えてあり

伝言がある場合にはそこに直接メールを入れるように言ってあった


社畜部では部長代理がオフィスにいる間は

プライベート用の携帯を

ポケットから出すこと自体がタブーとされており

タイミングが悪ければ



「あ!女?女?女???大した数字も持って来れねーのに飲みの約束なんて良いご身分ですね~!!!」



とロックオンされてしまうきっかけとなる

そういう訳で社畜部では

プライベートなやり取りが社内メールで行われており


件名:お見積もりの件

本文:社畜部 中野様

    お世話になっております。

    ㈱ノミイ興業の佐々木です。










    部長代理帰ったら飲みいくぞ



みたいな微妙にカモフラージュされたメールが

対面に座っている同僚から届いたり

家族や友人からのメールが届いたりするのであった



社畜部にはコンプライアンスなんて言葉はそもそも存在しないのであった



その日妻から届いたメールも

他愛のない連絡事項の一つだと思っていた


おれはメールの内容を確認してから

すぐにオカダ課長に帰宅する旨を告げると

オフィスを抜け

日が落ちて間もない通勤路を走った


本当に久しぶりの早い帰宅だったが

うれしさはなく

暗澹たる思いで中央線に揺られていた



そのメールには

おなかの中のむすこに先天的な疾患が確認された

という内容が記載してあった



一週間後



妊娠8ヶ月を目前にした妻は

大学病院での診断を受け

むすこが生きられないことを告げられる


同時にむすこの命日が決められ


この日からおれと妻の

まだ生まれてきてもいないむすこの

死ぬと決まった日を指折り数えながら待つ生活が始まった


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