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17/3/11

3.11

Image by Olia Gozha

私は、会社にいました。長い間揺れる地震に最初関東大震災がとうとう来たと思いました。震源地が遠いからこの位で済んでいると考えました。東北の様子をテレビで見て愕然としました。私の大学時代の友達が住んでいる街も丸ごと波に攫われてしまったのです。彼と連絡を最後にしたのは、1月でした。その連絡が最後でその後彼には、一度も姿も見る事は出来なかった。あれから6年。今でもふらりと現れると考えたいです。原発で帰宅出来ない人や仮設住宅で生活する人がまだまだ居て何も終わりでは無いのです。災害に遭われた人々は、悲しみと奪われた全てを背負って歯を食いしばって毎日の生活をしている。現実と戦って頑張っている。私の思いも今だに何も終わりでは無く時が止まったままなのです。原発をなくすとか廃棄物を処理する方法などが第一の問題になり人や行方不明者は、忘れ去られている。転校した学校でいじめにあってばい菌扱いをされている。学校の先生までそれを口に出し菌と呼んだ。震災に遭われた東北の人達は、世界から絶賛されました。それを支える側は、どうなのか?もう一度原点に帰って始め直さなければ何も始まらないように思います。

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