2009年、Yahoo Blogの記憶の扉
リハビリ病棟で出会った人達
が
居る。
急節期治療が終わる
と
リハビリ病棟の
ある
病院
に
転院
する。
そこには
また
社会の
別の
世界が
広がって
いる。
長期の
リハビリを
必要と
する
人達
脳脊髄
の
麻痺
骨折
人工関節
など
長期の
リハビリ
が
必要な
人達
車椅子
歩行器
杖
の
訓練
生活の質を
上げる
訓練
廊下の椅子で
よく話をした
人は
末期
ガン
に
より
大腿部の骨折
を
した
人
と
脳卒中
で
半身麻痺
の
人
だった。
末期ガン
の
人は
骨に
転移
転倒
して
大腿部
を
骨折
年齢は
60歳後半
か
70歳前半
だったと
思う。
印象にある言葉は
ガンになって
よかった事
が
「一つ
だけ
ある。」
と言った
事だった。
良かった
事が
一つ
ある。
良かった。
事が
一つ
ある。
と
言った。
それは
命の
時間の
限りを
知った
こと。
人生の整理
限りを
実感
した
こと。
人間の
作られた
現代社会
の中で
生きていると
妄想の
世界
に
陥る。
人生で
それに気づく
機会が
訪れる。
その
気づく
きっかけの
一つが
病
怪我
などの
障害
や
死
に向き合わされた
時
だ。
現代社会は
死
を
強欲
で
消している。
だから
病
障害
の
機会が
ないと
気づかない。
末期ガン患者の
あの人は
言った。
ガンになって
よかった
事が
一つ
ある。
一つある。
一つある。
病
障害を
負って
気づくのでなく
元気な
時に
気づいていれば
命は
もっと
充実した
世界に
居た
だろう。
俺は
何故
気づけな
かった
のだろう。
体に
ここまでの
障害を
負うまで
気がつかなかった
のか。
何故だ。
何故
気づかなかった。
若いから
また
人生を
立ち直れると
私を
励ましてくれた。
一歩
一歩
踏み出して
ここまで来た。
でも
また
転げ落ちるかも
知れない。
あの
励ましてくれた。
末期ガン患者の人は
もう
この世には
いない。
俺も
また
生ある限り
死に
向き合わされる。
人は
命の切符
を
切って
死
に向かって
いる。
ガンと知って
何度も
自殺をしようと
考えたと
言っていた
末期ガン
だった
あの人は
天国で
俺の
新聞記事を
呼んで
くれたかな。
若いから
もう一度
人生を
立ち直る事が
できる
と
励ましてくれた。
やさしい人だった。
リハビリ病棟で
名前も
覚えていない
末期ガンの
人との出会いだった。