top of page

17/2/17

青い春の中で文を綴る

Image by Olia Gozha

 朝、家を出た時ほのかに春の香りがした今日。毎年この時期になるとふとうしろを振り向きたくなり思い出話っぽく文章綴りたくなるのも3年目です。私ももうすぐで17歳、ほんとに早いです。昨年はたくさんの人とお別れをして自分1人で新しい道を切り開いて行かなければならない、そんな年でした。


 私は中学校ですごく良い友達と良い先生に恵まれていました。困った時は泣きついて、いつも助けてもらうばかりの日々でした。でもいざ助けてもらった時には素直にありがとうとは言えず、そのせいか、それまで1度も誰かに甘えることなく何かを達成したことなんてありませんでした。「これではいけない」と思い、1から自分で友達を作ってやるという思いから、同じ中学校の人が一人もいない高校に入学しました。一学期は級長もやりました。友達も出来ました。だけど、私はどこにいても友達とはなにかとあり、あまりうまくいかず、自分の首を絞めているようで毎日息苦しいと感じる日々も少なくありませんでした。どうして中学校の友達と同じ学校に行かなかったのだろう、と思う日も多くありました。


 私の学校には幼稚園や小学校から同じずっとそこに通っている人と、最後の3年間である高校から入ってきた私たちとでは人間関係に大きなハンディキャップがあると感じていました。


 そんな中、私は美術部に入りました。それに中高一貫生しかいなかった部活でした。でも私はその前の年の学園祭に訪れた際、美術部の作品を見に行た時「来年、私はここで絵を描くんだ」と確信しました。だから"外から来た子"という疎外感だったり、ハンディキャップもおかまいなしに入りました。そんな私を受け入れてくれたのは4人の同級生でした。作品展や、学園祭、合宿などを通して、まるで私も昔からその学校に通っていたのではないかというくらい仲良くしてくれました。


 そんな出会いこそ、私にとってはかけがえのないものでした。


 ずっと一緒だった親友とも、大好きだった先生とも1度にお別れをして、悲しみも普段より倍以上味わいました。


 しかし、もうすぐ1年経とうとする今、私は昨年の別れを忘れてはいません。悪くいえば「切り替えが出来ていない、いつまでも過去にとらわれて、悲観的に考えてしまう…」自分でもわかっています。ただ、忘れていないというより、忘れてはいけないもの…というより、忘れたくないことなんだと思います。


 良い事も嫌な事も時間が経てば、忘れてしまったり、どうでもよくなったりしてしまうものです。でも、忘れてはいけないこと、忘れたくないことの方が案外多くて、それは日頃覚える英単語なんかよりも、もっともっと大切なもので、これから生きていく上ですごく大切なことだと思います。私はその体験を人1倍経験したと自負しています。


楽しかった、悲しかった1年間も終わり。


もうすぐ桜がつぼみをつけます。青い春の中で文を綴る

青い春はあと2年。来年度も笑ってたいな。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page