13年前。
社会人対象のある哲学研究サークルに参加したんだ。
その時、主催者から言われたこと。
「今日の、12時(PM)までに、何がしたいのか?メールしてください。」
お手伝いできることがあればしたい。などという趣旨だったように思う。
帰宅して、考えた。
考えた。考えた。
・・・・。
考えた。1時間。
・・・。
2時間、3時間。
・・・。
食事したか、どうかも覚えてない。
何か、心の奥から迫られてくるものがあったように
苦しく、脅迫感があり、焦らされる、追いつめられる、そんな感じがあった。
そして、なんの答えも出ないままに、とうとう11時59分になってしまった。
決めた。
メールの文章は
「わかりません。なにもでてきませんでした。」
たしか、そんな文章だったような気がする。
送信し終わったら、なんか心の中に安堵感が流れたが・・・。
その後すぐ、人生最大の電気ショックが脳内に・・・。
「僕は、自分がわからないんだ。」ということに気が付いたから・・・。
と同時に、床の底が抜けて、暗いトンネルの中に心が放り込まれた感じがして
「孤独」という恐怖感に囲まれた。
身動きできなかった。
そのころ、僕は会社を退職して次の仕事を探している状態だった
いわゆる”プータロウ”
37歳で、子供一人いるのに・・・。
どうしても、会社という空間になじめなかった
心が悲鳴を上げていた
心の色が、本当に鉛色のような気がして
毎日さえない日々を過ごしていた。
そんな日々が約6か月も続いていた
1週間に1回10冊程度、図書館で本を借りて読む以外することがない
ぼ~と、過ごしていた、毎日。
だって、新しい仕事を探そうにも、何がしたいか?わからないんだから・・・。
動きようがない。
どっち向いて、一歩動けばいいか?
まったく、わからなかった。
ただ、会社という人間空間はもう無理な気がした。
心は、”起業?”に逃げていた。
でも、結局同じ。
”何がしたいかわからない”
これが最大の問題。
”自分がわからない”
得体のしれない息苦しさに襲われていた・・・。
「真綿で首を絞められる感覚」
当時読んでいた、不登校や引きこもり関係のある本の中で出会った
キーワードの一つ
その言葉、僕の心に刺さった感じだった。
まさにこの感覚。
暗いトンネルの中にいて、自分がどっち向いて動いているのか
動けばいいのか?
まったくわからない。自分の世界に誰も出てこない。誰もいない。
誰ともつながっていない。
つながりたくても、つながれない。
自分自身にアクセス不可、そんな感じでした。
そこから自分の、「生き辛さの原因探し」的な本の探索活動が始まった。
自分自身を説明する言葉を探して回った。
本の中に、自分の心が反応するキーワードが出てきたら、そのページをメモし
コピーし、対話した。
自己内対話。ノートに書きだした。
どんどん読んだ、どんどん書いた。
その作業が、いつの間にか止まらなくなっていた。
それしか、することなかった。
しかしながら、そんな簡単に何かがわかるはずもなく、時間だけが
むなしくも過ぎていくだけだった。
「自分の取扱説明書だれかくれ~!!!!!!」
「ガンダムの取扱説明書くれ~!!!!」的な
動かし方のわからないロボットに乗せられて、もがき苦しんでいた
自分でありながら、自分でない。
そんな違和感いっぱいの毎日がただただ、過ぎていった。
自分がわからないという感覚は、仕事探しに致命的
なぜなら、「何がしたいかわからない」から
どんな仕事内容があってるのか?
どっち向いて、歩けばいいのか?さっぱりわからない。
しかも、対人恐怖になっていたから、知らない人に会うのが苦痛
当然、卑屈な態度になる
相手は、怪しむ・・・。
普通の会社員は無理だ・・・。
そう思って、自分一人でできる仕事や、新規募集で先輩のいない職場
などを中心に探した。
そういう職場も、何件か行ったが、結局長続きしない。
どうしても、他人と一緒に仕事することになじめない。
他人の視線が気になる。
どうしたらいいんだ・・・。
読書だけが増えていく。
読んだ、読んだ、読んだ・・・。
何冊読んだんだ一体・・・。
どうも、自分は病気ではないか?
そういう方面に気持ちが傾いてゆく。
最初に疑ったのは
「アダルトチルドレン」
当時、そういう書籍がかなり出版されていた。
そのことから推測して、かなりの人がその方面に興味があったのでは?
と今では、当時を振り返れる。
とにかく、僕は、そういう病気なのか?と思うと
自分が悪かったんじゃなかったんだ。
そう思って、なんとなく救われた気持ちになったのは間違いなかった。
つづく。